「コロナ禍(か)」という言葉が広がる。
「禍(わざわい)を転じて福と為る」というが、「禍」は同じ“わざわい”の「災い」と意味は違う。災害、天災、人災の「災」は元に戻せるが、「禍」は元の世界に戻れないという意味である。禍と災いとはちがう。コロナ「禍」として禍を使いだした人は、新型コロナウイルスに伴う社会変革の本質をついている。
2011年3月11日の東日本大震災発災時は、絶望感、悲壮感だった。しかし懸命な復旧作業から明日への復興にむかった。災害は壊れたものは直せる、無くなったものは作り直せる。従前どおりそのままにはならないが、元に戻れると思えるから頑張れる。ところがコロナは「禍」である。禍は、元の世界には戻れない。“これまでの頑張ろうでは戻れない”と先行きを洞察する日本および世界の政治、産業界のリーダーたちは、コロナ後の社会・経済システムが大きく変わるという前提で、動いている。
ビジネス界で、よく聴く教訓がある。
ダ―ウィンの進化論と喧伝される「最も強い者が生き延びるのではなく、最も賢い者が生き延びるのではない。唯一生き残るのは、変化に対応できる者だ」は、ダ―ウィンの「種の起源」にはないフレーズだが、平成の30年間、“イノベーション”とともに、ビジネス界に、「変化に対応する」とのメッセージが刷り込まれた。ビジネス書でも企業人や経営コンサルの講演でも何度も出くわしたが、本質的な変化に対応した企業は少なかった。
「なぜ恐竜が絶滅したのか」の話も、よくでてくる。
諸説あるが、6600年前に地球上を闊歩していた恐竜が絶滅したのは、大きな環境変化に伴う気候変動が原因と考えられる。巨大隕石が地球に衝突して大爆発した。大気に塵や埃が舞い、何百年と曇り放射冷却がすすんだことで地球は冷え、恐竜は絶滅したという。恐竜は真夏から真冬になるような「激しい変化」に対応できず、絶滅した。産業革命で馬車から自動車に一気に変わったように、“大きな技術革新に伴なう環境変化には気をつけよ”とビジネス界の教訓としてよく使われた。
「アリとキリギリス」のイソップ寓話も、よく使われる。
暑い夏もコツコツと働いて贅沢をせずに冬の食料を蓄えたアリと、ヴァイオリンを弾き歌い優雅に遊んで暮らすキリギリスがいた。冬になって食べるものがなくなったキリギリスは、アリに助けを求めにいくが、“夏は歌っていたのだから冬は踊っていたらどうなの”と断られ、キリギリスは飢えて死ぬ。しかし若しも想定以上の真冬が突然やってきたとしたら、キリギリスだけではなく、アリも死ぬ。
「コロナ禍は、元に戻らない」
それを象徴するようなニュースが飛び込んできた。
米国産WTI原価の先物価格(5月物)1バーレルがマイナス37.63ドルとなった。売り手が買い手に金を出して油タンクから油を引き取ってもらうことを意味する。エネルギー業界にいる者にとっても、「信じられない」、常識を越えた数字である。この事柄ひとつとっても、とてつもない地殻変動がおこっている。
「コロナ禍は、変革のきっかけにすぎない」
すでに実質的にリセットされていたのに変えなかった事柄が、コロナで強制リセットされようとしている。私たちが立つ「場」が変わろうとしている。これまでの風景が一変しようとしている。だから今までどおりしても上手くいかないし、通用しない。必要なこと不要なこと、大事なことそうではないことが浮き彫りとなり、いろいろな事柄が軒並み整理されていく。コロナがきっかけとなり、社会的価値が変わり、働き方・暮らし方を強制的に変革していくこととなり、ものすごい勢いで進行していく。それらの変革に対応できない人や企業をどっさり生んでいく。
「だれもが無関係ではない」
というのが、コロナ禍の本質である。
災害は当該地で発生して、そこから避難することができる。しかし眼に見えないコロナ禍は避難する場所がない、日本にも世界にも逃げる場所がない。パラダイムシフトが強制的にすすみ、だれもが無関係ではないのが、コロナ禍の本質である。
新しい価値観・考え方・仕組み・方法論に変革できる人と変革できない人、すぐできる人とゆっくりできる人とできない人がいて、社会に濃淡ができ、だんだんある一色に染まっていく。熱い湯と冷たい湯の混じりあいと同じ。熱い湯もいつまでも熱いままでいられなくなり冷たくなるように、マーケットは縮む。
「頑張ろうでは、できないことがある」
IMFが世界大恐慌の再来だと想定されているコロナ禍は、元に戻れない。「頑張ろう」とこれまでどおりしても、お客さまに来ていただけない、選んでいただけない、買っていただけない。社会ゲームのルールが変わり、戦後つくりあげてきた「約束型社会」が崩れようとしている。こういう学校に行ってこうなり、こういう会社に行ってこうなり、こういう人と結婚してこうなり、こういう家を建ててこうなり、何人子供を産んでこうなる…という約束された人生計画を次々とクリアしていくことで充実した幸せな人生を過ごすというシナリオは成立しなくなる。それはすべてを失くすこととイコールともいえる。コロナ禍で元に戻れないとしたら、どうしたらいいのか。自らをリセットして再起動するのだ。
熊は冬眠する。
熊は、秋に食料をたくさん食べて脂肪に蓄える。それをエネルギー源にして、冬眠をする。冬眠して、餌のない寒い冬を乗り越え、次の春に目覚め活動を開始する。
熊の冬眠を見習いたい。
コロナ禍がすすみ、突然の冬が来て右往左往しないよう、自ら強制リセットして次の春の目覚めに備え、冬眠する。なにもせずに冬眠するのではない。冬眠する前に、自ら・自社の立ち位置や資産の棚卸しをおこない、要るものは残し要らないものは捨て、自ら・自社の強みはなにか弱みはなにかを整理して、足りないもの必要なものがあれば身につけ揃えて、次を見据えて自ら・自社を再構築する準備をして、冬眠する。冬眠といっても、眠るわけではない。これから社会の情勢をつかみつづけて、時が来たら、目を開けて立ちあがって、再起動する。積極的「熊の冬眠」をしようと思っている。
(エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 4月22日掲載分〕