「東京から来ないでください」に「東京に来ないでください」― このやりとりにコロナ禍の本質が凝縮されている。東京の人たちがショックをうけたのは、コロナ禍になって、「東京の人は来てくれるな」とか「東京から帰ってこないで」といわれたこと。それが、東京と郊外・地方との形勢が逆転した局面だったのではなかろうか。
1.東京から来る、東京から帰るということ
コロナ禍までは、東京から来たら、帰ってきたら、
東京の人が、新しいモノやコトや情報を持ってきてくれた。最先端のビジネスネタやファッションやスイーツや感性・感覚をもってきてくれた。“東京から来る” “東京から帰って来る”ということは、
それがコロナ禍になって、変わった。
実はそんなモノやそんなコトや情報は、どこにいても、どこからでも入手・調達できるということは、「ネット社会」になって元々分かっていた。コロナ禍となって、「オンライン社会」が本格化したことで、全世代が気づいた。
東京から来てもらわなくても東京に行かなくても、地方にいても殆どのモノやコトを手にすることができる。内々の情報も、東京の人だけ手に入るのではない。朝から晩まで24時間飛び交うネット・SNSを見れば、大半のことはつかめる。
そのうえ日本中から世界中からいろいろな人が集まる高密度な集中場所である東京はコロナ感染リスクは高いとして、”東京から来てくれるな” ”帰って来てこないで" という場所になった。
それらが、脱東京を加速させている。
…ということは、コロナ禍前も頭では分かっていたが、コロナ禍による強制的移動・行動制限が断続的につづき、東京の人も地方の人も新たな枠組みでの行動様式を繰り返すなか、”そうなった”と認識・納得せざるを得なくなりつつある。
2.都市と郊外はどうなっていくのか
この一年、コロナ禍がトップニュースで流れる。まず全国と東京の感染者数がセットで伝えられ、朝も昼も夕方も夜もコロナ禍報道で一色、銀座・澁谷など東京の街の風景が毎日のように一映し出されると、コロナ感染をコントロールすることが難しい大都市「東京」を印象づける。
そうすると、地方の人にとれば、地方でもできるのに、地方に住むほうが良いのに、コロナ感染リスクの高い巨大人口都市東京に行ったり、こんなに高い家賃の東京に住んでいるのだろうと思うようになり、一年経ったコロナ禍に、
という将来不安から、東京ばなれがはじまり、明治維新以来の歴史的な「東京ばなれ」がおころうとしている。
都市とはなにか。 |
3.オリンピックの決断は
コロナ禍2年目になって、アンカーだった東京オリンピック・パラリンピックのイベント性・象徴性が無くなりつつある。コロナ第4波が進行するなか、東京オリンピック・パラリンピックの開催が危ぶまれている。開催するのかしないのか、万全なコロナ感染対策をおこなって開催したとしても
という記憶をコロナ禍とともに残すことになるだろう。仮に開催できなかったとしても、同じような空気となるだろう。コロナ禍の真っ只中で、東京オリンピック・パラリンピックをやるのかやらないかの決断が、日本のみならず世界の現代社会に影響を与えるのみならず、「コロナ時代」となるだろう2020年代社会に長期にわたって影響を与えることになるかもしれないから、その選択は難しい。
オリンピック、やるやらない。 |
4.東京以外でも、できますからね
ネット・オンライン社会によって、コロナ禍前において「東京性」が実質的に必要でなくなったことに加え、コロナ感染管理が物理的に困難なほど「巨大化した人口集中都市」東京が敬遠され、「世界都市」東京でなければ味わえなかったオリンピックのようなシンボリックな「イベント性」もかすみだした。なによりも昨年から同じようなことを繰り返されるコロナ対策に辟易しだした。これらで、東京は一気に評価をさげた。みんなを惹きつける力が落ちた。
東京から住まいを別の都市や郊外に移す人々、東京から本社をひきあげる会社が増える。その人・企業に、“都落ちだね”とか“地方に行くのですか?”とは誰もいわなくなる。むしろ
そういう空気になった。これから「東京が中心である日本」はどうなっていくのだろうか。
(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 弘明)
〔日経新聞社COMEMO 5月7日掲載分〕