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2021年07月15日 by 池永 寛明

【起動篇】折角の日本史 ― 日本をダメにした折角(4)



数百年、千年つづく老舗の店や会社がある。日本には、海外と比べて、長寿企業が多く、何百年もつづくことに意味があるように言われることが多い。ただしその長寿企業は外からは同じように見えても、中味はずっと同じだとは限らない。一方、江戸時代に一世を風靡した大きな豪商が、明治に入って没落した例は枚挙にいとまがない。明治以降も、豪商や大企業が一所懸命に経営したが、仕方のない出来事で消えてしまったことも多い。理由はそれぞれあっただろうが、「折角」で情勢・状況判断を誤ったところも多かったのではないだろうか。

 

 

1.続いていくための必然

 

大手・名門・老舗と呼ばれる会社・店がある。何百年も前に創業して以来、その時代時代の技術・経営技術・経営システムを変化させて豪商と呼ばれたり大企業になった会社が、考えられないような不祥事を起こしたり、倒産してしまったりする。外形的には昔と同じように見えても、内部的にその会社としての価値観・規範がなくなっていたり、有名無実になってしまっていたりしている。「折角〜だから」といって、変えなければならないことを変えなかったり、変えてはいけないことを変えてしまい、適合不全に陥っていたことが原因だったりする。

 

一方、古代に日本に伝来した仏教は、生活文化のなかに現在も根づき浸透している。なぜ仏教がずっとつづいているのかというと、仏教を支える基盤があったからである。それは仏教の教えなり宗統を管理するシステムがあったかどうかではなく、人々が祈るという「精神構造」は古代より変わらなく、人々にとっての受け皿がいつの時代も必要であるという証しである。そこには、「折角〜だから」はない。

 

つまり生き残るべきものが生き残るということは自然の摂理で、生き残れないものを生き残らせようとすることは不自然である。コロナ禍で、どうなっていくのだろうか。

 

 

2.折角の日本史

 


 

 先に始めた、先に到着しただけなのに、グライダーみたいに生きつづけられると思おうとする人・会社が多い。ある時に手にした権益・立場を握って離さない人・会社が多い。人生は努力の連続であるはずなのに、ある期間に努力して手に入れたモノ・コトで、あとはそのままずっと、悠々と生きていけると思っている人・会社が多い。

 

これら「折角」が、日本社会全体に及んでいる。


  “折角、これをつくったのだから…”

  “折角、こうしてきたのだから…”

  “折角、苦労して始めたのだから…”

 

ちょっとやそっとでは、変えたくない。いったん手に入れたものは、誰にも渡したくない。なぜか。グライダーみたいに生きたい、楽をしたい。それを手にするために一所懸命に頑張ってきたのに、みすみす捨てることはできない。折角は、未練である。

 

人生は、経営は、努力の連続である。いい学校に入ったから、いい会社に入ったから、努力をしなくなる人がいる。そこがゴールでもないのに、立ちどまる。状況はずっと一定のわけがない。状況は刻々と変わる。状況が変わったら、自らを変えないといけない。にもかかわらず、呪縛のように、変えない、変わらない。“折角”に取り憑かれている人・会社は多い。

 

江戸幕府がおわったのは、「折角」だったかもしれない。明治維新が破綻したのも、「折角」だったかも、軍国主義が破綻したのも、「折角」だったかもしれない。日本史は「折角」の連続だったかもしれない。

 

折角、戦艦大和をつくったのだから、折角、予算をとったのだから…と、状況が変わってしまったのに、状況変化の前のままを継続しようとする。状況が変われば、水の泡にして、やり直さないといけない。しかしいったんそこにたどりついたら、動きだしたら、水の泡にしない人・会社が多すぎる。

 

 

3.折角を水の泡にして、その時のいちばんを考える

 

変だなと思うことは水の泡にして、新しいことを考えて努力をすればいい。他人・他社よりも先に始めたからといって、グライダーのように、いつまでも悠々と飛びつづけられるものではない。先にその商売を始めたからといって、いつまでも繁盛しつづけられるわけではない。次々と新しい会社・店がその分野に参入してきて、話題になってお客さまを集め大きくなり、立場が入れ替わる。それが世の中であり、勝ったり負けたりと、それがずっとつづく。いつまでも勝ちつづけられるわけはない。にもかかわらず「折角」と考えることで、現状・現在が見えなくなり、競争を否定してしまう。だから負ける。

 

アリババの創業者ジャック・マーさんがアリババを辞められたと聴いて、「折角、こんなに大きくしたのに、辞めるなんてもったいない」と日本人は思っただろうが、マーさんに「折角」って感覚があったのだろうか。またアマゾンの創業者ジェフ・ベソスCEOもアマゾンを退任されるが、べソスさんに「折角」って感覚はあるのだろうか。日本で起業して一代で大企業にした創業者はどうなんだろうか。

 

日本の企業は、折角だらけ。日本の企業には、70歳・80歳の経営者がいっぱいいる。高齢者が多く、折角だらけ。大学の教授もそう。若い時には実績をあげたかもしれない。しかしその若い時の業績で今の立場を獲得して、昔の知識やスキルのままで居座っている先生がいる。しかしその知識・スキルは現実の社会では通用しないことが多い。

 

折角、頑張って社長になった。折角、努力して教授になった。折角、苦労して政治家になった。みんな、折角。本当に、折角だらけ。そんな折角は、過去にとどめる。

 

「そんなものは、全部、水の泡にして、現在、この局面で、なにがいちばんいいのかを考えて変えないといけないのではないか」と言うと、「折角、このやり方が定着しているのだから、変えたら、みんなが困るだろう」と答え、それまでのことを見直さない。「折角」だからといって、昔のままにとどまる。そして適合不全に陥る。その折角で、みんな、泥船に乗ったまま沈んでしまうことになる。

 

「コロナ禍で、インバウンドが戻らない。1年半もつづき、とっても厳しい」とサービス業の人が嘆く。その声を聴いている人は意外とつめたく、「しょうがないんじゃない、コロナだから」という。しかし店を経営している人は「折角、海外から来られる外国人のために店を改装したのだから、コロナが収束するまでこのまま辛抱する。」と考える。このように、他人に対しては冷静でつめたい視線を向けるが、自分のことは「折角〜だから」と変えない。これこそが

 


 

「折角なものを水の泡にする。だって仕方ない」と思えるかどうかである。仕方のないことは、いっぱいある。これだけ頑張ってきたのに、コロナ禍になって残念。しかしコロナ禍になったことは、仕方ない。だから折角なものを水の泡にして、やり直す。そう思えるかどうかで、次が変わる。

 

「折角なものを水の泡にする。だって仕方ない」――じゃ、そのあと、どうするか?それは次回、折角の最終回。

 

(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)

 

〔note日経COMEMO 7月14日掲載〕


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