〔ジョアン・ミロ作・EXPO'70 ガスパビリオンのためのスロープ壁画(一部)(大阪ガス(大阪市))〕
50 年前のEXPO’70大阪万博のシンボル「太陽の塔」を知らない人は少ない。千里万博会場跡地に残り、現在も圧倒的存在感を放つ。もうひとつ人気を集めたのがガスパビリオンのジョアン・ミロの高さ5m・横12m・陶板640枚の陶板大壁画「無垢の笑い」。この巨大壁画は万博後に取り外されて、国立国際美術館(大阪市)に残されている。その輝きは今も失われていない。もうひとつミロはEXPO’70大阪万博のガスパビリオンのスロープに、人類の根源的テーマ「笑い」の絵を描いた。小学生時代の私はこの巨大壁画を、お祭り広場を突き抜けた「太陽の塔」とともに現在も憶えている。そのスロープ壁画の一部が大阪ガスの事務所に残されていて、社員はミロを感じながら仕事をしている。とても贅沢である。
1.100年後に残っているもの
実は鎌倉幕府がどこにあったのか、今も正確には分からないという。飛鳥京もそう、平城京もそう。最近になるまでどこにあったのか分からなかった。難波京も、昭和までどこにあったかは分からなかった。たとえその時代において日本の中心だった場所であっても、その機能・役割がなくなったら、人々から忘れられる。それは日本だけではない、世界も同じ。「必然性」がなければ、場所だけでなく、人々の営みも、大切な事柄も、すべてみんなの記憶から消えてしまう。
時が経てばなにも残らないものばかりではない。時が経っても残るものもある。残らないもの残るものの違いはなにか?
それに「必然」があるのかないのか
50年前のEXPO'70大阪万博の人気パビリオンだったアメリカ館の月の石やソ連館に展示された世界初の人工衛星を記憶しているのは、パビリオンを訪ねた人々の思い出ぐらい。さらに50年経った100年後、月の石や人工衛星のことを覚えている人は殆んどいないだろう。しかし太陽の塔とミロの「無垢の笑い」の壁画は、100年後の人々の心を惹きつけるだろう。なぜならば、時代をこえても
変わらないものがあるから
変わらないものと変わるものがある。変えてはいけないことと変えなければいけないことがある。では、2025年の大阪・関西万博で、私たちはなにを観て、50年後、100年後の人々に、なにを残せるだろうか。。
2.1000年後に残っているもの
姫路城
もっと昔の話をする。姫路城は白鷺城と呼ばれている。400年前の創建時と同じ場所に建ち、今も訪れる人々の心を魅了する。この美しい城をつくった人々の美的センスは、今も変わらない。しかしだ。不思議に思う。現代のような建築技術がないのに、どのようにして
この巨大な城をつくることが
できたのだろうか?
もっと昔の話をする。法隆寺は世界最古の木造建築物といわれる。1400年前の創建地と同じ場所にあるが、現代人は今の技術を使わないで法隆寺をつくることはできるのだろうか。このように
昔の人は、現代人には到底できない
ことをしている
現代の技術がなくても、1400年後まで残る建物をつくりあげた技術力に驚かされるとともに、もうひとつ重要なことがある。法隆寺を参拝して祈りをささげている姿は、今も昔も変わらないということ。祈り、願い、笑い、涙、悔しさは
今も昔も、変わらない
このように変わることと、変わらないことがある。しかしそのものづくりの本質が変わりだしている。なにが変わろうとしているのか。
現代人は誰かに「素晴らしい」といわれたい、「すごいね」といわれたいと考えて、ものづくりするようになった。そういう目的で、コストを考えて、効率的につくろうとする人・企業が増えた。つまり現代のものづくりは
技巧・パフォーマンスに
力点がおかれるようになった
だからどんなに精微に、綺麗につくられたものであっても、現代人がつくるものに心が打たれなくなったのはそういうこと。「心」がなくなりつつある。
東大寺南大門 金剛力士像
鎌倉時代につくられた運慶・快慶チームの東大寺南大門の金剛力士像や、奈良時代につくられた興福寺の阿修羅像は今も人々の心を掴んでいる。興福寺の阿修羅像を観た瞬間、それまで騒がしかった修学旅行生が心静かな表情で手をあわせている場に、何度も出くわしている。
ものづくりの技術やツールは格段と進歩した。しかしそれらがなかった1000年前、1300年前の仏師に、現代の仏師が追いつけないのはなぜか?それは心、心を核にした思想が感じられるか感じられないかのちがいではないか。
この心=思想は今も昔も変わらない。美しいものは今も昔も同じ。生きていくうえで大切なことは今も昔も同じ。不変である。1300年前の人が感動したのと同じように、現代人も感動する。なにに感動するかというと
