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2021年08月12日 by 池永 寛明

【起動篇】敗れざる者たち ― まさかそうはならんだろう(4)



東京五輪が閉幕した。日本五輪史上最多の金メダルを日本選手団は獲得した。東京五輪に向けた組織的育成・強化や地元開催という強みを活かした成果ともいえるが、すべて一律ではない。事前に期待され有望とされ金メダリストとなった選手、金メダルがとれなかった選手、事前に注目されていなかったが、見事金メダリストとなった選手。オリンピックゲームは、たった一人の勝利者と出場選手残り全員の敗者たちをうむ。敗者たちの姿に、才能に恵まれながら栄光を手にすることができなかったスポーツ選手の姿をルポタージュした沢木耕太郎氏の「敗れざる者たち」を思い出す。

 


1.失敗を忌み嫌う日本人

 

日本人は「失敗」という言葉を忌み嫌う。戦う前に「失敗」を考えることは縁起が悪いという監督やコーチがいる。失敗には「敗ける」という文字が入っている。それを口にすると、「言霊」になる。「失敗」を口にすると、失敗をひきよせてしまう。だから

 

「やる前に、うまくいかないようなことを考えたらあかん」

 

という。本当は、“うまくいかなかったら、どうするか?” “この演技に失敗したら、どうするか” “このバトンパスに失敗したら、どうするか”と事前に想定して、そうならないようにしたり、そうなったらどうするかを考えて備えないといけないが、日本人はプラス思考で精神論に走る ― “気合いと根性で、頑張れ” “大丈夫、絶対負けない”と叱咤激励する。

 

そんな空気のなか、失敗すること、負けることばかり考えていると、”本当にやる気あるのか”といわれたりする。だから男子柔道大野将平選手の「負けるシーンを毎日想像している。負けそうなシーンを思い浮かべ、勝つためにどうするのかを考える」という日々の稽古は、日本では珍しい。しかし無数の負けを思い浮かべて負けないために何をすべきかを考えつづけてきたから、試合本番での相手の打ち手に対処できた。相手がこうでてきたら、こうする。こういうふうになったら、こうする。それを誰よりも試合前に様々な状況を想定し、いかに負けないようにと、日々稽古しつづけてきたから、それが9分26秒に、技として出て勝てた

 

 

2.精神性という日本人性

 

日本人は「敗ける」という字の入っている「失敗」という言葉を嫌がるようになったのは、決して古くないのではないか。徳川幕府を転覆させた明治維新以降に、日本人の独特な”絶対成功神話”が生まれたように思う。

 

西南の役に勝ち、日清戦争に勝ち、日露戦争にも勝った。本当は日露戦争も負ける寸前だったが、旅順攻囲戦・日本海海戦に勝ち、”神国日本の勝利”だと喧伝され、日本人に勇気を与えた。二〇三高地攻撃の指揮をとった第三軍司令官の乃木希典大将や日本海海戦における連合艦隊司令長官の東郷平八郎が国力10倍のロシアに勝利して、軍神にまでとなった(乃木神社・東郷神社)。


実はロシア革命で日本は救われたのだという文脈・背景はあまり認識されなかった。本当は、日本はそこで気づかないといけなかったが、日露戦争の勝利によって、“絶対成功神話”が増幅された。いくら軍艦・銃火器など兵器・武力を増強したとしても、どれだけ連戦連勝が続いていたとしても、戦争はこう考えないといけなかった。

 

         「負けるかもしれない」「うまくいかないかもしれない」

         「うまくいかないとき、どうするのか」

 

日本人はそれを考えることが苦手ではなかった。むしろ長けていた。戦国時代以降でも、三好長慶、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、西郷隆盛と、深謀遠慮の将軍が多かった。日本海海戦における連合艦隊先任参謀 秋山真之中佐は、古今東西の兵学書・戦史での勝ち戦と負け戦を徹底的に調査・分析して、無敵のバルチック艦隊に対して、敵前回頭して丁字戦法で敵艦隊の旗艦や戦艦を叩き、七段構えの作戦で世界軍事史上稀有なほどの大勝利をおさめた。日本海海戦を様々な角度からの”軍師”秋山真之の徹底的なオペレーションズ・リサーチ(OR)が、明治維新から三十八年後の近代日本最大の危機を救った。

 

その日本が三十数年で、変わった。太平洋戦争開始の前に、昭和天皇は大本営にこう訊ねた。

 

