「 80年前にあって、現在なくなりつつある言葉がいっぱいある」
と大阪の空堀在住の童話作家藤田富美恵さん。「ついではあかん」と昔よく教えられた。お世話になった人に御礼を伝えに行くときは、別の用事のついでに、その人の家へ寄るのは失礼。横着しないで、いったん自分の家に戻り、ちゃんと段取りして行くものだといわれていた。
「知らなんだ」もなくなりつつある。
文字どおり“知らなかった”ことだが、単純にその意味だけでなく、この言葉には、知らんかったら、“恥かく”“義理かく”という思想が入っている。だから“ちゃんとせなあかん”と規律正しくした。
「悪いことをしたら、バチがあたる」と親が子どもによく言い聞かせていた。
悪いことや意地悪なことをしたら、罰が当たる。「お天道さまが見てる」ともいった。人が見ていなくても、太陽=神や仏さんが見ている。“ちゃんとせなあかん”。悪いことをしたらあかんという不文律があった。この言葉も最近聴かなくなった。最近、使わなくなったからではないが、人が見ているときはちゃんとしているが、人が見えなければ悪いことをする人が多いような気がする。
「あんじょう、たのんまっせ」
はもとは「味良し」⇒「味食う」⇒「あんじょう」となった。うまく上手に、具合よく、やってということ。ちゃんとせなあかんといわれているが、まぁ、ぼちぼちとうまいこと、周りと調整しながら、精一杯頑張って頂戴というニュアンスが込められている。
「歩き屋さん」がいなくなった。
歩き屋さんとは家と家、人と人をつなぐ潤滑油のような人。たとえば店の本家と暖簾わけした分家の正月の床の間の軸が重複しないように、ちょっとしたことだけど、名家を歩きまわり微調整してつなぐ人がかつていた。現在ならばLINEなどで一瞬で“情報共有”となるのだが、かつては歩いて顔をみて人と家の心と心をつないだ。
「おいでやす」 「おこしやす」というお店のご挨拶もなくなった。
「おいでやす」とは通りがかりや一般のお客さまに対する挨拶言葉。 「おこしやす」 は事前にアポが入って来られたお客さまや遠方から来ていただいたお客さま、なによりも常連さんに用いた挨拶言葉で、店のお客さま対応のために明確に使いわけていた。すごいオペレーション上の工夫を言葉で伝えあっていたが、1960年に大丸百貨店心斎橋店がこの挨拶を「いらっしゃいませ」に、切り換えて、一気に多くのお店に挨拶革命がおこる。今から60年前のことだった。
このように言葉は時代とともに変わっていく。新しくうまれたり、無くなったりするが、文字にはそもそもの語源があり、また社会・生活習慣や価値観が込められている。それが理解できなくなったら、言葉はたんなる記号となったり、場合によれば暗号になってしまう。明治維新後151年だが、若しかしたら江戸時代の記憶を直接聴いた人たちから直接お聴きできるギリギリのタイミングかもしれない。文化とは繰り返すこと。先代、先々代の人たちと対話し、言葉に耳を傾けて、意を理解して、次につないでいくことができれば、2100年にも江戸の記憶をつなげられるかもしれない。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 2月14日掲載分〕