1年前のこと。2020年6月に、ダボス会議議長がその年のダボス会議で、「戦後システムは時代遅れ。リセット・人々の幸福」を中心とした経済のあり方を議論したいと語られた。戦後システムは適合不全となった。だから戦後の資本主義システムをリセットしなければ、人々の幸福をめざした経営をめざそうと。そして1年も経った。
1. 適合不全時代
それから日本はどうなったのか。日本でのリセットは進んだのだろうか。コロナ禍を近代以降の明治維新、敗戦につづく3度目の大断層、戦後75年のリセットをする時期ととらえるか否かで大きく差がつくと、1年前に考えた。
コロナ禍になったから、適合不全となったのではない。コロナ禍の前から、日本の社会システムの多くは適合不全となっていた。戦後を中心とした過去から継承してきた社会の考え方、形、仕事の方法、仕組み、ルールなどが現在とずれ、適合不全となった。にもかかわらず、日本は戦後システムに無理やり合わそうとすることで、また新たな問題をひきおこしたりもした。
本当は多くの人は気づいていた。前提条件が変わっていることはわかっていたのに、自らを変えることなく、今まで通りで「なんとかなる」と考え、今まで通りに行動してきた。さらに変えよう変わろうとする人たちを認めなかったり、受け入れなかった。
2020年に、突然、コロナ禍に突入した。コロナ禍を理由に、それまで先送りしてきたテレワーク・オンライン・DXなどに強制的に取り組みだした。しかし前提条件を変えず、それまでの考えをリセットせず、過去を残したまま、新たなコト・モノ・サービスを足し算した。コンテクスト(文脈・背景)を認識せず、コンテンツだけを導入した。そして1年が経った。付け加えたコト・モノ・サービスを自らの論理で「意味がない」といってやめたり、自らの都合・不都合で元に戻そうとしている。
2. ずっとつづくものはない
なぜ明治維新はおこったのか。なぜ薩摩・長州によるクーデターは成功したのか。徳川幕府は大名に一年おきに自藩と江戸の行き来の参勤交代を強いた。藩主の正室と世継ぎを江戸に人質に取った。大名の戦力を分散化・弱体化するための核心の制度であった。だとしたら幕末に薩長が蜂起したとき、薩長の江戸屋敷があり、妻子は江戸にいたはずだから、徳川幕府は人質を確保することが可能だったのに、そうしなかった。それが機能していたら、クーデターは難しかったはず。だが、そうならなかった。
なぜか。徳川幕府の制度・ルールが形骸化していたのではないか。戦争がない時代が250年近く(第3代征夷大将軍家光〜第15代将軍慶喜まで)続き、徳川の幕府システムが適合不全をおこしていたことが、明治維新を導いた原因のひとつではなかったのではないか。新政府はそれまでの社会システムをリセットして、一気に明治維新を進めた。
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幕藩体制というが、幕府と藩とは別物であった。藩の大名は、京都に行くと、たとえば越前守(かみ)とか出羽守と〇〇守と呼ばれた。天皇からその土地が任され、天皇に代わりその地を治めた。幕府とは征夷大将軍を中心とした武門の幕の内のことで、現代のような官僚体制に大名を組み込んだものである。江戸城に大名を登城させる形を取らせていたが、大名はそれぞれの藩を代表しているという体制であった。 |
現代は東京一極集中、首都圏一極集中となっているが、昔からそうではなかった。江戸時代の江戸・京都・大坂も、各藩も地域経済循環が機能しており、全国的にバランスがとれていた。
明治維新となって、なんでもかんでも地方から東京に集められる東京中心政策がとられ、戦後さらに地方から東京一極集中政策がとられ、ヒト・モノ・カネ・情報が東京に集まった。そして地方ごとの地域経済循環がまわらなくなり、地域創生が叫ばれた。
そんななか、コロナ禍となった。コロナを報道するテレビは東京だけでなく全国の知事の姿を映し、東京一色から都道府県取り取りの姿が全国区で毎日のように流れている。コロナ禍前ではありえなかった地域性が見えるようになった。
コロナ禍を契機とするオンライン・DX革命による「情報収集」革命によって、これまで適合不全となっていた社会システムをリセットする舞台転換が整った。オンラインは東京一極集中をリセットして、都市・郊外・地方のバランスのとれた地域構造へ移行というチャンスが訪れた。
3. なぜ私たちは変われないのか
しかしなかなか変わらない・変われない。PCR検査、緊急事態宣言、ワクチン、オリンピック…1年間も堂々巡り。時短・休業・テレワーク・DX…1年間も堂々巡り。
しかし現実の市場はコロナ500日で、大きく変わり、動きだしている。コロナ禍で変わった人・企業・国と、そうでない人・企業・国。それまでをリセットして、元に戻らないようにしている人・企業・国と、そうでない人・企業・国に分かれる。なぜ変わる人と変わらない人に分かれるのか。
現実の市場は次に向けて動きだしている。変化しない人・企業・国からすると、適合不全がさらに広がる。しかし仮に変えない・変わらない人・企業・国が大多数で8割いたととしても、2割の人が変わろうとしたら、3年で変わると変わらないが半々となり、4年で変わらない層が4割、5年で3割となる。ということは、3年経てば多数派が少数派になる。それが世の理(ことわり)だが、そうならないことが日本には多い。なぜそうならないのか。
次がわからない人、次が見えない人が主導権を握っているのだ。自分が次がわからないから、「じっくりと勉強する」といって変えなかったり、時間を無駄にしたり、次がわかっている人や見えている人に任せて次をさせなかったりする。
こういった守旧派が現在を頑張る。だから適合不全が広がり、うまくいかない。次がわからない人・次が見えない人は、頑張ってはいけないのだ。明治維新の前と後、敗戦の前と後で、そういった事例を多く歴史に残している。変われない人はそこから去って、次がわかる・見える人にバトンタッチしなければいけない。次がわかる人・見える人は、これまでをリセットして、本質を再起動させ、次を実現していかねばならない。
次がわかる・見えるとはなにか。私たちは生きていくうえ、働いていくうえで、日常的にいっぱい問題がおこる。しかし私たちは目に見える現象である問題(トラブル)にとらわれ、その原因である課題=本質(プロブレム)をつかもうとしない。だから目に見える問題ばかり解決しようとする。対症療法に終始しようとするから、また問題がおこる。そしてまたその問題を解決しようとする。世の中、この問題解決をする人・企業が圧倒的に多い。
先がわかるわからない、先が見える見えないは、問題(トラブル)にばかりとらわれ、課題(プロブレム)を見つけて本質が掘りおこせるか否かの違いである。コロナ禍前もそうだったが、コロナ禍の現在もそう。今おこっている問題(トラブル)の課題(プロブレム)はなにかをつかむことから、次が始まる。まだ間に合う。
(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)
〔日経新聞社COMEMO 5月12日掲載分〕