子どもや孫に、ずっと読み聴かせる童話やおとぎ話がある。その物語のルーツとなった謂れ・エピソードがその地にあっただろうが、代々親が子どもに読みつがれてきたのには意味・理由があった。生きていくうえで伝えたいことを物語に込めていた。しかし江戸時代は人々の記憶から遠くなって、コンテクストが消え、コンテンツだけになり、意味が分からなくなっている。
1.あなたは、「わらしべ長者」を覚えていますか?
子どものころに、おとぎ話「わらしべ長者」を読んだり聴いたり見たりした人は多いだろう。金持ちになりたいと願った若者がわらしべを拾ったあと、出会った人々と次々に物々交換して、ついには立派な家屋と畑を手にして大金持ちになったという話。このおとぎ話をどう読むかであるが、大半の人にはこの物語が代々語り継がれてきた意味・本質が伝わらなくなっている。
「わらしべ長者」は、こんな物語だ。 |
このおとぎ話を、「理論的」な現代人は、どう考えるのか?
藁(わら)を拾ったからと言っても必ずしも長者になれるわけないだろう、と馬鹿にする。この若者は藁を拾ったあと、いろいろな確率と偶然が重なって、結果として長者になっただけだろう、と理屈を並べる。仮に長者になったとしても、逆算すると、藁を拾うという選択肢はないだろうと、現代人は考える。ここに問題がある。
「わらしべ長者」は、なにを意味するのか。
わらしべ長者は、偶然の話ではあるが、藁を拾ってから長者になる道筋を強く想い、不退転の決意で、情熱を傾けて努力しつづけていると、長者になれるかもしれないということ。
コロナ禍の現在の日本に必要なのは、藁を拾うということではないだろうか。コロナ禍によって、これまでの社会システムがリセット(大断層)しようとしている日本において求められるのは、最初の一歩である藁を拾うということではないか。
2.藁を拾うとは、なんだろう?
スポティファイのCFをよく観る。
2008年に北欧のスウェーデンで創業したスポティファイは、音楽ストリーミングサービスで世界の音楽配信を支配している。13年前に、ストックホルムで、この事業をスタートしたとき、世界的企業になれると考えていたかというと、そうではなかっただろう。なにが大切かというと、スポティファイははじめたことを大成功させたということ。
コロナ禍の音楽産業では、 |
またDVDの郵送サービスから事業をおこしたネットフリックスもそう。創業していた事業から、1997年に映像ストリーミング事業に転換したとき、周りから“そんなもので、お金がとれるわけがない”と笑われただろうが、映像ストリーミング事業をネットフリックスは大成功させたのだ。
最近の日本人には、これができなくなった。
昔の日本人には、そんな人、そんな会社はいっぱいいた。どんなことにもチャレンジした。どのようなことにも取り組んだ。最近の日本人は、“それをやってなんぼのもんやねん”と考えてしまう。だから藁を拾わない。
何を始めるのにあたって、なんとしてもそれを成功させるのだという想いで取り組なければ、成功しない。GAFAもそう、スポティファイもそう、イケアもそう。そんなのありえない、絶対に無理と思われていたものを成功させて、馬鹿にしていたみんなを唖然とさせている。
もうひとつ大切なことがある。
その情熱をかけている期間は何十年もかけているのではなく、それぞれの事業を何年間で実現させているということ。今の時代、情熱があれば、数年で大成功する可能性だってある。DX時代、時代速度はとてつもなくスピードアップしていて、あっという間に変わることがあるということ。世界にできて、日本が成功できないわけがない。まず藁を拾おう、そこからだ。
3.もちろん藁を拾うだけでは、成功しない。
藁を拾う人に、欠かせられないのは、情報や戦略だけではない。
インスピレーションが必要。それを手にした瞬間、それを見た瞬間、アイディアが湧いた瞬間、これがどうなると直感する力である。この力のあるなしが、全体の絵姿を違ったものにする。
日本人に、この力が弱くなった。
湧いたインスピレーションを信じ、実現に必要なモノ・コト・ヒトを投入する。知識が必要ならば知識を段取りして投入する。仲間が必要ならば仲間を集めて、役割分担して全集中する。そうして大成功してきた日本に、いつからか、最初に知識があったら仲間が集まったら、なにかができると考えている人々が増え、インスピレーションを軽視するようになった。
ボクはこう思う、ワタシはこれだと発想する人がいて、それを進めるうえで必要な金や人を集めて、ひたすら集中することで、成功させ大きくさせてきた。 |
ホンダの創業は、本田宗一郎氏が、自転車を漕いで遠くまで買い物に行く妻をなんとか楽にできないかと、旧陸軍が使っていた無線機の発電用エンジンを自転車に取り付けた事業からはじまり、世界企業にさせた。
トヨタの創業もそう。創業者である豊田佐吉氏が、自分の母親がもっと楽に織れる機械がつくれないものかと、木製の動力織機をつくった。そのはじまりから、世界のトヨタになった。
なにをいいたいのかというと、
たいがいの物事のはじまりは、藁と同じようなものではないか。その人がその藁を拾ったとき、その時代に「成功」していた周りの人たちは“そんなくだらないもの”“そんなものなんぼのもんや”と言って笑ったのではないだろうか。しかし笑われたかもしれない人・会社は、その拾った藁から、会社を大きくさせた。今では、誰も笑えないくらい大きい会社となった。
藁を拾って、どうするか?
これではやっていけない、無理だという前に、拾った藁を大きくしたらいいのに、それをしなくなった。どうしてそれができなくなったのかというと、楽をしよう、近道をしようとばかり考えるようになった。藁を拾うことは遠回りでもないのに、藁を拾わなくなった。藁は身の回りにある。本当はそれを見ているが、その本質に気づかなくなった日本。これからどうしたらいいのかは、次回に考えたい。
(日経新聞社COMEMO 1月5日掲載分)
〔エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明〕