東京オリンピック・パラリンピックで活躍する日本選手の姿を観て、日本中が盛りあがった。史上最年少でメダルをとった、まだ中学生なのにすごいね。今までどうしても勝てなかった国に激戦のすえに勝てた、歴史的快挙だ、感動した。延長に次ぐ延長のすえ勝ち切り二連覇を達成した、手に汗握った、感激した。みんな、我が事のように、歓喜の声をあげた。それから1ヶ月が経ち、2ヶ月が経って、みんな忘れだしている。
選手たちがどれだけ努力してきたのか、それまでしたいことを我慢して、ひたすらトレーニングをしてきたことを詳しくは知らず、君が代が流れ日の丸があがるその瞬間に、一緒になって涙を流す。
人の感動に便乗して感動する。
次の日は余韻に浸るが、1週間も経てば忘れる。1ケ月後、半年後、1年後、その選手がどこでどうしているのか、考えない。あんなに熱くなったのに、時が過ぎたら、「あ、そんな人いたね…」となる。感動したことすら、忘れる。これが日本社会独特の「便乗」のスタイル。
便乗するのは悪いことではないが、「ただ乗り」だけ、便乗だけ。オリンピックで感動した「頑張った選手」の10年後、20年後に、どれだけ「応援」しつづけられるだろうか。便乗するなら「負担」しないといけない。
1.「日本性」への便乗
コロナ禍前、日本には世界から多くの観光客が訪れた。「世界でいちばん訪れたい地域」世界一に選ばれた都市も日本にはある。クールジャパンと持て囃され、日本的なものが世界に評価された。コロナ禍で移動ができない現在も、コロナ収束後にいちばん行きたい国だという声も多い。
日本はとても美しい国と、日本に来た外国人が褒める。食べ物が美味しい、風景はエクセレント、城や寺社や庭園や華道などの芸は洗練されミニマリズムさに魅了される。コロナ禍のなかYouTubeで日本の映像を観て、ユートピアの日本に住みたくてしょうがない、マンガ、アニメなどの「楽園」に移住するのが夢。そんな外国人からの評価に、我が事のように、喜ぶ
ク−ルジャパンは世界に誇れるもの
これを「自分のブランド」にする。
そうだろう、そうだろうと喜ぶ。このように「日本性」に「便乗」する。
便乗はいいが、便乗するなら負担しないといけない。あなた自身も努力して、さすが日本人と尊敬されるような生き方をしないといけない。
日本には、いろいろなコンテンツがある。漫画・アニメ・ゲーム・ファッションが世界に評価されれば評価されるだけ、便乗する人が多くなる。しかし
こういう「便乗」の仕方を放置していると、
社会は弱体化していく。
芸術家が駄目になるのは、「大先生」扱いされるから。若くして、たまたまのヒットがちやほやされ 「〇〇先生が描く作品ならば、みんな、喜びますよ」 と「便乗」してくる取り巻きがあらわれ、創作以外の世界でもちあげられ、本人もその気になり、ろくすっぽ創作をしなくなり、社会から忘れられる。当然「大先生」とともに「便乗」していた取り巻きも消える。 |
「便乗」は「折角」と並び、現代日本の課題であると考える。便乗することはいいとしても、「ただ乗り」はいけない。自分は努力していないのに、努力している人に簡単に「便乗」して、その人のようになった気になったり、高まったような気になったりする。そんな人がいっぱい集まると、社会から活力がなくなっていく。
2.「安全日本」への便乗
コロナで、それを感じる。
これまで日本はなんだかんだ言って、「安全だ」「世界一安全・安心な国」だと思ってきた。医療も危険性があったらいけないから
「慎重にする」
という観念があった。そんな安心・安全の日本が、コロナ禍に入って1年、気がついたらワクチン接種率世界最低水準という数字となって、みんな驚いた(それ以降の急上昇も日本的)
コロナ禍での世界の中の日本の位置づけを知って、日本人はどう理解したのか。「遅い」とか「グズグズしている」とか日本人は言うが、これまで、日本は歴史的に拙速にしたことはあっただろうか。
日本はそういうことにずっと慎重にやってきた。
コロナワクチンのアプローチは、今までの日本らしく、今までどおりである。ただ世界はそれを上回るスピートでコロナ対策をおこなっている。だから世界では3回目4回目のワクチンをうつとかワクチン接種証明の発行が限定的だとか言う話を聴くと
「日本はどうしてこんなにグズグズしているんだ。」
という気持ちになる。
しかし本当にそうだろうか。これまで日本人は、国が構築してきた安全性とか安心性に「便乗」してきた。にもかかわらず、ここに来て、世界と比較したら日本があたかもモタモタしていると批判しているという姿に
「日本の便乗社会のあやうさ」
を感じさせられる。
3.日本「便乗」社会の源
会社生活もそう。
たとえばすごく有名で立派といわれる会社に勤めていて、その会社の従業員というだけで、社会から尊敬された。しかし突然、その会社が不祥事で倒産したとする。すると立派といわれた会社に「便乗」してきた人が、先頭に立って会社を批判する。
「あの経営者が阿保だった。だからこうなった」
しかし経営者を批判する人、今までさんざん便乗してきたのに、なんやねん。その人個人の責任は棚にあげ、便乗した自らはなにも負担しない。そんなことが、社会に多くなった。
この最たる現象は、日本の敗戦のタイミングでおこった。
日本は負けない。日本は強い
と日本人は、便乗した、いや便乗させられた。勝っている時はいいが、勝てなくなるとトーンが変わる。そして戦争に敗けた途端、なにごともなかったかのように、けろりと
「私たちはだまされた」
と、掌を返すように言った。しかし便乗してこなかった人からすれば、こう感じただろう。
「今まで便乗してきた人が、なに言うているんや」
太平洋戦争のときに、「大日本帝国婦人会」という政府・陸軍に主導された婦人団体があった。白い割烹着を制服に、出征兵士のお見送り、戦死者の遺骨のお迎え、食料品や鍋・釜の供出など銃後を担った。出征者を「おめでとうございます」と見送ったというように。
日本が戦争に負けた。すると突如
陸軍に騙されていた。
と言った。当然のことながら、多くの人は主体的に参加したわけではない。しかし結果として2149万人という巨大組織となった。まさに帝国陸軍の意向に「便乗」した。その便乗の先が「家庭」に近い場面だったから、「一億全員」戦争参加者となった。
みんな、見逃された。陸軍将校も、政治家も、学校の教師も、企業経営者も、大日本帝国婦人会の人も、見逃された。それが
社会に禍根を残した。
「そういうものだ」という考え方となったから、みんな、責任を取らなくなった。こうして日本は「無責任社会」に入っていった。
近年、企業の不祥事にあたり、「辞めずに、問題を解決するのが経営者である私の責任だ」というようになった。しかし、後始末はあなたではなくてもできる。いや不祥事の責任者本人が後始末をするというのはどうなのだろうか。最近、その傾向が強い。そしてそれを許す風潮がある。それはなぜかについて、次回に考える。
エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明
〔note日経COMEMO 9月22日掲載分〕