「テレワークの意味を本当にわかっているのか」と問われたような気がした ―― 出社は再開したものの、オフィスに出てくる社員は少ない。『オフィス週5日を望む人は3%。週2〜3日を望む人が大半』というナレッジワーカーの思いはニューノーマルのまま。物理的なオフィスは今のまま残るだろうが、そのオフィスはこれまでとちがった使われ方をする。コロナ禍の2年間は働く形がコロナで別の形に置きかわっただけで、真の意味のイノベーションがおこるのは、これから5年」と語るのは、セールスフォース・ドットコム社のブレッド・テイラープレジデント・COO。
「離職率が高く、大退職時代」になり、「人材争奪戦」の様相である。仕事の内容に応じて働く場所を選べるという柔軟な働き方を求められるようになり、私たちはその変化の先を行かねばならない。シリコンバレーは「起業家文化」があふれる場であったが、クラウドで世界のどこからでもアクセスできるようになった。人材はどこにいても力を発揮できるようになった。シリコンバレーは「場」ではなくなった。世界中から人材を探さないといけなくなった」とブレッド・テイラーCOO。 |
1.10年前倒しとなった世界
「10年早く、未来が到来した」とコロナ禍の現在地を語られたのがサムスン電子のキム・ヒョンシクCEO。コロナ禍となった昨年の日本の経営者の多くがそういう認識だったし、世界での共通認識だった。
しかし正確にいえば、「未来が前倒しされた」のではない。過去に実現できていたモノ・コトを先延ばしにして、また本当はできたはずのモノ・コトをさらに10年先延ばししようとしていた。それらがコロナ禍を契機に前倒しとなった。コロナ禍はきっかけだった。だからこそコロナ禍の現在地はこれから10年後の社会のありたい姿をどう想像して、どう動くかが問われていた。
技術には、①すでにある技術、②まだない技術の2つがある。さらに①のすでにある技術は、使われている技術に社会実装・普及している技術と、社会実装・普及していない技術に分かれる。
コロナ禍で動き出したのは、この①−2の「すでにあるのに社会実装・普及していない」技術である。コロナ禍で話題となっている「技術」であるDXの本質は、「IoT×AI×ビジネスモデル」。ビジネスモデルが肝で、技術と社会が接続しなければ世の中に普及しない。どれだけすぐれた技術であろうと、それを理解して受け入れる人がいないと普及しない。新たな技術が普及するためには
の2者がいないと、使われない、普及しない、変化しない。企業も組織もスポーツもエンタメもなにごともそう。②の受け入れてくれる人の姿を想像せずに、①をつくりだすことだけを考える人・企業は意外に多い。
物事が動き出したり、変化するのは、その技術なりモノ・コト・サービスの「意味」を理解し納得し動機づけられたあと、それを買ったり用いたり観たり聴いたりという「スタイル(形・様式・やり方・教え方)」が生まれる必要がある。
今回、コロナ禍で「スタイル」を強制的に始めた。意味を理解・納得する前に、まず「スタイル」から始まった。オンラインミーティングもそう。オンラインエンタメもそう。リアルの代替として始まった。
当初は混乱して失敗もしたが、だんだん慣れて、“意外にいいのでは” “むしろ前よりいいのではないか”となったりする。このようにスタイルから始め、試行錯誤していくなかで、その意味を理解して、それが価値観となり、文化として形成されていくことになる。
芸の稽古でよくいわれる「守・破・離」がまさにそう。最初は訳わからずに、その「型」を何度も何度も繰り返す。そのなかから基本である型を身につけ、それを深堀りして磨き、ついには型から離れて新たな型をつくりだすという「日本的方法論」を私たちは取り組んできた。
コロナ禍で強制的に始まったが、試行錯誤のなか、その「意味」が理解される。そしてそれらのなかから、独創的なものとか、また別の新たな展開をしていくものが出てくるが、これらが定着するには時間がかかる。
2.世代交代しはじめている世界
コロナ禍は、明治維新・敗戦につづく日本近代における3度目のグレートリセット、戦後75年のリセットであると当初から考えてきた。
(1)明治維新リセット
徳川幕府から明治維新政府への政権交代は実質的にクーデターだった。薩摩・長州藩士を中心とした明治維新は版籍奉還・廃藩置県・散髪脱刀令・徴兵令などの政策によって700年間つづいた幕府体制・武士の時代を崩壊させた。
