とっても感動。めっちゃすごいけど、わたしにはムリ ─ 卓球:張本智和15歳、伊藤美誠18歳、早田ひな18歳、フィギュアスケート:紀平梨花16歳、宇野昌磨21歳、体操:村上茉愛22歳、白井健三22歳、バトミントン:桃田賢斗24歳、福島由紀25歳、廣田彩花24歳、ジャンプ:小林陵陏22歳、高梨沙羅22歳、将棋:藤井聡太16歳。すごい若者たちがいっぱい顕れてきた。すごい同年代の人たちがでてくるけど、わたしには絶対にムリ、わたしにはなれない。
紀平梨花選手は一見楽々と優雅に舞いフィギュアスケートをして、グランプリファイナルで優勝した。トップを目指すアスリートたちだから、とてつもないハードな練習をしている。そのなかで彼女はインタビューで、「朝の練習ではうまくトリプルアクセルが跳べたけど、時差のため本番の夜は筋肉がちがっていてうまく跳べなかった。修正しないといけません」といった。「勝って兜の緒を締めよ」ではない。勝った後の慢心をひきしめるというのではない。その大会にも優勝したのに、冷静かつ客観的に自らのスケートを分析していた。極めてリアリスト。紀平梨花選手だけではない。卓球の張本智和選手しかり。体操の村上茉愛選手しかり。徹底的に現状を客観的に捉え自己分析していくリアリストが出現した、すごい。インタビューをみていてそう感じる。
一方、「次、頑張ります」とインタビューで答えるアスリートが最近多くなった。世界の大会で成績が残せなかったアスリートが「次、頑張ります」という。本番で実力が発揮できなかったり、何かの理由でうまくいかなかったのだろうが、「現状」を吹っ飛ばして「次、頑張ります」といって話をおえる。次の世界大会にも出場するという前提で話をしているが、次の大会に出場できるかどうかは、選手が決めることではない。予選なり選考大会で勝ちすすみ代表に選ばれないと、次の大会には出場できない。「次、頑張ります」は今を軽視することにもつながる。
今は日本のプロ野球にいるけど、本当はアメリカのメジャーリーグに行く人間なのだ、という選手が多い。今はサッカーのJリーグにいるけれど、本当はワールドカップに出場し活躍する人間なのだ─ といった風潮が広がっている。だから日本でのスポーツが軽視され、必死にならずレベルがおち、面白くなくなるという傾向がある。だからその日本でのスポーツの人気がなくなる。
これは日本社会に蔓延している空気感でもある。今の自分は本当の自分ではない。かりそめなのだ。本当はもっとすごい人間なのだ。今はなぜかうまくいっていない。不幸で可哀想なのだ。本当はこんなところにいる人間じゃないのだ。それは社会において、ビジネスについても同じで、今を軽んじている。今を吹っ飛ばして明日の夢を描く。今はこうだけど、本当はこうなるはずだ、こうなっているのだと。
今を軽んじる時代。今日できなくてもいいよ、明日できたらいいよ、次にできるようになったらいいよ。しかし明日も明後日もできなければ、どうだろう。また今度ちゃんとしてよと再び言っても、1週間経っても1ヶ月経ってもできなかったら、どうなっているんや、と思うだろう。今を軽んじているんじゃないか、ちゃんとやっているのかと思うだろう。
世の中に「励ます」歌が増えている。弱者がヒーロー、ヒロインになるというドラマや映画などの物語が増えている。基礎、基盤づくり、下働き、現場での苦労、奮闘、しんどさというプロセスが中間省略され、「夢」があっという間に実現するというストーリーが綴られるのが今の世の中に多い。
こうしたい、こうなりたいと夢を描くのはいい。しかし「今」はどうなの?「今」はどういう努力をしているのか?それが感じられない、それが見えない。それが見えないから、楽々と夢は実現できると安易に考える。本当はすごいことができるのに、今は可哀想な「かりそめ」だと思ってしまう。
そうではないのだ。「今」を懸命に努力してこそ、生きてこそ、明日、未来が生まれるのだ。「今」を軽視し中間を省略していては、明日はうまれない。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 12月19日掲載分〕