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2019年12月25日 by 池永 寛明

【耕育篇】日本人最大の関係性「ウチとソト」― スリッパ物語(上)

 


“煩(わずら)いはまとわりつくもの。脱ぎすてることで禊(みそ)がれる”と日本人は古事記の時代から伝えつづけてきた。外(ソト)、他とかかわることで自分の身にふりかかる煩(わずら)いや穢(けが)れは、要所要所で脱ぎ捨てないといけない。煩いや穢れを脱ぎ捨てる場として結界がある。


「内(ウチ)と外(ソト)」という関係を日本人は意識する。煩わしいものを身にまとってしまう世界が外(ソト)。家のなかは内(ウチ)で、 内では煩いはまとわりつかない。玄関前の盛り塩、敷居、畳の縁は外の煩いを内に入れない「結界」の意味を込める。


江戸時代の旅人が旅籠に到着すると、玄関で外のよごれがついた草鞋を脱いで足を洗う。さらに手を洗って禊(みそ)いで、土間から上がる。“結界を越えた”からと旅籠の人は「気楽にしてください。どうぞ寛いでください」と声をかける。


家の内ではなにもまとわりついてこないから、お気安に。家の外の世界ではいろいろなものがふりかかってくる。“内の空間は結界で守られた世界だ”という精神性がいまも日本人の所作なり言葉として残っている。

たとえば


「敷居は踏んではいけない」
家の玄関が“結界”のひとつ。玄関で靴を脱いで家のなかに入ると、“結界”によって、それぞれの部屋の性格が分けられる。ダイニングで外国人が座っていたら、(決して汚くはないのだが)「ダイニングでは座らないで」と注意される。つづくリビングと和室、廊下と和室を仕切る「敷居」は「踏んではいけません」と声をかけられる。敷居を越えて畳のうえに立っていると、「まぁ、すわってすわって」と声をかけられる。このように敷居を境に、がらっと意味が変わる。同じ家のなかでも、空間ごとに、生活スタイルを変える。



かつて日本は草履文化だった。
草履のままでは、建物のなかには上がらなかった。上がらないといけない場面では白足袋を履いた。明治に入り、靴を履くようになって、日本人は白足袋をやめた。白足袋をやめたので靴を脱ぐと、"上は洋装で下は素足"というスタイルとなる。ここで明治の日本人は考えた。どのような恰好で家にあがればいいのだろうか?と。


靴を脱ぐ形から靴を脱がない形に、
日本の建物が変わっていく。明治維新までの建物は靴を脱いで上がる形式であったが、日本の住宅は明治維新からの混沌期を経て、洋式の住まいとなった世界、和を守った世界、和洋折衷の世界の3つに分かれた。


日本的なスタイルは、なんでも折衷しようとする

A と B を混ぜて、C をうむ

〔1+1=2 ではなく、 1+1=Xにも、1+1=Y にする〕


日本的なスタイルは、なんでも折衷しようとする。
「A+Bを混ぜて、Cをうむ」。単純に「1+1=2」ではなく、絶妙なバランス力で、「1十1」をXにもYにもした。
住まい方でも絶妙な和洋折衷がおこなわれた。従来の和式の住まい方と西洋式の住まい方を融合させようとするが、玄関で靴を脱いで、廊下を歩き、応接室やリビングに入って、そこで靴下や素足でソファ・テーブル・椅子に座るというのはどうもしっくりこない。ここで日本的な「スリッパ」が発明された。


実はスリッパはシャワーのあとの履き物であった。
ホテルのシャワールームにはガウンとスリッパが置いてある。欧米ではシャワーを浴びるまでは靴を履いているが、シャワーを浴びると足が濡れる。足が濡れたら靴は履きにくいので、シャワーを浴びたあと、白くてタオルのような生地のスリッパを履く。ガウンを着てスリッパを履いて、ベッドに移動する。


スリッパは靴から履きかえるモノ。
欧米系のホテルでは浴室にはスリッパが置いてある。シャワーを浴びて体を拭いたときに使ったタオルを足にくるんで歩いたことから、スリッパが生まれたという説がある。シャワールームに置いてあるようなタオルの生地にはそんな背景があるかもしれない。

 

ホテルのベッドの足元には、帯のような布が敷いてある。
日本人はこの布がなんのためのモノなのかを知らない人が多い。寝るときには、この帯のような布を取ってベッドに入るが、ベッドの上の帯のような布は靴をのせるためのものである。なぜならば欧米には靴を履いたまま、寝る人がいるからである。


ともあれ日本人のホテルの部屋での過ごし方は欧米人と違う。


日本人は部屋には入ったら、すぐに靴を脱ぐが、どうにも自分の家のようにはリラックスできない。なぜしっくりしないかというと、家とホテルの室内構造の違いに加え、ホテルと自分の家の内での過ごすスタイルが違っているためである。


日本人は自分の家でどのようにすごすのか。
玄関で内履きスリッパに履きかえて、廊下を歩いてリビングに入る。しかしお手洗いでは別のスリッパに履きかえる。水にぬれてもいいスリッパを履く。キッチンやリビングでは内履きスリッパを履くが、リビングのフローリングの上に絨毯が敷かれていたらスリッパを脱ぎ、絨毯の端に置いたりする。


外の世界から戻ると、玄関で靴を脱ぎ、内履きスリッパに履きかえるのは、玄関が重要な結界だから。家のなかに鴨居や鴨居など視覚的に結界を張っている場所と、目に見えないが意識の結界を張って、家のなかでウチとソトを分ける。

 

スリッパを履いたり脱いだりして、内と外、こっちとあっちを分ける。
スリッパを履いている場所では床に座らない。一方スリッパを脱いだあと、畳や絨毯のうえに座ったり、ごろっとしたりできる。空間的には切れていないが、家の内でスリッパを履く履かないで、絶妙に内と外を分けている。これこそ、「和洋折衷の粋(すい)」といえる。



戦後になって、新しく建つ家での洋風ウエイトが高まり、古い家でも一部部屋を洋風にリフォームするなど室内構造を変えるに伴って、洋風になった室内と履き物との違和感がでてきた。こうして内履きスリッパが高度に進化する。しかし今も靴を脱いで靴下や素足で台所仕事をしたり、テーブルでご飯を食べたりすると、違和感がある。


日本人は玄関で内履きスリッパに履きかえ、そのスリッパでリビングですごすようになった。しかし畳の部屋では敷居・鴨居という結界を超えるから、スリッパを脱ぐ。このように「ウチとソト」という意識・精神性は今もつづく。この日本的価値観や精神性が内履きスリッパをうみだし、内履きスリッパの機能性を高め、かつデザイン性を高め、バリエーションあふれる内履きスリッパを世界に広げた。


次回の「スリッパ(下)」では、日本のモノづくりの可能性を、日本発世界商品となったスリッパと弁当で学んでいきたい。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)


〔日経新聞社COMEMO 12月23日掲載分〕

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