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2022年06月22日 by 池永 寛明

【起動篇】あなたは本当に自由ですか? ― 自由と統制(6)(最終回)

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制度を悪用した犯罪のニュースが続く。「現代は自由なんだから、なにをやってもいいだろう」という空気が充満している。当然ながら悪いことをした人が悪い。しかし悪用された制度をつくった人の方がもっと悪いという考え方がかつてあった。それらが根本的に機能不全をおこしている。

1.こうして責任をとらなくなっていく

 


これまでだったら考えられない異常なコトがおこる。しかもそれが日常化している。それを人々の劣化だという人がいるが、根本的に日本人に欠けつつある力がある。

物事の本質を考える力

それはなぜか。本当のことが見えてしまうと、自分も否定されかねない。そもそもを考えると、自分さえも不利益となる可能性がある。だから本質を見ないようにする。責任を負うことから逃げようとする。

コロナ禍について、ウクライナ紛争について、毎日のように様々な「有識者」がいろいろなコメントをしている。しかし時間の経過で、真実が見えてきたら、それまで毎日のように登場していた「有識者」がいなくなる。
なぜか。それは先生のみならず、その先生を多用してきた関係者の「立場」もなくなるから。だからこっそりと消えていく。まるでなにもなかったようにいなくなる。しかも

言いたい放題の
責任はとらない

どうなっていくのか。過去を総括しない。日本はその繰り返し。

2. こうして課題が見えなくなる


自由主義の世界では、競争社会で生きることが難しい社会的弱者を福祉的に救う。それが、現状、その対象がハンディキャップの人だけではなくなった。普通の人のみならず、強者ですら、時として「弱者」という側にまわって「特別な措置」を求めるようになった。

今までならば考えられなかった議論が堂々と繰り広げらるようになった。受験をなくそう。学費を無償化しよう。医療費を無償化しよう。一律、生活費用を支給しよう。さらにはすべての人を国で食べさせよう。そうすることが当然だと――それは民主主義ではない。共産主義ともいえない。なぜなら、そもそもなにも生産していないのだから。

そして、だ。金持ちの人たちまでも、すべての人を一律に支援しないといけないという議論になりだしている日本。一見、そのストーリーは至極正しいように見えるが

課題の所在を消している

全体一律化のなかで、本当に困っている人が埋没してしまおうとしている。これから日本人が逆風のなか、直面していく大きな課題である。

3.こうして権威は失墜していく

一所懸命に勉強した。受験競争に勝利して、超一流大学に入った。晴れがましく大学の門をくぐったら

競争社会というものは
いいことなんだろうか?

という空気になっていた。社会全体が白けている。努力に努力を重ねて超難関校に入ったのだから、“すごいね” “よくやったね”と社会的羨望を一身に受けてもいい。にもかかわらず、人並み以上に頑張って競争を勝ち進んだ人に、 「あいつは、親が金持ちだから合格したんだ」とか「なにかズルして入ったんだよ」 とかケチをつけ、その大学生のやる気を失わせ、社会を沈滞させていく。どうなっているのか。

権威も失墜している。権威という言葉すら薄れつつある。そもそも権威ってなに?という人すらいる。

あの先生は、若い頃から努力して海外に留学した。寝るのを惜しんで、研究に研究を重ねて、独創的な論文を書きあげた。学会で発表して、その世界で認められた。そして現在の地位についた。だからその世界に住む人々は、この先生の話に耳を傾け、学んだ。そしてみんなは、その先生のようになりたいと思った。それが権威であった。

権威が権威でなくなった。かつて権威は「社会が形づくった服従を許容する価値観」だった。絶対的な基準として、社会的につくられた「権威」でおさまる世界があった。現代、それが「あの人は上にうまく取り入っただけ」とか「あの研究成果は、今じゃまったく使い物にならない」だとか言って、認めなくなった。このようにこれまでの「権威」と言われたものが軒並み否定され、ついには無視され、消えようとしている。そうすると、こうなる

なにが良いか悪いかを
だれも決められなくなった

会社もそう。良い悪いを決めるはずの上司が、なにも言えなくなった。上司から怒られたことがないという現象がうまれた。部下は部下で、「私は上司から期待されていない」「心が折れた」と悩む。お互いが語り合えていない。お互いが分かりあえていない。その理由は、共通の知的基盤が薄れてしまったことが大きい。


お客さまとのトラブルが発生した。上司は部下に
「お前、あの人の所に行ってきてくれないか?」
「どうして私ですか?」「他の人ではだめですか?」
「……」
それでも「やれ」といったり、「やる気あるの?」とか「もういいよ、別にの人にお願いするから」と言ったら、パワハラとなるかもしれない。それ以上、なにも言えない。だから黙る。なにも言われない、そういう上司に対して、部下は「私は期待されていない」と勝手に思い込む

こうしてお互い、語らなくなった。上司は部下のことが、部下は上司のことがのいうことが分からなくなった。

4.これから日本人が直面していくこと

6回の「自由と統制」を考えつづけていくなか、見えてきたことがある。「人と人の関係性」という基盤が崩れつつあるのではないだろうか。

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日本型自由主義が進んでいくなか、こういう課題が浮上した。この課題から、日本はどう収束していけるだろうか?

かつてメルセデスベンツやタワーマンションを買ったら、みんなから「すごいね」と羨ましがられた。ただ人は自由に選択しているつもりでも、その人が帰属する組織やコミュニティの価値観という「統制」に従属している。その統制のなかで、「すごい」と言われた。

このように私たちは自由に物事を決めて行動しているように見えるが、それぞれが帰属する世界の統制のもとで「自由」を演じている。しかしその自由は帰属する世界以外では、通用しない。自分が帰属する世界ではない人から、「あいつは、きっとズルをして手に入れたんだろう」と言われるようになった。それが「多様性」という社会の別側面である。

私たちはどこかに帰属している。その帰属する世界のなかで「自由と統制」の間を行ったり来たりしている。

ここではマスクをしなくていいが、そこではマスクをしないといけない。
ウクライナ難民は受け入れるが、ロヒンギャ難民は受け入れない。
これはいいが、あれはだめ。これはだめだけど、あれはいい。
これも日本人が直面している「二極化」という社会の別側面である。

日本の現代社会を「自由と統制」を軸に考えてきた。日本はこれまでの「統制のなかで自由を求めてきた」時代から、「自由のなかで統制を求めていく」時代に変容しはじめている。これから日本型自由主義はどうなっていくのだろう。

これまで、行きすぎると抑制され、抑制されすぎると緩んだ― これまで日本は「自由と統制」の間を行ったり来たりしてきた。しかしかつて日本型自由主義は全体主義・統制的な軍国主義に陥り、暴走し、日本を破滅させた。

現代日本は「行きすぎた自由」「歪んだ自由」を暴走させつつある。これからどうなるのかは、現代社会のなかに埋め込まれている。現代を読み解くことで、これからの社会の姿を観ていかねばならないが、まだ分からない。

この5年間、毎週、現代社会の様々な姿を見つづけた池永COMEMOは286本となり、次回で最終回となる。

(エネルギー・文化研究所 顧問 池永 寛明)

〔note日経COMEMO 6月22日掲載分〕








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