それをつくった人が、自ら道を選び、事柄の本質を見極め、それを通じてみんながありたい姿を想像して、その姿を創造できるよう、一心不乱につくりあげた作り手たちの心=思想に感動する |
この作り手たちのものづくりへの思想が、仏像・建築・芸能・書道・茶道・華道・和菓子・日本料理などを洗練させた。単に目に見えるものだけではない、目に見えないものが見えた。それに注ぎ込まれた作り手の思い、願い、夢が人々の心を打つ。技術やツールを超越した、ずっと変わらない作り手の心=思想が伝わってくる。その心=思想を私たちは失いつつある。だから心を打つことが少なくなった。
3.ことばには思想が込められている
世の中は「未来を夢見る人」と「過去の郷愁にかられる人」に分かれる。「これからに期待する人」と「これまでにこだわる人」は多いが、現在を大事にする人は少ない。
「10年後の2030年、30年後の2050年、50年後の2070年、あなたはどうしていますか?」すごいことになっているんじゃないか。では「10年前の2010年、30年前の1990年、50年前の1970年、あなたはなにをしていましたか?」そうだなあ、あの頃はよかったなぁ。じゃ「現在はどんな時代だと思いますか?」どんどん厳しくなってきたね。どうなっているのか、よくわからない。
「これまでこうしてきた。だからこうだ」
というが、これまでが分かっていない
「これからこうなる。だからこうだ」
というが、これからが見通せていない
なぜか。私たちは現在(いま)を軽視しているから、過去が見えない・未来が見えてこない。
現在は過去とつながっている。
現在は未来につながっている。
現在が過去につくられたように
未来は現在につくられる。
現代人は科学・技術の進歩で、簡単にいろいろなことができるようになった。しかし科学・技術を駆使して作られるモノ・コトが必ずしも過去につくられたモノ・コトのように、心を打たなくなった。その理由として、前段にモノ・コトづくりにおける「心=思想」のありなしを述べた。その「心=思想」が失くなった理由のひとつに、言葉の変化がある。
この3つの言葉を失いつつある。10年前、30年前、50年前と比べて、減った。思想は言葉に込められる。言葉には思想が込められる。言葉を失うということは、思想を失うということである。
大阪・関西万博2025まで、あと3年となった。万博会場でなにをどう展示するのか関心はある。しかし万博は会期中の会場でおこなわれるだけではない。まち全体が「これまで、いま、これから」を考えて、次に向かって動く機会であることも、「万博」の意味ではないだろうか。
パビリオンをつくる人だけが万博をつくるのではない。すべての人が主人公。10年先、30年先、50年先、100年先に生きる人々の心を打つものをどれだけ残せるのか。自らのフィールドでそれぞれが「心=思想」をどれだけ込められるのか。
「大阪・関西万博2025」後に向けた想いを「After2025」という日本国際博覧会協会の冊子に書いた。
私たちが失いつつある大切な言葉(池永 寛明) 東西での対話で気になることばがある。東京で話していると、「〜だよね」と言われることが多い。「私もいいと思っていた」という意味の「〜だよね」で、共感の安心が込められているように感じる。一方、大阪人は相手に対して、「〜とちゃうか」と問いかける。自分の考えを確認するため、「それって、〜とちゃうか」と相手にぶつけて議論し、対話を通して信念にしていく。議論のなかで自分の考え方が違っていることがわかったら、「なるほどなぁ」と前言を翻す。「〜だよね」の東京と「〜ちゃうの」の大阪。人の心を巧みにつかみ、深く対話を行い、物事の本質を捉えようとする大阪人。 そんな大阪から、減りつつある大切なことばがある。「なんでや?」「ほんまか?」「要はこういうこっちゃな」だ。「なんでや?」でその背景を知り、「ほんまか?」で真偽を確かめ、「要はこういうこっちゃな」で本質をつかむ。これこそ大阪人の対話力だった。大阪の強みそのものだった。
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「なんでや?」「ほんまか?」「要はこういうこっちゃな」の人と人の対話は、たんに言葉ではない。人と人を繋ぎ、融合して、新たなモノ・コトをつくりあげてきた思想であった。言葉に込められた「心=思想」を再起動させたら、生活・産業・経済・都市・地域・日本の再起動につなげられるかもしれない。2025年の大阪・関西万博をそういうふうに考えている。
(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)
〔note日経COMEMO 4月22日掲載分〕