冬の青森に、ないものがある。冬の青森に、雪がどっさり降るので、仕事がなくなる。だから仕事を求めに、外に出る。冬の青森で、農業をつくりたい。出稼ぎに行っているお父さんたちが青森の家で、子どもとすごせるようにしたい ─ その願いから、青森での「冬の農業」プロジェクトがはじまった。豪雪地である津軽の養鶏場に建てたハウスでトマト栽培を実験したのが、10年前だった。
その青森での実験よりすこし前に、農業先進国であるオランダを訪ねた。大規模な温室では、チューリップ・バラ・トマトが栽培されていた。農場というよりも、農工場。20haもある巨大な温室には配管やチューブがはりめぐらされている。天然ガスでエンジンを発電してハウス栽培設備向けの電気・照明に使い、余った電気は電力会社に売る。発電時に発生する熱とCO2は、花や農作物の栽培に活用する。ハウス内の熱やCO2、養分、肥料、照明はコンピューターで自動制御され、農作物ごと、季節ごと、時間帯ごとに、最適な濃度・温度・量が施用される。
ITを駆使する温室オーナーは若く、農業、エネルギー、IT関連企業、大学・研究所、国・自治体と一体となった「チーム」で農工場を経営していた。日本の「農業の概念」とは全くちがうものがダイナミックに動いていた。今の言葉でいえば、「スマート農業」かもしれない。日本から、オランダのハウス栽培に視察団がいっぱい訪れていた。日本で見たことのない「農業の姿」を視察団それぞれの立場で、どう見たのだろうか。残念ながら10年前に多くの日本人がオランダで学んだはずの「スマート農業」は、日本ですぐには動かなかった。
オランダの視察のあとにイタリアに向かった。イタリアの市場・スーパーには、イタリアの各地域の野菜、果物、食材の種類・量が豊富に並んでいた。色鮮やかで、食卓に必要なものすべてが揃っていた。見ているだけで楽しかった。イタリアでは70〜80年代のファストフードの進出に対抗して、「スローフード」という運動を立ちあげ、地域独自につくった農作物によるオリーブオイル、パスタ、パン、トリュフ、ワイン、チーズ、ハムといった地域ごとの食材と料理、食文化を守り育てる活動を進めていた。先端技術も導入して効率的な農業システムを志向するとともに、愚直なほど本質、伝統へのこだわりを追究し、それらをバランスさせ、イタリアの豊かで魅力的な食文化を現代につないでいった。
オランダ、イタリアに学んだあと、青森津軽での4ヶ月の栽培実験をへて、平成20年1月12日に収穫したトマトを青森県産「冬のエコ・とまと」として、地元の市場に並べた。隣に並んだ空輸されてきた綺麗な熊本産トマトと比べて、「冬のエコ・とまと」はゴツゴツして大きさも不揃いで、値段もすこし高めだったが、津軽の地元の人は青森県産トマトを選び、完売だった。「甘くて美味しい」と評判だった。
青森冬の農業プロジェクトのトマト栽培にあたり、オランダで学んだ「チーム」体制をつくった。オーナーである養鶏場に、青森県と町役場の人たち、地元の大学、農業高校に国の研究所、農業メーカー、エネルギー会社、そして料理店のシェフが参画した。極寒・豪雪のなかでの青森に、青森、名古屋、東京、大阪から、それぞれの技術・知識・ノウハウを持ち寄って冬のトマトのハウス栽培にとりくんだ。病気や機器トラブルなどの幾度のピンチをのりこえて、青森の冬の農業にて収穫できただけでなく、収量、糖度向上につなげられた。
青森でのトマトの施設栽培実験から、10年経った。日本各地で、新たな農業の形が動き出している。農業人口の減少に対して、テクノロジーを使って効率化する、生産性をあげることは必須である。しかしながらオランダなどは10年以上前から取り組んでおり、さらに技術なりビジネスモデルを進歩させている。日本は農業関係者の枠組みで取り組むのではなく、非農業分野の人たちが参画し、総力戦で世界を上回るようにしなければいけない。
それだけではいけない。全国どこでもつくれる農作物をつくるのではなく、その土地にしかないものをつくりたい。イタリアのように、地域・地方独自につくった農作物・畜産物、それを活かした食材・料理をつくり、かつて日本の各地域・地方・都市にあった食文化を再起動させる仕組みを地域全体でつくりたい。もうひとつ大切なことがある。できあがったそれらを地域の人々が買い、食べるという地域経済循環モデルをまわしてこそ、地域は強くなる。食だけを見るのではなく、地域全体でとらえなおすことで、新たなものがつくりだせる。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 10月11日掲載分〕