〔四天王寺 聖徳太子 千四百年 御聖忌 慶讃大法会〕
「Well-Beingって、なんですか?」と訊かれて、明確に答えられる人は多くない。ビジネスの世界にも流行語がある。その言葉を知らないと、“こんなことも知らないの”と馬鹿にされることがある。だから本当はわかっていないのに、わかったふりをする。話す人も聞く人も、漠としたやりとりで終始する。そこからはなにも生まれない。
「これからの社会はWell-Beingだ」―― それはそのとおりだと思う。コロナ禍に入り、オンライン・リモート・テレワーク時代となって、働き・学び・暮らし・遊び方が変わり、地域・都市が大きく変わろうとしている。しかし社会は技術だけで変わるものではない。人々の価値観が変わり、技術と連動することによって、社会は変わっていく。その価値観のひとつがWell-Beingではないだろうか。
では、これからの社会を変えうる価値観Well-Beingとはなに?ある人は健康な状態だといい、ある人は幸福な状態だという。これまでも語られてきたことじゃないの?それは大事なことだけど、これからの社会を考える大切なキーコンセプトなのだろうか?このように「Well-Being」は誤解されている。
1.Well-Beingの「Being」の意味
Well-Beingは誤解されている。まずWell-BeingはWellness(心身の健康維持・増進を図ろうとする生活態度・行動)と混同され、Well-Beingを
心身ともに健康
という意味でとらえている人が多い。バイタルデータ等を組合せてデータサイエンスを駆使することで、Well-Beingが実現できるという文脈でとらえている人もいる。しかしそれも大切だが、それだけがWell-Beingの本質ではない。Well-Beingとはなにか。
Well-Beingを分解する。まず後半のBeingとはなにかを考える。BeingのBeはbe動詞である。これがとても大切なポイント。「Be」というと、日本人にとって有名な言葉がある。
・Boys, Be ambitious!(札幌農学校クラーク博士) 少年よ、大志を抱け ・Let It Be(ビートルズ) あるがままに、なすがままに、そのままに |
BeingのBeとはこれ。Beは英語。英語「Be〜」の語源は、ラテン語の「esse」。ラテン語「esse」はキリスト教のスコラ哲学由来で、神からものに付与される「存在性」のこと。
ラテン語「esse」は「存在動詞」で、イタリア語は「essere」、フランス語は「etre」、ドイツ語は「sein」、そして英語は「be」と派生する。漢字は「有」で、日本語では「ある」「いる」 |
ラテン語「esse」とは存在性、あり様、存しているということ。つまり「esse」とは生活(生きる活動)・暮らすための技術・方法・工夫というよりも、「そこで生きている様」「そこで過ごしている様」「そこで暮らしている様」をあらわしている。このラテン語esseを語源としたBeingとは、「生きている様」のことであり
Well-Beingとは、「よく生きる」となる
Well-Beingとはなにかを考えるとき、思い出していただきたい企業がある。通信教育などの「ベネッセコーポレーション」。1995年に、福武書店からベネッセに商号を変更されたが、この「ベネッセ(Benesse)」がまさに「esse」そのもの。 (ベネッセグループOur philosophy) |
2.Well-Beingの「Well」の意味
次にWell-Beingの「Well」とはなにか。たいていは「よい」と訳され、「良い」という漢字があてられる。この「良い」とはGood。
Goodには基準があって
それよりいいという「良い」
であるが、Well-Beingの「Well」は「佳い」という漢字のほうが相応しい。
Well-Beingの「Well」は
美しいという「佳い」
「良い」と「佳い」は同じ「よい」でも、意味がちがう。「佳」の字源は横から見た人の象形で、縦横を重ねて中心であるとともに均整がとれている人の姿をあらわしている。佳とは美しいこと。佳を人名につかうと美しい人。Well-BeingのWellは、この「佳い」。よって
Well-Beingは「佳く生きる」となる
「佳い」はさらに深い意味をもっている。ぐずる赤ちゃんに対して、私たちはこう言う
「よしよし」
この「よし」は「佳し」
赤ちゃんや子どもに「よしよし」というのは、「泣くな泣くな、大丈夫。あなたは誰にも否定されないよ。そのままでいいんだ」という意味を込めて、声をかける。また目下の相手の希望を承知したり、目下の相手をなだめたり力づけたりするときに「よしよし」という。この「よしよし」にも
「あなたはだれにも否定されないから」
という意味の「Well-Being」に込められている
「だれにも否定されない」 ― どこかで聞いたことがあるだろう。そう、「2030年までに持続可能でよりよい世界をめざす」というSDGsは、この「よしよし」に通じる。よしよし、よしよし。そのよしよしはなにを「佳し」とするのか。
人にはそれぞれの考え方がある
あなたは今のままでいい
あなたがそうおもうのなら
そのとおりでいい
これが「佳し」。ビジネスの世界にも「佳し」がある。幕末の長州藩の毛利公は、藩士の提案に、いつも「よきにはからえ」といった。「お前がいいと思うのなら、そうしたらいい」といった。そこから、「そうせい公」と呼ばれたというが、何も考えずに何でもかんでも「そうせい」「よきにはからえ」といったのではない。事前に話を聴いて議論をつくしたうえで、表の場で信頼の意を込めて「よきにはからえ」といったという。この「よき」は「佳き」で、「いい」とは「佳い」である。だから
Well-Beingは「佳く生きる」である
3.もうひとつのWell-Beingの言葉の誤解
Well-Beingにはもうひとつの誤解がある。「心身ともに良好」という文脈で使われるWellnessとかぶり、Well-Beingを健常者だけのもののように扱われるが、Well-Beingは障がい者にもあてはまる。精神を病んだり傷ついたりしている人にも、同じくWell-Beingがある。WellnessにかぶってWell-Beingは「健全であれ」という意味で受けとめられがちだが、そういう意味だけではない。もっと深く広い。
これでいいのかな?
それでいいんだよ!
ということもWell-Beingである。私たちはともすれば、「これでいいのかな?」「他の人はこんなことをしている」「どうしたらいいのだろうか?」「なにかしなければだめじゃないか」と不足に思ったり、不満に怒ったり、迷ったり、悩んだりしてしまいがちだが、一所懸命に生きているあなたは
今のあなたでいい
それが「佳く生きている」ということ
そんな心境がWell-Being
Well-Beingを単に心身ともに健康・幸福というようなステレオタイプに捉えていたら、大切なことが見えなくなる。そもそもの語源に立ち返って、Well-Beingとは何かを考えたら、本当の姿・世界が見えてくる。
もう一度、お訊ねする。「あなたにとって、Well-Beingって、なんですか?」 ここまで拙コラムをお読みいただいた方々には、その姿が少し見えてきたのではないだろうか。
これからGWに入る。一年で最もすごしやすい季節になる。いちばん大切な人と、いちばん心地よい陽射しのなか、いちばん好きな場所で、「私のWell-Beingって、なんだろう?」と想いを馳せていただくことを願って書いた。
(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)
〔note日経COMEMO 4月27日掲載分〕