あやまり役がいた。
江戸時代、子どもたち(5歳〜15歳)は寺子屋で勉強していた。一人の子どもが悪いことをした。寺子屋の師匠がその子を怒りそうになった。その気配を感じ、別の子どもが師匠の前に進んで、あやまる。実はあやまり役の子はあらかじめ決められていた。師匠は本当に悪いことをした子どもではなく、あやまり役の子どもを叱る。悪いことをした子どもはあやまり役の影でじっとしている。
あやまり役は神妙にうなだれ、師匠に「叱られる」という役割を演じる。師匠が叱る相手はあやまり役だから、本当に言うべきことをいう。あやまり役は役割だから、いくら叱られても傷つかない。一方悪いことをした子どもは師匠とあやまり役の姿をみて、自らの行いを猛省する。
1対1で叱り・叱られるという現代とはちがった第三者を介した教育システムが、江戸時代の大坂や京都の寺子屋にあった。さらに何度も何度も悪さをすると、寺子屋から家に帰さないという「留置」になる。そのときも「あやまり役」たちが登場する。まずは師匠の夫人が詫びを入れる。それでだめなら、両親が詫びる。それでもだめなら、近所の老人が詫びるというリレー方式であやまり、最終的に師匠が許す。これも事前に今日は誰を留置すると関係者に連絡され、みんなで詫びるという「演技」をするシステムがとられた※。このような学校、家族、寺子屋、地域がつながって、江戸時代の子どもたちを守り育てられた。
(※「江戸時代の「寺子屋」教育」(大阪市立大学 文学部 添田晴雄教授)を参考)
歩き屋さんもいた。
その人は突然大阪の商家にやってきて、座敷に座りこんで家族のように家の人たちと話をする。洗濯物を取り込み畳んでくれたり、料理のお手伝いをしてくれたりもした。この人は不思議な人で、「歩き屋」さんと呼ばれた。ファミリーシンボルといえる「暖簾(のれん)」をともにする商家の本家・分家の情報をつないだり、まちのなかの家と家を情報でつなぐ仕事をしていた。たとえば正月の床の間の「掛け軸」が本家・分家で重複しないように、他家の情報を歩き屋さんがつかみ、家中に教えて調整をしたりした。その他流行していること、話題となっている情報をいろいろもってきてくれた。
テレビもネットもスマホもLINEもなかった時代。人と人をつなぐのは、家と家をつなぐのは「人」であった。それらの情報をもってきてくれる、人と人とをつないでくれる歩き屋さんに対して、各商家は幾ばくかのお金を渡した。かつての富山の売薬も「歩き屋」の一種、様々な資機材商もこの系譜にあり、情報を繋いで社会に彩りを添えていた。それから数十年。パソコン、スマホでクリックしたら、当日・翌日にロッカーやポストにモノが届く時代となった。頼んだモノは運ばれてくるが、届けられるモノには「情報」がくっついてこない。そのモノに、心がこめられなくなってきた。
あやまり役も、歩き屋もいなくなった。人と人の間に、ブラックボックス化が進んでいる。社会、会社、組織のなかで、ポテンヒットがいたるところでおこっている。インターネット、ロジスティックの進展、効率性、効率性、利便性、コストダウンを追いかけるうちに、本当に大切なことを失いつつある。あなたには見えませんか、いろいろなところで「穴」があいていることに。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 11月28日掲載分〕