西国三十三所観音 霊場第7番札所 岡寺(龍蓋寺)
初夏にはその寺の境内にある池、手水舎、鉢に、天竺牡丹(ダリア)がその花言葉どおり華麗に浮かんでいる。奈良県明日香に663年に創建され、日本最初の厄除け霊場で、西国三十三所観音霊場第七番札所の岡寺(龍蓋寺)を優雅な天竺牡丹(ダリア)が彩る。参拝者は華の手水舎、華の池、水面に浮かぶ天竺牡丹を撮って、SNSで世界に発信して、感動を広げる。
1. 天竺牡丹(ダリア)が意味すること
その花はメキシコ・グアテマラで生まれた。その美しい花は18世紀にヨーロッパに広がり、1842年にオランダから日本の長崎出島に入ってきた。江戸時代の日本人にとっての世界は、「唐土(中国)・天竺(インド)・本朝(日本)」の三国であり、日本人はそのダリアを「天竺牡丹」と名づけた。
岡寺の池や手水舎に浮かべられた天竺牡丹が美しいという声があふれる。これを観る人の心を打つのは、天竺牡丹の花としてのあざやかさだけではない。この風景に日本的なる価値の本質が込められている。意図するしないにかかわらず、日本的価値観の代表ともいえる日本的な文化行動様式の「もてなし」をしている。それは、この方程式でつくりだされる。
「機能性」とはそのモノやコトやサービスの形状・性能・価格といった基本であるが、その基本に「精神性」を込めて、磨きあげて「洗練」し、それを「多様」に展開する。岡寺の天竺牡丹の華の池は、この方程式で参拝する人々をもてなす(以てなす)。
岡寺という場に、日本三大仏のひとつである如意輪観音様をご本尊に、日本初の厄除霊場・西国三十三所霊場という背景と仏教の発祥地「天竺」の名を持つ天竺牡丹という精神性を刻み、初夏の境内の要所に華麗な花を配して寺全体を気品あふれるものに洗練して、日々奉納される天竺牡丹ごとに多様に姿を変える。この方程式によって、日本的なる価値を生み出してきた。日本料理店も、日本庭園も、日本建築も、商店も、この方程式で日本的なる価値を生み出し、人々の心を捉えてきた。
中国の深センの若手IT企業経営者と、技術と社会について議論した。若手経営者はこういった。「私たちは、ITやAIについて猛勉強して、色々な試行錯誤をしてモノを作ってきた。技術面では日本に追いつき、部分的には追い抜いているところもあるが、“デザイン”の面では日本にはまだまだ追いつけていない。日本のカルチャーに、私たちはもっと学ばないといけない。現代中国は、中国がもってきた大切な文化の多くを失ってしまっている。 |
中国の若手経営者がいうのは、こういうことだ。機能性×「精神性×洗練性×多様性」という日本的な価値を生みだす方程式の「機能性」は日本に追いついたり、追い越したものもある。しかし「機能性」だけでは通用しない世界があることに気づいた。彼はそれを“デザイン”といったが、“日本品質”といえるもので、それを生み出す「精神性×洗練性×多様性」にはなかなか追いつけないということではないだろうか。コロナ禍前、中国・韓国をはじめアジアの人は日本に来て、世界最先端のモノ・コト・サービスだけではなく、「日本品質」を見たり感じたり体験することが目的だった人も多かっただろう。
しかしこのように外から評価される「日本品質」を現在もつくりだせているだろうか。機能性 ×「精神性×洗練性×多様性」を身につけ、実践できている人・企業はどれだけいるのだろうか。たしかに、現在においても「日本品質」は存在し、世界から評価されている現場はある。しかしこの日本品質を生み出す方程式を有識者や専門家や企業経営者は「カルチャー=文化」という言葉でひとくくりして、軽視したり見落としたりする人が多い。
さらにコロナ禍となって、世の中はDX一色となった。小学校・中学校・高校はプログラミング教育、大学も企業もDXに集中特化しはじめている。これはこれで間違いではない。問題はデジタル・AI技術一辺倒で、それらがつくりだすモノ・コト・サービスが市場や生活や社会の実相と繋がらなくなったこと。世界で加速するSTEM教育やSTEAM教育といった流れと乖離していること。そもそも日本が始めているプログラミング教育は、その入り口にすぎない。こんなことをしていて、日本は、取り残されないだろうか?
