エネルギーよもやま話 6
江戸時代のエネルギー事情から、現代を考えてみよう!
エネルギーよもやま話」では、エネルギーを多角的にとらえたワンポイント情報をシリーズで提供していきます。
江戸時代は、ほぼ再生可能エネルギーしかつかわない超サスティナブル社会でした。
では、現代の私たちはここから学ぶべきものが多いのではないか。そういった意味を込めて、過去を振り返ってみたいと思います。
1.江戸時代のエネルギー事情とは?
「昔むかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。ある日、おじいさんは山へしば刈りに…」
有名な昔話の冒頭です。
ちなみに、お爺さんが集めた「しば」は、漢字で書くと「芝」ではなく、焚火でつかう「柴」です。芝は草ですが、柴は樹木の細い下枝を指します。
お爺さんは、燃えやすくて手で折ることができる細い枝を刈っていたのです。そういえば、子供の二宮金次郎も背中に柴を背負って歩いていました。
当時は、薪と柴がおもなエネルギー源だったのですね。
江戸時代は、ほぼ再生可能エネルギーしかつかわない超サスティナブル社会でした。かまどや囲炉裏にはじまり、風呂も暖房もすべて自然資源でまかなわれます。
では、生活のなかで日々材木を利用し続ければ、どういったことが起こるでしょうか?
木々が成長するより伐採するスピードが早ければ、当然、山は禿げあがってきます。江戸時代の風景が描かれている歌川広重の『東海道五十三次』を見ても、どの山にも数本の松しか生えていません。
また、明治時代に撮られた風景写真でも、見渡す限り、ほとんどの山が禿げ山状態になっています。
明治中期の京都府南部 京都府レッドデータ2015より
建築資材やエネルギー資源として大量に伐採し続けたため、森林資源が枯渇寸前にまで追い込まれていたようです。
2.人口からみた森林資源の限界
つぎに、人口をみてみましょう。
西暦1600年の関ヶ原の合戦のころ、日本の人口は1200万人程度でした。その後の西暦1721年、日本ではじめての全国規模の人口調査がおこなわれました。
その時の人口が 3128万人。
わずか120年で2.6倍に増えています。
戦乱が終結し、新田の開発、農業技術や物流の発達によって食糧事情が改善されたことも、人口激増の要因でしょう。
ところが、そこから江戸時代が終わるまでの約150年間は、人口はあまり増えていないようです。
人口が増加した場合、田畑はあらたに開発して食料を増産することができますが、森林資源は伐採が促進されるだけですので、植林・育成殿バランスが崩れると、やがて限界がきます。
そうして江戸末期には山が禿げあがってしまったのですね。
当時のエネルギー使用量は現代人よりはるかに少なく、しかも、人口は現代の4分の1しかいない。にもかかわらず、森林資源を伐採しつくしている。
これが江戸時代のエネルギー事情だったようです。
同じことは、ヨーロッパでも起こりました。森を切り開くと、寒い気候のために森林が再生されずにいます。
いま、ヨーロッパで広大な森林は見る影もなくなっており、『眠れる森の美女』などの昔話にしか残されていません。
しかし、その時期にイギリスで石炭を利用した蒸気機関が発明され、産業革命が実現したのです。
石炭によるエネルギー革命は、世界中に急速に広がっていきます。
森林資源をエネルギー利用するには総量限界がある、と前回(エネルギーよもやま話5)でお話ししましたが、当時でも限界に近づいていたようです。
山に木がなくなれば、土砂崩れや洪水も頻発します。
森林資源への過度な依存は、環境によいとは一概に言えないようです。
森林資源の利用を今より増やすには、森林の持続可能な限界を超えない計画的な伐採と植林が必須なんですね。
このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。
次回をお楽しみに。