「ホワイトカラー」といわれる人たちの仕事の着地点が見えない。上司から命じられたこと、言われたらことをおこなってきた。だから自らで「仕事」をつくれといわれても、大半の人は「仕事」をつくれなかった。そんななか、コロナ禍となり、テレワークを命じられた。眼の前に、いつもいた上司がいなくなった。そして緊急事態宣言が発出された。会社にいけなくなった。よけいに仕事をつくれなくなった。仕事をつくれなかったら、いつか、“あなた、もういらない”となるんちゃうかと不安になる。
「藁をひろえ」といったって、どないしたらええんや?どこに、藁が落ちてるんや?モノをつくる人には、“藁をひろう”チャンスはある。モノという着地・ゴールがあり、上流・源流には大本(おおもと)の材料がある。しかし日本の労働者人口の多くを占めるサービス業は、“藁をひろえ”といわれても、なにが最終の着地点なのか、上流・源流の原料はなにかは、ピンとこない。
どないしたらえんや。
一休さんの「屏風の虎」のように、「屏風から出してくれたら、虎をしばった」の頓智のように、“なんでもやります。言ってくれたらやる。教えてくれたら頑張る”という受け身の人が圧倒的に多い。
ものづくりの上流・源流は原料であるが、サービス業の上流・源流である「原料」はなにかというと、お客さまにサービスをおこなうあなた自身である。サービス力を高めるには、原料であるあなたが、お客さまが喜んでいる姿を想像(イマジネーション)して、そのお客さまの姿の実現に向けてどれだけ力を注げられるかである。上流・源流から最終まで、最大限に喜んでいるお客さまの姿の実現に向けて、いかに創造(クリエーション)できるかである。すべての段階のそれぞれの「あなた」がお客さまの喜ぶ姿を想像して、何ができるかを考え、それぞれが創造し連結してきたコト・モノの総和が、最大のお客さま価値を生む。自分勝手に“こうだろう、他社はこうしているからわが社はこうだ”と考えるのではなく、お客さま目線でお客さまが喜ぶ姿をどれだけ想像しきるるかが大切である。
だからこそ、「あなたに、なにがある」かが問われる。お客さまが喜んでいる姿を想像し、お客さまの価値を生みだす創造力(クリエーション)が求められる。想像力と創造力を鍛えるのだ。
大事なことがある。その想像力(イマジネーション)と創造力(クリエーション)の順番を間違えてはいけない。想像して創造する ―― この順番が大事である。創造してから想像ではない。たとえばタスクが決まっていれば、仏像を彫ることはできる。設計図があれば彫ることはできる。そんな仏師は普通。木を見て、そこに仏像が見えなければ、一流とはいえない。想像力(イマジネーション)がなければ、いくら創造力があっても、お客さまが感動する仏像は彫れない。一流にはなれない。
デザイナーは、この想像と創造の狭間に揺れる。
クリエイト能力はあるものの、なにをデザインしたらいいのかがわからないデザイナーは意外に多い。イマジネーションできなければ、本来のクリエイトができない。人はどうなったら嬉しいのか、どんなことを望んでいるのか、だったらこんなものを作ろう…というように、イメージをふくらませることができないと、いくらクリエイト能力があっても、すごいモノはつくれない。そんなイマジネーションできないデザイナーが増えた。
たとえばこの材木でこんな仏像をつくってといわれたら、良いモノをつくることができる人は多い。しかし現在の日本に求められているのは、「木を見てこんな仏像をつくろう」と目に浮かべることができる人。その木を見て、想いを馳せて、そこになにを見るかが、今の私たちがとり戻していくべき力である。この想像力(イマジネーション)をどう磨くかである。
手塚治虫氏の「鉄腕アトム」が世にでて69年。その鉄腕アトムを、現在、見ても、そんなに違和感がない。漫画家の想像力はすさまじいと圧倒される。科学の子10万馬力の鉄腕アトムが活躍する未来社会を見通した手塚治虫氏の想像力はすごい。むしろ鉄腕アトムをめざし、ロボットづくりを日本の技術者が奮闘努力したのではないかとおもえるくらいの未来観である。「鬼滅の刃」もそう。鬼滅の刃の舞台として100年前の大正時代がリアルに描かれている。当時の社会を撮った映像よりも鮮やかな時代の空気が描かれている。時代をさかのぼる吾峠呼世晴氏の想像力にも圧倒される。
ゲームもそう。こういう時代で、このようなキャラクターで、こんなストーリーで、こういうゲームにしようという 想像の連続体で描いていく、すさまじい才能に圧倒される。小説家もそう。全体像を思い浮かべ、主人公や登場人物たちが時代を物語る構図を描き、そのあと肉付けしていく想像の連続体はすごい。そしてすべてを想像しきってから、一気に原稿を書き出すという類い稀な才能はすごい。
