あなたの会社が社会からなくなっても誰も困らないとなると、あなたの会社は存在する必然性がなくなる。あなたの会社に仕事がなくなると、会社は存続できなくなる。あなたの仕事がなくなったら、会社にいられなくなる。コロナ禍前とコロナ禍後では、“仕事がある・仕事がない”の意味が大きく変わる。
“仕事は上司から与えられるもの”と多くの人はこれまで、思ってきた。これからは上司から仕事が与えられなくなるかもしれない。これまでも、できる人は自ら仕事をつくってきたが、コロナ禍後は自ら仕事をつくっていかないと、あなたの仕事はなくなる。
コロナ禍前、上司にガッツを示すことで仕事を与えられたり、毎日のようにお客さまのところに通って宿題をもらい一所懸命に応えることで、じゃそれやってみて…と、仕事をつくってきた人もいる。しかしコロナ禍のいま、そんな「人間業(わざ)」では通用しなくなろうとしている。
テレワーク時代、あなたはガッツを示せるのか?
オンラインの世界では、ガッツは示せない。では、あなたはどうしたら仕事にありつけるのか?
多くの人は、仕事は上司から分配されるもの…と思ってきた。会社には仕事があり、みんなで役割分担してワークしないと処理できないから、会社の仕事は分配されるものだと信じていた。
テレワークになって、自宅のパソコンの前に座って、仕事の分配を待つ。だからオンライン会議には皆勤で、「餌」が分配されるようにカメラを凝視する。モニターの向こうの上司に自らの存在感をアッピールして、上司から「これ、やって」と声をかけられるのを待つ。しかし会社に仕事がなくなっていくと、仕事はおりてこなくなる。
だからテレワーク時代では、自分の仕事をつくるために、自らが「提案活動」をしないといけない。
たとえばオンライン会議が進むなか、問題らしきことが浮きあがってきたら、
というように、自らが提案しないと、仕事にありつけない。
仕事は、コロナ禍のこの半年で大きく変わった。自分から、自分に仕事をオファーしないと、自分の仕事はつくれなくなる。これまでも出来る人はすでにそうしていたが、仕事は上司から与えられるものと待っている人がいまだ多い。
上司も、どうしたらいいのか、分からくなくなっていく。
リモート・分散ワーク・オンラインが主流となり、上司も訳が分からなくなっている。目の前にいた部下がいなくなった。一日中、同じ所にいて、いつでも声をかけることができたが、そうでなくなった。コロナ禍のいま、どうしたらいいのだろうかを自問している。部長や課長の仕事ってなんだろうか、部長・課長の役割ってなんだろうか、と分からなりつつある。
コロナ禍前の部長や課長の役割は、部員・課員みんなのモチベーションをあげること、決断することだったが、モニター越しに“私は、みんなのことを信用している”と言っても“なんなの”という空気になったり、“みんな、頑張ろう”とモチベーションをあげようと声をかけても、しらけたりする。
オンライン時代の部長・課長の役割は、どうなるのだろうか?
とてもシンプルになる。責任を果たすこと、ミッションを遂行すること、自らの目標を達成するという義務がクローズアップして、それ以外で」上司としてメンバーに影響力を与えられなくなっていく。
これまでの上司とメンバーの上下の関係が薄れていくのは必至、そしてメンバーどうしの斜め・横の関係も薄れていくのも必至で、テレワーク時代の新たな関係を構築していかねばならないのに、コロナ禍前の対面主体のマネジメントで、オンライン時代においてしようとするから、上司も部下も仕事の進め方がちぐはぐになる。
たとえば課の目標達成が厳しくなったとき、コロナ禍前ならば、みんなの眼を見て「こんな数字だったら、うちの課はつぶされるぞ!」と叱咤激励して士気を高めたりしてきたが、オンライン会議時代のいま、そんなことを言ったら、「潰れたっていいじゃないですか。必要とされるところに移ります」とメンバーに言い返されるかもしれない。出来の悪い課長には、メンバーもついてこなくなる。
この半年で、働く人の価値観・あり方の基盤が大きく変わった。
リモート・オンラインにてできるならば、わざわざスーツを着て満員電車に乗って時間をかけて会社に出てくるな、出張するな、無駄な時間もコストもかけるな、となった。
とすると、働く人も、いままで決められてきた「こうしなければならないこと」をしなくていいことになるテレワークとなり、みんなが集まるという意味の「会社」に毎日行かなくていいことになった。働くという意味が180度変わろうとしている。そうすると、会社からあなたが給与をもらっている理由は何かが問われるようになる。
そして、これから半年、組織上の役職者のあり方は大きく変わっていく。
オンライン時代の会社において、部長・課長の機能は本当にいるのだろうか?
少なくとも、これまでのような部長・課長はいらなくなるだろう。
(日経新聞社COMEMO 11月30日掲載分)
〔エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明〕