旧体制をグレートリセットした。そのリセット後に日本に持ち込まれたのが「文明開化」。西洋のものなら何でもよいというような怒涛の嵐で西洋技術・社会制度・習慣が次々と導入され、江戸以前の多くのモノ・コトが捨てられた。「和魂洋才」という言葉もあったが、圧倒的西洋技術の移入のなか近代日本がつくられた。ここから日本の「技術神話」という価値観・文化が育っていく。
(2)敗戦リセット
敗戦で明治維新時代がリセットされた。戦前体制から戦後体制という政治・社会システムの大変革が進められた。復興のため、なんでもかんでも東京という一極集中政策がとられ、全国各地から東京という一都市への「若者の大移動」がおこった。とりわけ1976年に発表された、堺屋太一氏が小説で未来予測した「団塊の世代」が戦後日本に大きな影響を与え、今も大きな存在感を放つ。
日本の年齢構成のなかで圧倒的人口を占める「団塊の世代」(1947年〜49年生まれ)は当時代のメインプレイヤーとして君臨し、ライフステージごとに、経済・社会構造を変えつづけた。そして現在は後期高齢者となり、日本を「高齢化社会」というように時代の空気を染めあげ、実質的支配をしている。このように戦後日本を団塊の世代の存在の意味をつかまないと、本質を見間違う。
(3)コロナリセットにどう向き合うか
コロナ禍前の「失われた日本の30年」は「団塊の世代」が一因といえ、コロナ禍の現在も影響を与えている。
「ALWAYS三丁目の夕日」のヒット、昭和レトロブームなど、今も「団塊の世代」が社会に影響を与えつづけている。そのヒットなり、ブームの意味合いを私たちは軽視しているのではないか。 |
コロナ禍においても、日本は「団塊の世代」の影響を受けつづけている。その影響から抜け出せなければ、日本はさらに適合不全をひろげ、世界の進歩から退場しないといけないことになる。
3.MZ世代
「製品を購入する世代も変わった。ベビーブーマーではなく、今は「MZ(ミレニアルとZ)世代」が主な客層になっている。彼らの特徴は個性が強く、意思表現が自由。常に外部の世界とつながる生き方をしており、製品を所有するより、使用時に体験や価値を重視する傾向が強い。オンラインで周囲の人々に影響を与えられるし、環境問題にも敏感」と語ったのが、サムスン電子CEOである。 |
フォーカスすべきは「MZ世代」という。MZ世代の価値観・行動様式こそが「10年早く未来が来た」の本質といえる。5G、6G、AI、VR、メタバース、NFTなど新しいテクノロジーを先行的に取り入れるだろうこの若い世代にいかに寄り添えられるかをサムスン電子は考えている。それら技術を受け入れ、理解し、使いこなし、生活・社会に実装していくのは彼ら世代、10年前倒しを可能ならしめるのは彼ら世代、コロナ禍後を考えると、MZ世代にフォーカスすべきだとプレゼンされた。
そうだろう、そのとおりだ
と日本人もそういう。しかし日本人はそう動いていない。
「世界経営者会議」で、象徴的な日本の課題が見えた質疑応答があった。MZ世代へのフォーカスを語るサムスン電子CEOへの質問があった、「MZ世代のことをどう分析しているのか、どうビジネスに反映されているのか」と。その質問に対してサムスン電子CEOは怪訝な表情で、
「サムスンの社員はほぼMZ世代です」
できない人はやめさせ、できる人にさせる
というのではない。わかる人・できる人にも、わからないこと・できないことがある。それがわかる人・できる人にさせたらいい。それができないわからないからと排除するのではなく、ひとつのチームのなかで若者と年輩者が役割分担して目標に向かって行く。これが「多様性」である。それが真の「世代交代」である。それぞれの世代・立場の人たちが分をわきまえて、自らの分を全う。そうすると、必然的に新陳代謝がすすみ、世代交代が進む。そうすると、コロナ禍後社会を見据えたら、必然的にMZ世代をフォーカスすることとなり、全世代が強みを持ちより共創して、次に踏み出していく。日本ができなかったのが、これである。コロナを契機に
全世代が混ざりあったチーム
を再構築して、向かっていけばいいのではないだろうか。
(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)
〔note日経COMEMO 11月26日掲載分〕