真っ二つの結論。やはり二項対立。YesかNoか、賛成か反対か、未来を生きるか過去に生きるか。賛成でも反対でもない人もいただろう、賛成で反対だという人もいただろう。そもそもの意味が分からない人も多かっただろうが、住民はどちらかを選択せよといわれた。
“じゃ、どうなったらいいの?大阪は東京みたいになったらいいの?じゃ、これからどうなったらいい?じゃ、あなたの会社はどうなったらいい?じゃ、あなたはどうなったらいい?― あなたはそれらに答えられるのか?
1.ステイホームで、あなたはなにを考えているのか。
人が受けとる情報で、いちばん豊かなのは、視覚情報。次は文字情報で、その次は音声情報といわれる。文字は目から入り、頭で解釈する。コロナ禍でテレワークとなり、これまでのような形での情報が入らなくなった。ステイホームとなって会社や学校のみんなと一緒にいることが少なくなり、ワイガヤができなくなり、一人で家のなかで静かに考える時間が増えた。テレワークのなかで、あなたはなにを考えているのか?
“私はなにをしたいのか?”
“ボクはどういう風に理解されたいのか?”
不安の裏返し。コロナ禍で不安というのではなく、「自分は何者なのか?自分はどう理解されたいのか?」という問いに答えられないことへの不安が本質である。
2.人と人とが知り合い親しくなるためには
みんな、職場にいっしょにいて毎日すごしていると、いろいろな角度から様々な情報やノイズが自然に目に、耳に入ってくるから、なんとなく職場の人のことが理解できていた。しかしコロナ禍になって、みんな、いっしょのところに集まって会って話すという機会が減り、お互いにお互いのことが分からなくなりつつある。
オンラインが普通になると、どこでどのようにして人と人が知り合うのだろうか。会社もそうだが、大学もそう。大学の今年の新入生は最初からオンラインばかりだと友だちが作れない。そして男女。どのようにして知りあっているのか、これからどう知り合うのか。オンライン時代、異性観はどうなっていくのだろうか。
人と人が出会い、親しくなるためには、相手を理解する必要があるが、そもそも自分を理解してもらうことが大事。では相手に、あなたの何が理解されたら、あなたは安らかになるだろうか。それにあなたは答えられない。みんな、自分の気持ちをわかってもらいたいと思っているが、あなたはあなたのなにをわかってもらいたいのかがわからない。これでは理解しあえない。
3.みんな、不平・不満をいう
たとえば働き方。働き方で、なにが不満なのかと訊くと、「楽に働きたいとかオフィスのレイアウトを変えてほしいとか残業を減らしてほしいとか、社外の研修を受講させてほしい」とかをいう。そういう事柄全部、わかった、君たちの言う通りにすると、それらの問題を解決して、仕事は楽になった。しかし成果はおちた。そうなったら、その人はどうなるのか?
競争社会だから、楽をした人は競争から落伍していく。ある人が「楽」をしている時に、苦労を引き受けて努力する人がいたら、その人が勝つと考える。みんなが手と手をとりあってゴールするのがいいと理想論的に考えるのもいいが、世の中は競争が前提。
平等に競争できる環境になったからといって、それで勝てるとは限らない。運よく勝つ人もいるが、負ける人は必ずいる。そうなったら、また不平不満をいいだす。
不平・不満をいったり、平等でないというのはいいが、中学・高校時代にもっと勉強したらよかったのではないか、大学時代に努力したらよかったのではないか、会社に入っても勉強しつづけたらよかったのではないかといったら、“それはそれとして”、それらを横に置いておいて、「自分だけ損なことばかりさせられている」とか、「自分だけしんどいことをさせられている」とかいったりする。それがわかったとして、“じゃ、なにがわかってほしいの?”と訊ねたら、「私も頑張っている。私も一所懸命している」という。“いや、それもわかった。それで、どうしたいの?”と訊くと、答えられない。その人に、相手の人に理解してもらう自分の具体的イメージがないのだ。現実、そういった人が多い。
4.なぜあの人は評価され、自分は評価されないのか
自分はきちんと評価されていないというけど、”じゃ、何をわかってもらったら、なにを理解してもらったら、あなたは安心するの?“と訊かれても、答えられない。
「問題だ問題だ」というのはいいけど、”じゃ、どうなったらいいのか“が答えられない。大阪市と大阪府の二重行政は問題だというけど、”一本にしたら、どうなるのか“が答えられない。男女平等になっていないことが問題だということで、”男女平等となって、あなたはどうなりたいのか“が答えられない。M&Aもそう。AとBをあわせて新たにCをうみだすと考えないといけないのに、規模の拡大にしか目が向かないのと同じ。
もやもやする。いらいらする。なにか違和感がある。“じゃ、あなたはどうしたいの?”ということに、たどりつけない人が多い。不平不満を滔々と語るが、“じゃ、どうしたいの?”と訊くと、「いやね、私、人並みに頑張っているつもりだから、みんなから正しく評価してもらいたい。敬意をもって接せられたい。“と言ったりする。人並み以上の成果・業績がある人ならば、ほっといても敬意をもたれる。いろいろなところから声がかかる。なんでもない人は敬意などもたれない。声もかからない。
“それ、私がやった。ボクがやった”という人も多い。
それはわかった。しかしそもそも、“あなたの何をわかってもらいたいの?”と訊いても、それに答えられない。黙っていてもわかってもらえる人が少ない。結局、理解されたり、わかってもらえることをしていない。だから、そう扱われない。なにかしらすごいことをしていたら、黙っていてもあの人はこんなにすごいと一目置かれる。
本当に実力のある人は自分でアピールしなくても、人はほっとかない。誰よりも中身がある、人並み以上にやってきたことがあると、社会はそういう人を探しているから、ほっとかれることはない。あなたはどうなったらいい?
(上、了)
(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)
〔日経新聞社COMEMO 11月4日掲載分〕