私は三兄弟で、三人とも大阪の自宅の近所の助産院で生まれた。私の息子は妻の兵庫の実家の近所の産婦人科医院で生まれた。孫は先日、息子夫婦が住む東京の助産院で生まれた。私は、おじいさんになった。
母は三人の子どもをとりあげてくれた助産師さんに、なにかあると相談に行った。実家の母にそうそう連絡できなかった50年以上前、私の母にとっての助産師さんが、大阪での「お母さん」だった。
1.いまなぜ“助産師”さん
その助産師さんが「顧問助産師」さんとして企業で活躍されているとの記事に接し、子どもの頃、母に連れられ助産院に行っていろいろなことを話していた母の姿を思い出した。助産師さんが現代に再起動していること、理解できる。
日本人の家族のカタチが、日本史上経験したことのないスピードで変わった。戦後、地方から都会への“若者大量移動”を契機に、戦後75年3世代で、家族のカタチが大きく変わった。祖父母がいない家が増え、家族のなかで訊きたいこと、分からないことがあっても、誰にも相談することができなくなった。
家族の人数が減ったので、家族と住んでいても、ひとりの時間が増えた。大家族時代ならば、家に誰かがいて話をしたりわからないことを相談したりすることができたが、核家族時代となり家に誰もいないひとりの時間が増え、テレビ、ゲーム、スマホに向かう時間が起きている時間の半分を超え、圧倒的な「ひとり」時間がうまれた。コロナ禍のテレワーク時代になって、さらにひとりの時間はのびているだろう。”寂しくないのか”といっても、スマホがあるから大丈夫という。”孤独”という概念すら変わろうとしている。
スマホ前の核家族・一人暮らし時代は、家の外にいる人とのコミュニケーションは電話だったが、そうやすやすと”答え”を持っているだろう人はいなかった。それがネットで検索すれば、いっぱい「答え」がでてくるようになった。人に触れ合うことなく情報を手にすることができるようになり、ネットで集められる情報は増えた。
モノを買ったり、食べに行ったり、遊びに行ったりする場所などの検索ならいいが、“子ども”にかかわることになると、スマホで検索した“答え”は“ほんまかな”“なんかちがうんとちがうのかな”と納得できなかったり、気になったり、心配になったり、不安になったりする。
そこで、誰かれと訊けない、相談できない、これから生まれてくる“子ども”のこと、愛する“子ども”のことを不安に思う“自分”に寄り添ってくれる“顧問助産師”さんが登場したのは、社会の必然である。こうしてかつてあった助産師が新たな方法論をもって再起動しつつある。
2.かつていたのに、いなくなった人
数十年前まで大阪に、「歩き屋さん」がいた。
LINE、メッセンジャーなどなかった時代、家と家をつなぐ歩き屋さんがいた。歩き屋さんは家族だけがいるはずの家の奥の居間になぜか座っていたり、お菓子を食べたりしていた。時々、洗濯物をたたんでくれたり遊んでくれたりするが、なにをしているのかわからない人だった。歩き屋さんはいつかしら家にあがってきて、いつかしらいなくなる。
実は歩き屋さんは家の者の代理として別の家に用事を伝えにいく仕事をしていた。家と家の調整役を、“第三者”の歩き屋さんがおこなっていた。家と家、人と人のつなぎ役だった。
電話や、今ならSNSで直接に伝える用件を、歩き屋さんがわざわざ歩いて口で伝えに行って家と家がうまくまわる役割をはたしていた。当事者どうしが直接やり取りしないで第三者が間接的に関与することで物事を円滑に進めた。その歩き屋さんがいなくなった。
もうひとりいなくなった人がいる。叱られ役である。江戸時代の大坂の子どもは寺子屋で勉強した。そのなかで悪さをした子どもが師匠に叱られそうになると、その子とは別の子が師匠の前に、さあっとあらわれて叱られる。その日の叱られ役である。当番である。叱られ役は「叱られ役」だから精一杯叱られる姿を演じる。
叱られ役だから傷つかない。師匠は師匠で、本当に叱る子どもではないのでおもいきり叱る。師匠も間接的だから心苦しくない。本当に言うべきことを言う。本当に叱られるはずの子は、師匠と叱られ役の姿を見て、反省する。直接的ではなく間接的だからこその教育システムだった。
寺子屋でなんども注意されるが改めない子どもは“破門”になる。突然“破門だ”といわれ、寺子屋から出ていけといわれるわけではなく、事前に家に連絡が行く。この日にこの子を破門するからと事前連絡があったうえで“破門”が言い渡される。
“破門”といわれた子どもは、寺子屋に入塾したときに持参した机を背負って帰ろうとする。するとその子の住んでいる町の長老が寺子屋にあらわれて、“私に免じて許してやってほしい、私がちゃんとみるから”と師匠に詫びをいれる。これも事前に子どもの家族から長老に相談した“町ぐるみ”の演技である。このようにして子どもは地域全体で育てられる素晴らしい教育システムだった。それがなくなった。
3.変わること、変わらないこと
コロナ禍が収束すれば、元に戻るのか元に戻らないのか。
どちらでもある。正確に言えば、変わることと、変わらないことがある。よく「衣食住遊学」といったりするが、仕事と医療を加えて「仕事・衣・医・食・住・遊・学」が生活の基本機能であるが、コロナ禍後社会において劇的に変わるように見える。コロナ禍で「不要不急」とか「外出制限」となり、需要がなくなったり、急に需要が増えたり減ったり、技術で便利になったり効率化されたりして、外形的には大きく変わったように見える。
しかしすべてが変わるわけではない。「物事の本質・人としての本相」は変わらない、変わるのは「方法論」。その本質・本相を実現する方法論は、時代のドライバー(社会的価値観・新技術・時代の風土)の変化で変わる。目に見えるものは変わり、目に見えないものは本当は変わらない。しかし目に見えない大切なものは、常に意識しなかったらわからなくなったりなくなったりする。
たとえば食。「大切な日に、大切な人と、美味しい料理を食べながら、ともにすごしたい」という人の気持ち、本相は変わらない。コロナ禍の感染リスクを勘案して、これまで「お店に行って食事する」という形から、「店で提供していた食事を宅配する」という形になったり、料理人が訪問して料理するという形に変わる。これが人の本質・本相を実現するための方法論の変化である。これは変えつづけないといけない。つまり「お客さまがそのお店に行く」というスタイルから、「料理人がお客さまのもとに行く」というスタイルになっていく可能性がある。
大切なことは、変わらない人としての本質・本相を見極めて時代のドライバーを捉えて自ら変わっていかなければ、お客さまから見放される。
「顧問助産師」は変わらないことを社会のなかでの本質をつかみ、時の流れに自らを変えて再起動しつつある。
経営は「環境適応」とか「時流適合」が大切だとかよくいわれるが、変えていいことと変えてはいけないことがある。すべてかえていいというわけではない。
あなたは「変えないこと」と「変えること」をイメージできているだろうか。
(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)
〔日経新聞社COMEMO 2月11日掲載分〕