想像とは、わらしべ長者が最初に手にした藁のようなもの。想像力を発揮しなければならないのは、アートやデザインやクリエイターなど創造にかかわる人だけではない。ものづくりに取り組む人も、ホワイトカラーも、サービス業に従事している人も、学校に通っている人も、想像力が発揮できないと、これからのデジタル社会は生きていけない。コロナ禍、コロナ禍後を生き抜くため、まず身のまわりを見まわして、今まで気づかなかった、すごいことになるかもしれない藁を拾って動きだすことが必要ではないだろうか。
もうひとつ大切なことがある。藁をつかんだ人を笑ってはいけない。藁をつかんで熱くなっている人を、周りの大人・仲間は笑ってはいけない。そのつかんだ藁、つかんだ着想はすごいことになるかもしれない。つかんだ藁に燃えあがっていたり、これでボクは有名になるのだと頑張っている人に、そんなことをしてアホちゃうかと笑ったり、そんなの無理だからやめなさいといってはいけない。ワタシはこれで世界一になるという人を笑ってはいけない。では、どう言ったらいいのか。
と言えばいい。面白がったらいい。
コロナ禍のなか、「どないしたら、ええんやろか」と考えている人が多い。いままでうまくいっていたことがコロナ禍でダメになった、なにをしたらいいのかと悩んでいる人々のなかには、藁をつかんだ人もいる。しかしよくないのは、“これですぐ金になる”と考えてしまうことであること。
ともすれば、下流の事柄で、いままでの焼き直しというモノ・コトが多い。そうではなく、大本・源流にさかのぼって、そもそもの本質をおさえ、それを実現するために、これをやろう、あれをつくろうというアイディアを発想しよう。そのように発想されたアイディアを周りは笑ってはいけない。やってみなはれ。そういうふうに物事の発想・見方を変えよう。
物分かりのいい大人になれというのではない。その子どもが、その人が何かに情熱を燃やしているとき、まわりの人は成功を祈る。何かに情熱を燃やそうとしている人を笑ったり、そんなことやめたらと言ってはいけない。そんなことやったって生活できない、食べられないと言っているあなたがいま食べられなくなろうとしている。漫画家になりたいといっている子どもに、漫画では食べられない、そんな夢みたいなことを言ってないで、ちゃんと勉強して大学に行きなさいと言っている親がリストラされようとしている。食べられるか食べられないかではない。それで食べていこうと決めて一所懸命に頑張ろうとしている人を笑ってはいけない。
そういった社会的価値観が、海外は確立している。どんなことをはじめても、そんな夢みたいなことはやめときとか、そんなの無理だとかと、世界はだれも馬鹿にしない。日本人は、そんなことやってメシ食えるのかとすぐ言うが、海外はそんなことは言わない。
と、応援する人が多い。だからGAFAもネットフリックスも大きくなり、スポティファイも大きくなった。
コロナ禍のなか閉塞している日本。コロナ禍後に向けて、モノづくり、コトづくり、人づくり、まちづくりに限らず、あらゆる領域で日本人が持っていた発想力、想像力を再起動できないだろうか。そして藁を拾って、情熱を注いで、動きだす人や会社を笑わない。いままでの「社会的常識」で、見下げてはいけない。
たとえばエンターテインメント。漫才そのものは笑えばいいが、M-1をめざす人を笑ってはいけない。漫才なんて勉強できない人の芸だ、いい大人がする商売だと笑ってはいけない。人に知られていないスポーツで世界一になるといって一所懸命に取り組んでいる人を笑ってはいけない。普通の人ができないことをやってのける才能をすごいと敬意を表さないといけない。
コロナ禍で、これまでの考え方、既成の社会的価値観は通用しなくなろうとしている。一所懸命に受験勉強して、いい大学に合格して、いい会社に勤めて、いい人と結婚して、いい子どもを生み育ていい学校に通わせ、家を建て、子どもが独立して、定年退職して旅行や趣味を楽しむ…といった約束された人生設計が崩れつつある。人気ランキング企業も、何十年も同じであるなどあり得ない。
にもかかわらず、今までの発想・価値観で、これはダメあれもダメ、あかんあかんと言って、まわりのやる気をなくさせてしまっている。自らが変われないから、これまでどおりの価値観で、いままでどおりでなんとかなると、いままでを押しつける。そんな人は、無理に変わらなくていい。新しいことが分からなければ、身を引けばいい、若い人に譲ったらいい。世代交代すればいい。
身のまわりを見つめると、いろいろなアイディアが転がっていることに気がつく。自分のそばにあったが、いままで見向きもしなかった藁が見えてくる。コロナ禍のなか、そこから始めよう。藁をひろったら、そこから成功にたどり着くまで、情熱をこめてやりきる。なんだっていい、身のまわりを見たら、ヒントや原石は転がっている。あっと驚くようなモノ、コト、スガタが見えてくることがある。それをひろって、動きだそう。
(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)
〔日経新聞社COMEMO 1月15日掲載分〕