「うまくいかなかったら、どうするのか?」

 

それに対して、大本営は「大丈夫」と答えたといわれる、日本は戦況を優位にはこび、時機を見計り、第三の国に頼んで講和に持ち込んでいく ― しかしその交渉はうまくいかず、第三の国はどこもひきうけてくれなかった。それに対して、大本営は「うまくいかなかったのは、ミッドウェイで大失敗したお前たち現場の責任。お前たちの精神がたるんでいるからだ」ということになり、そこから一気に負けを突っ走った。この言葉が日本をすっぽりと覆いだす。

 

「精神性」という日本性が。

 

戦後も、現在も、それはつづく。昭和恐慌・バブル崩壊・ITバブル崩壊・リーマンショック・コロナショックといった変化期に、経営者が社員たちに、こういう。

 

「わが社は、未曾有な危機下にある」

 

経営者がこういったとしても、大半の社員はそう思わない

 

「まさか、うちのような大きな会社がつぶれるわけがない」

 

経営者の言うことを、誰も当事者として聴かない。そんなことを言う経営者も、本気で言っていないのではないかと考える。だから本当に倒産した時に、「まさか本当に倒産するとは思わなかった」と、大混乱する。そんな倒産した会社に対して、識者たちがこういう。「そういうことが起こると、事前に思わなかったのか?」― そう、そのとおり。みんな、そう思っていなかった。会社に蔓延していたのは、「うちは大丈夫」「うちは負けない」という空気=精神論だった。なぜそうなるのだろうか。

 

「寄らば大樹の陰」と思っているからだ。

組織が大きくなれば、責任が明確ではなくなる。誰がどんな責任をもつのかが不明確となり、誰も責任を取らなくなる。それなのに倒れると、こう詰(なじ)りあったりする ―「経営陣が悪い」「企画が悪い」「営業が悪い」と他人の責任にする。そうではない。「事前に、そうなることがありうると考え、それに備えること」が大切だが、大半の人はそのことを考えない ―「まさかそんなことにはならんだろう」「わが社は大丈夫」と。

 

 

3.失敗と責任

 

この“まさかそんなことにはならんだろう”という「先入観」は、それまでの成功体験によってつくり出されることが多い。しかし時間は過去のままでずっと止まっているわけではない。現実は、常に現在進行形で動きつづける。

 

ゴールにたどりつくためには、そのプロセスでいっぱいの問題がおこる。こうなったらこうする、そのときはどうすると、答えを出しつづけなければ、ゴールには到達できない。しかし「マイナス・ネガティブ」な状態を想定せず、「プラス・ポジティブ」な状態だけを想定して、スタートしがちである。そのように先入観でたてた一本の作戦が失敗したら、動けなくなり終わってしまう。



 

“まさか、そうはならんだろう”という先入観で動くから、失敗する。そういう失敗は、先につながらない。学べることが少ない。いつからか日本人は「自己実現」というゴールばかりに夢中になり、プロセスのなかの大事な観点がいい加減に扱われるようになった。その結果、全く想定していなかった事態になり、頓挫するようになった。それはコロナ禍対策しかり、オリンピックゲームしかり、企業・組織の経営・事業活動しかり、そうなりがちではないだろうか。

 

そして問題が発生したら、「私の責任です。最後までやりとげるのが私の役割です」という。その姿は第二次世界大戦のインパール作戦で失敗した司令官が責任を取らなかったのと同じ構図。作戦をたてて実行したが、大失敗して、何万人もの兵士が死んだ。しかしその司令官は戦後も生き残り、インパール作戦失敗の責任を認めなかった。

 

禍根を残す。禍(わざわい)の根っこを残すと、同じ過ちをまた繰り返す。不祥事がおこっても、「私の責任」という言葉だけで、責任をとるべき人が具体的な責任をとらないことが増えている。

 

不祥事が起こったら、責任をとって去る。そのようにして、社会・組織・世代が新しくなってきた。判断が間違った、責任を果たせなかった古い細胞は、新しい細胞に新陳代謝していかないといけないのに、失敗しても、“最後までやりとげる”といって、その立場から離れないようになった。生き物の道理でいえば、「やりそこなったら、そこで終わり」のはずである。しかし、そうではなくなった。それはなぜかは、次回考える。

 

(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)

 

〔note日経COMEMO 8月11日掲載分〕

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