サンマの水揚げの風景。ざざっと網を引き揚げ、魚倉に入れる。そのときすごい割合で、サンマが海に零(こぼ)れ落ちる。網から落ちたサンマは、漁師たちに省みられることはない。漁師にとって大切なのは大量にとられたグロスとしてのサンマであり、一尾一尾のサンマではない。市場主義の本質とはそういうこと。
1.なにが大事なのか
一人一人のお客さまは大事。しかし沢山の人が買ってくれるということがもっと大切。これが新自由主義である。岸田首相が「新自由主義からの転換」を政策にされているが、社会の多くが新自由主義で構成されている。
ひとつひとつ、一人一人が大事だというが、総量・グロスがもっと大事。グロスに利益率を掛けた利益が大事で、利益があがるならモノやコトはなんでもいい。だから漁港で水揚げするときに零れるサンマは、省みられることはない。だから農作物を市場に出荷するとき形が悪かったり規格から外れた野菜や果物は省(はぶ)かれる。
しかし世の中にはこういうメッセージが流れる。
一尾一尾は尊い
一個一個は尊い
とみんないう。欺瞞である。たとえば再生可能エネルギー。「カーボンニュートラル」の観点から、太陽光や風力発電の現在価値が高まった。再生可能エネルギー発電所でつくられた発電量が大事であり、その発電所から送電された一軒一軒のお客さまはグロスの一軒にすぎない。停電などのようなトラブルが発生しない限り、一軒一軒のお客さまに対してなにもしないのが実態で、
まずグロスありき
である。再生可能エネルギーの発電容量がなによりも大事である。サンマ漁でいえば、網を効率的にかけて、ばさっとより多くのサンマが獲れるよう効率的な漁法をおこなうが、水揚げのときに10尾30尾50尾のサンマが零れ落ちようとも、「仕様が無い」「拾うコストが勿体ない」と、取りのがしたサンマは省みられない。どういうことか。
1尾のサンマは本当は尊くない
10トンのサンマが尊い
なぜか。お金が大事なのである。尊い「10トンのサンマ」とは「サンマが10トン分」という意味ではなく、「10トンのサンマ」という商品が尊いのである。10トンのサンマが市場でいくらの値がつくのか、自分たちの利益がいくらになるのかが大事であって、一尾のサンマは重要ではない。日本の一次産業・二次産業・三次産業は、大なり小なり、このサンマ漁と同じような構造となった。効率性とか生産性が大事で、利益が大事となった。新自由主義からの転換とは、これを変えるということ。
2.大事なのは決済アカウント
マーケティングはOne-to-Oneが大事だと、みんなそう標榜するが、そんなのやっていない。そんなのやっていたら、商売にならない。ECでAIを使って、アマゾンや楽天などが一人一人の好み・ニーズを分析して個別にビジネス対応をしようとしているが、その本質は広告・宣伝・プロモーションである。ECは「あなた」を見ているのではない。
ECが見ているのは、あなたの「アカウント」。決済口座のアカウントが大事であり、あなたがなにを考え、どこでなにをしているのかには関心がない。そんなことよりもあなたがどれだけお金を使ってくれるかが大事。あなたという存在が大事なのではなく、財布の紐(ひも)を緩(ゆる)めてくれることが大事。ECにとって、決済口座アカウントがなによりも大事となった。
かつては、商品を注文する度に、コンビニ決済とか後払いをしないといけなく、とっても面倒くさかった。販売する側は、一人一人の消費者を「管理」しないといけなかった。それが「クレジットカード情報」を登録して、その口座からの引き落としとなった。ワンクリックで支払いは完了することになった。買う側も売る側も、とても便利となった。 EC会社にとって「その人のこと」は重要でなくなった。「クレジットカードの決済口座」が大事となった。お金をどんどん使ってくれるよう、その人が買いたいなと思うような情報を流して(実質は広告宣伝)、買ってもらえるようにして、クリックしていただけたら、決済するだけ。大事なのは、決済されたお金となった。 |
決済口座から引き落としすることが購買の中心となった。その決済口座のなかで、現在「最強」なのは、携帯電話料金。携帯電話の決済率は他と比べて高い。なぜか。携帯電話料金を支払わないと、携帯電話の通信がとめられる。携帯電話が使えないと、生活できない・仕事ができない。そういうライフスタイル・ビジネススタイルになったから、携帯電話料金の決済がなによりも優先されるようになった。この20年で、一気にそういう時代になった。
3.あなたの居場所はどこ?
それが社会の構造を大きく変えつづけている。家に固定電話一台の時代から、一人一台携帯電話の時代となった。携帯電話が増え、固定電話を持たない人が増えた。様々なアカウントに登録する連絡先が、固定電話番号から携帯電話番号が主流になった。
ここで大きな変化がおこった。携帯電話番号の登録では、その人が居る・住む・働く「場所」が特定できなくなった。売る側もサービスを提供する側も、その人がどこにいるかは重要ではなくなり、「決済口座」さえおさえておけばいいことになった。どこの家、どこの会社で使われているか、どこのだれがどのように使っているのかをつかむよりも、個人の「決済口座」がなによりも大事となった。
その決済口座アカウントには、その個人の携帯電話番号が登録されている。固定電話の欄すらないケースも増えてきた。固定電話よりも、スマホの方が利便性・拡張性がある。生命の次に大事という人すらいる。スマホがあれば、固定電話はなくても支障はないと考え、固定電話を持とうとしなくなった。さらにWi-Fi・5Gによって、スマホを使う生き方がさらに便利となる。スマホだけの生活スタイルになると
あなたは今、どこにいるの?
という状態になるが、売る・サービスする側からすれば「決済口座」さえおさえていたら、なにも問題ないという社会基盤となった。
4.「場」が溶けあっていく
私たちは「ノマド」になりつつあるのではないか。コロナ禍を契機に、パソコン・スマホを用いることで、どこででも好きな場で仕事をするというスタイルが一気に広がりつつある。しかし「ノマド」にとっての条件がある。どこにいてもいいが、「決済」できないと生活・仕事できない。ノマドは自由に見えるが、決済口座という餌場に仕切られている。
もともと運送会社だった「アメリカンエクスプレス」が、1891年に、海外に渡航するアメリカ人が旅先でキャッシュが必要になった時、銀行が見つからなかったり開いていなかったら困るだろうということに着目して、小切手「トラベラーズ・チェック」を世界で初めて発行した。「キャッシュレス」というスタイルを創造したのがアメリカンエクスプレス。またその約70年後の1958年に「クレジットカード」をつくった。この「キャッシュレス」の新しいスタイルは世界に広がり、現代では北極でも南極でも宇宙空間であろうと買い物ができるようになった。「決済口座」さえ登録しておけば、どこでも買い物ができるようになった。 |
それらが社会をどう変えていこうとするのか。「スマホと決済口座」スタイルが主流となるということは、「場所」が人を拘束するという性質がなくなることにつながる。さらにその構造変化に、コロナ禍を契機に本格化したオンライン・テレワークによってオフィス・家・サテライト・ワーケーションといった多様な働き方が拡充していくことによって、「象徴的な場所」がその人・その会社のクオリファイ(資格・適任)につながる、クオリファイを向上させるという演出も霞みだすことになる。
これから丸の内や大手町、中之島や船場にオフィスがあるからといっても特別な意味を感じさせなくなるかもしれない。オフィス街という場所が意味を持たなくなるかもしれない。これから私たちにとっての「場所」はどうなっていくのか。どうなっていくかは明らか。
(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)
〔note日経COMEMO 12月15日掲載分〕