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2020年10月16日 by 池永 寛明

【起動篇】コロナなんて関係ないというお店 ─ “食の未来”はコロナ禍のなかで動き出している


コロナ禍など関係ないというお店がある。“湯豆腐にパクチー、冷奴にパクチー”が評判のその店は、コロナ禍でも新店オープンから満席が続く。お得意さま対象のプレオープンのレセプションは圧巻。若い店主の感性に魅せられているお客さまが引きも切らずつめかけ、新たな食スタイルに共感して発信されたSNSが、店主の友だちの友だちをも新店に引き寄せる。客が客を呼ぶ。


1.コロナなんて関係ないという飲食店
「石の上にも3年」というような悠長なことはいわない。店のオープンから全力疾走。「ロケットスタート」で一気に連日満席にし、ずっと高空飛行をつづける。社会の空気を読みつつお客さまの反応を常に観察して変化をつかみ、繁盛している中で先手を打ち、見限り見切って、また新たな食スタイルの店をオープンし、ロケットスタートする。



「石の上にも3年」経営と「ロケットスタート連続」経営のちがいは店主のスマホのなかにある。「ロケットスタート・高空飛行」経営の秘訣は、①店主の時代の空気を読んだ食スタイル開発力と②店主がスマホに集めた顧客情報の活用(Digitalization)の二本柱にある。こう書けばとても簡単に見えるが、大半の経営者はそうしない。地道な活動がある。
暖簾を掲げたら、お客さまは自然に店に入ってきてくれる。来店いただいたお客さまのために全力投球で料理をつくる。お客さまに美味しいといっていただけることが喜びであり幸せであり、これまでそれでうまくいった。しかしコロナ禍で暖簾をくぐっていただけるお客さまが減り、美味しいといっていただくにも料理をつくることができず、どうしたらいいのかと悩む。
一方、「ロケットスタート連続」経営者はちがう。来店して満足いただいたお客さま一人一人とSNSでつながり、コロナ禍のなかでも一人一人と情報でつながりつづける。コロナ禍だからなにかをしたのではなく、コロナ禍前の活動がコロナ禍前につながる。


2.「リアルもバーチャルも」が食の未来


10年以上も前から社会はデジタル時代だった。様々な仮想的なモノ・コトで代替するモノ・コトにスマホで容易にアクセスできる。しかしその反面、実物や本物に出会うのは困難である。たとえば世界一美味しいフランス料理店がどこかはネットで検索すればわかるが、そのフランス料理店で食事するのは極めて難しい。実物・本物へのアクセシビリティがデジタル時代の論点となる。



「五感のすべてが伴う」食は、当然のことながらバーチャル上では食べることはできない。だから五感が必要な食は「リアル」でなければと二項対立的に考え、バーチャルを後回しにするが、デジタル時代は“リアルかバーチャルか”ではない。“リアルもバーチャルも”である。技術力の進歩で五感のうち視覚・聴覚はバーチャルの方がリアル以上に優れたレベルになりつつある。とすると、リアルとバーチャルそれぞれの強み・弱みを融合して結合して、味覚・嗅覚のみならず五感全体に訴求した食スタイルとすることによって、新たな価値をつくりだせるか否かがこれからの食の論点となる。


もうひとつある。これまで料理は調理器具などの技術開発によって調理法を進歩させてきたが、これからデジタルやAI技術に加えたテクノロジーを料理および食の環境に活用することによって、異次元の食世界を広げていく可能性がある。
〔※「なぜジョブズはすしとそばが好きか(徐 航明氏 著)」ご参照ください〕



これらもコロナ禍前に動きだし、食の場は変わりつつあった。コロナ禍のもと、郊外から都心への移動制約・外食自粛・三密対策の観点から、食の枠組みを大きく変えた。食へのアクセシビリティを高めるために、お客さまがおられる場所に近づいていく新たな食のスタイルが続々とうまれる。店頭販売・宅配・ネット通販に加えて、「オンライン」料理・宴会・料理教室に、料理人がお客さま宅に出張した料理・パーティというように、「店で待つ」から「お客さまがおられるところに行く」というスタイルなどに、食の場所が多様化する。しかしこれまでの「店で待つ」調理・経営手法が新たな食のスタイルにそのまま延長線上に使えるというわけではなく、ゼロベースで新たに方法論を編み出さなければならない。そうしないと必ず失敗する。


3.人と人がつながる「ハレ」の場の中核としての食
Amazonのジェフ・ぺゾス氏の「何が変わるかよりも、重要なものは“何がかわらないのか”である」という有名な言葉のとおり、物事には変えてはいけないことと、変えなければいけないことがある。コロナ禍があろうとなかろうと、変わらないことがある。おなかがすいたから食べる。食欲を満たすために食べる。栄養を取るために食べる ─ 機能的にはそうだが、それが食のすべてはない。

食の本質は「家族がつながる、人と人がつながる」の場と関係性をつくり育てるためにあり、みんなが一緒に食べる時空間を共有することに意味がある。英語のcompanyの語源は“一緒にパンを食べる仲間”であり、韓国語の「食口(しっく)」は“家族”を意味する。これまで食を日本は機能論に捉えすぎて本質を見失ってきたが、コロナ禍で食の本質をとり戻そうという動きがはじまりつつある。


日本人の生活の価値観に、「ハレとケ」(ハレ=儀式・祭・行事という非日常と、ケ=普段の生活という日常)がある。ハレの日は家族や親戚・友人・仲間とともに一堂に会して食を共にすることで記念日を祝い、みんなの思い出をつくってきた。これはコロナ禍後においても、変わらない「食」の本質である。めったに会えない・集まれないからこそ、知恵を出して工夫して、「食」という場を大事にしようとする。コロナ禍のなか、自分の家で、誕生日会やパーティや法事をする人が増えだしている。


これまで「ケ」(日常生活)においては、効率的に合理的にスピード・コスト重視で、安く楽に早く簡素に食をとってきた。この軸はこれからも技術を活用して深化していくだろう。


しかしもう一本の軸として、人と人のつながりを大切にしようとする社会的価値観は高まり、家族・親戚・友人・仲間とともにすごす食の時空間を輝くものにしようという動きが広がっていく。その食の時空間は日本的モノづくりの本質「機能性×精神性×洗練性×多様性」を踏まえたものとして、日本文化の精神性を内包しつつ洗練させ磨かれていくのが日本の食の未来の姿。


note日経COMEMOで書きつづけているコロナ禍後社会を考えるを核とした連続講座の第5回目を、10月20日(火)に「生活者視点からコロナ禍社会を考える」をテーマとして開催する。ご関心があられる方は、ご参加を。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)


〔日経新聞社COMEMO 10月14日掲載分〕

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