また一方、ビジネスにはアートが必要だという声もあがる。クリエイティブな発想で創造しないといけないと論じる人がいる。これも間違いではないが、正確ではない。本来、創造する前に、”こうありたい姿、こうしたい姿”を想像して、そのありたいモノ・コトを創意工夫して創造してきた。しかしありたい姿を想像できなければ、ありたいモノ・コトは創造できない。そのありたい姿が想像できなくなった。だから自分がしたいこと、自分がありたいモノ・コトを創造して、人に押しつけるようになった。だから受け入れられない、売れない、認められなくなった。
ことができない人・企業が増えた。どんどん専門分化して、それぞれが部分最適となって、全体が見えなくなっていった。いろいろな場所にブラックボックスが発生し、全体の流れと構造が判らなくなった。だからSTEMとArtをつなげようとしても、つながらない。
“日本は現場が強い”と言ってきた。日本の現場は、市場やお客さまの動きをじっと観て、“こうしたら、いいのとちがうか”“こんなふうにしたら、いいのとちがうか”などと創意工夫して、新たなもモノ・コト・サービスを創造して、試行錯誤して、実践的に「STEAM」的に人材を育てて日本的な価値を生みだして市場・お客さまに評価されて選ばれた。
その過去からの流れも背景も本質も理解せずに、自分たちが持ってきた強みを捨て去って、欧米の流行ばかりを追い求め、文脈なく日本に移植しようとするから適合不全となり、土台・基盤が弱くなった。改善や改良ではどうしようもない状況になりつつある。ここで、これまでをリセットして再構築・再起動しないといけない状況になっているのではないだろうか。
これから、日本、本当に、大丈夫だろうか?
2. 鐘馗(しょうき)が意味すること
(下図参照)
もうひとつ、岡寺での話をしたい。昨年、新型コロナウィルスが発生して、初めての緊急事態宣言が発せられたことから、江戸時代から岡寺に伝わっている「鐘馗図」と「悪厄除け祈祷札」の版木をつかって200年ぶりに刷って、参拝者に配っておられる。この力強い鐘馗という人物は、だれか。
唐の6代皇帝玄宗がマラリアで高熱となったとき、玄宗の夢に鐘馗があらわれて病が治ったということから、鐘馗信仰が広がった。中国で道教系の神として鐘馗が民間に伝承され、日本には平安時代に伝わり、端午の節句に鐘馗の絵や人形を飾り、魔除け、厄除けとするようになった。 |
先日、中国の友人から、「日本でも、鐘馗、頑張っているんですね」とメールをいただいた。鐘馗の日本での活躍が中国でもSNS等で広がっている。
唐から伝わり1000年以上もご活躍されている鐘馗だけでない。シルクロードを渡って、終着点である日本に多くのモノ・コトが伝えられ、日本はそれらを受け入れて、融合して、機能性×「精神性×洗練性×多様性」をもって日本的な価値を生み、次々と磨いで繋いできた。
鐘馗の話に戻る。人類史は疫病との戦いでもあり、祈りと願いの歴史でもある。743年に開眼供養がおこなわれた東大寺の盧舎那仏像は当時の日本人の25〜35%が亡くなったと言われる天然痘による社会不安を取り除くためにつくられたものであり、869年に始まった祇園祭も疫病で亡くなられた人々の怨霊を鎮めるためのものであり、芸能の源流である田楽も悪疫退散を願うものでもある。日本の元号が改元されたのも、自然災害や戦乱や疫病のために改元されたことが多い。かくも人類は疫病と戦ってきた。
人々の生活に入り込んでいる行事にも、疫病退散が目的なものが多い。家の門守りとして元三大師の札や粽を疫病神や魔物を入れないように貼る。節分の「鬼は外」の豆まきは疫病退散のためでもあり、端午の節句に飾られる鐘馗の絵や人形も疫病退散のためである。鐘馗は中国の官人の衣装を着て、剣を持ち大きな目で、じっと一点を睨みつけている。鐘馗は唐から東アジア全体に広がり、現在も新型コロナと戦っている。
アジアには、このような千年以上も承継されている共通な物語が多い。「アジアの未来」でアジアの各首脳がネットワークの緊密さの重要性を語られた背景・文脈には、この1000年以上の歴史的文化的基盤がある。
アジアの中の日本、日本の中のアジアを私たちは生きている。コロナ禍が収束すれば、アジアの人流が必ず復活する。シルクロードの終着点としての日本にも、アジアの人々が来ていただけるだろう。日本にお越しいただいたアジアの人々に、私たちは「日本品質」をお伝えできるだろうか。
(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)
〔日経新聞社COMEMO 6月9日掲載分〕