「結婚しない人が増えた」 ─ これまでの結婚・ライフスタイルがあわなくなった。「就職しない人が増えた」 ─ いままでの就職・仕事・会社という形があわなくなった。現代社会における現象は「適合不全」で説明できることが多い。社会・市場の実態と、過去につくった制度や仕組み・ルールとがあわなくなっている。社会の基本潮流が変わっているのに、これまでの「成功体験」「通説」の思考様式では、諸相に機能不全に陥いる。
これからどうなる・どうするを考えるうえで大切なのは、現代社会が「適合不全」となっているかどうかを認識しているかどうか。適合不全は「本来の姿ではない」で、おわってはいけない。本来の姿そのものがズレている可能性が多い。適合不全社会はどうなっていくのか、どうなっていたら救われるのか救われないのか、救いのある状況なのか救いのない状況なのかをおさえることが大切。これからどんな社会になるのだろうか。
適合不全の次は、峻別となるだろう。峻とは↑↓を示す。↑は上昇、↓は奈落のこと。キーワードは「選ばれるか選ばれないか」であり、「あなたは仕事に馴染むか馴染まないか」から、「あなたが選ばれるか選ばれないか」となる。AI・ロボットなどの新たな技術の進展で無くなってしまう可能性のある仕事が多いといわれるが、本質は「峻別」、選ばれる人と選ばれない人に分かれるということ。
だから峻別社会を生き残るため、フェイスブック・インスタ・ユーチューブなどで「いいね」「フォロワー」を求め、自立という「選択」の確率をあげようとする。峻別社会は「ビッグマウス」時代ともなる。かつては、プロ野球の落合博満、水泳の北島康介など本当に実力のある人がビッグマウスになり、有言実行した。当時はビッグマウスは少数で違和感があったが、現在は実力のある人もない人もみんなビッグマウスとなった。なぜそうなったのか ─ シンプルだ。注目されるため、選ばれるためである。
AKB、EXILEなどのような「グループ」化が主流となる。1人プレイヤーがメインだった世界から、20人30人40人のグループが増えていく。1人プレイヤーはYesかNoで峻別されるが、20人グループならば、20人を牽引するセンターの人がどうなのかで、グループそのものが選択されるかされないかとなる。20人はセンターの1人に依存する。だからグループとなり、生き残るため選ばれるため、カタログ化する。しかしカタログ化しても、多くはズッコケる。「こんなはずじゃなかった」ということがおこる。つまり峻別社会は「選ばれるか選ばれないか」であり、力がある人が「一人勝ちする」「総取りする」社会となる。本当に力のある人はいくらでも選ばれ、見かけだけの力のない人は選ばれない。
だから選ばれるために、アピールするが、多くの人は結果がついていかず、ズッコケる。ズッコケたあとどうなるのかというと、峻別社会だから落ちていく。これからもっとひどくなる、もっと加速する。これが近未来観のひとつ。社会のあらゆるところで、「峻別」がすすむ。選ばれるために、なにをなすべきかは自明。謙虚に、時代の流れに寄り添い、本質をつかみ、多様なことに学び行動して本当の力をつけないと選ばれない。
(エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 6月6日掲載分〕