第2話:実は長い道のり、多くの助けで成功へ
こんにちは、エネルギー・文化研究所の岡田直樹です。
第1話では、大きな変化があまねく全世代に及ぶ今こそ、世代や性別、組織の大小の違いを超えて異なる価値観をぶつけ合い、新たな価値を見出していく時だとお話しをした。大手企業は、事業想像はできるけれども、事業創造が苦手なので多くの人々から得意なものを持ち寄っていただき、集団戦で突破すべしというお話もした。今回は、なかでもとりわけ貴重な最初の事業の種を創る人にフォーカスし、ビジネス創出を目指すリーダーにお伝えしたい。
浮かれず、恐れず一人でも、賢く自分に合った起業に取り組んでもらいたいと思う。成功者から聞く話は素晴らしいアドベンチャー物語として聞こえ、自分にもできそうに思えるのではないか。しかし、現実は決して甘いものではない。
我々は、成功にたどり着ける人はほんの一握りであることをよく理解している。成功にたどり着くまでのエピソードは今でこそ笑い話にできるが、正に直面している当時はどうであったろう。お客がまったくつかないので走り回ったり、売れないなんてそんなはずはないと憔悴したり、お客からのクレームなどは序の口でしかない。ちょっとでも悪い状況になると、組織が大きく加速度的に成長していく過程で集まってきた社員の大量離反が起こったり、資金ショートで文字通り寝られない夜が続くなど、普通の人間なら心や体を壊してしまっているはずだ。冷静になれば、誰もがその道筋の厳しさを思い知るに違いない。加えて、いわゆる「セーフティーネット」などというものはどこにも無いのだから、起業することの厳しい現実を知れば知るほど割に合わないと思ってしまう人も多いだろう。
わが身に当てはめると、とても踏み出せない。もちろん、凡人はそれでいい。かく言う私自身、リーダーになるだけが目標でなくて良いと思っている。たとえばCTOやCOOなど、いわゆるCXOもとても大事な役割であり、今後は起業には人事やマーケーティングなど高度な知見をもった専門家が必要な時に合流してくるスタイルになると思っている。あくまで、自分に合った合流の仕方を選べばよいのだ。
ただ、敢えて言いたいのは、リーダーにしか見られないものは確かにあるという点だ。見られるものなら、少しでも多くの人に見てもらいたい。そこで私は、リーダーたちがたどった軌跡にこそ成功をつかむ多くのヒントが含まれていると考え、おもにITサービス系のベンチャー企業の社長に注目した。具体的には、上場企業を中心とする142社の創業者を対象に各種デジタルメディアで掲載されているインタビュー記事や発言記事の収集し、可能であれば私自身が直接面談して、起業までの軌跡を調査した。その結果をもとに、詳細なライフヒストリーの理解とプロファイリングを行った。
そこでわかってきたことは、リーダーとして登る山がわかれば恐れながらも覚悟のしようがある、ということだ。
一家を構えて独り立ちし、成功をつかもうとするなら、十分な準備が無ければ無謀でしかない。これは、一般論としては正しい。しかし、ITサービス系では起業から5年程度で上場と、短い期間で成功している企業も少なくない。上辺だけを見ると、それほど準備をしているようには思えない。
しかし実際は、この成功の前に長い準備期間があったはずで、我々には最後の成功しか見えていない。まず成功の前の5年から10年に渡り、度重なる起業を繰り返してきた期間がある。その最初の漕ぎ出しは早くて中学、遅くて会社に入ってからになる。が、その時はロジカルに勝機を見出しているのではなく、後のことを考えずに思い込みと勢いでスタートしている。むろん、あくまで小さくではある。この期間は、成功を手にするための必要な実践的準備期と言える。
もそも起業へと駆り立てる原体験は、物心がつく時期にまで遡ることができる。本人の意図に関わらず、途方もないアントレプレナーシップの涵養が行われているケースは多い。それもやはり計画的、意図的にではなく、無我夢中で何かをしているのであり、自分らしく自分の意のままに生き、その集中力も想像を超えるものがある。また、家が商売をしている場合は、好不況を乗り切り、何があってもしのいできた歴史など、商売の厳しさ楽しさの薫陶も受けてきている。こうして眺めると、少なくとも20年程度の長い時間が、ビジネス人生への踏み出しに関わっていることがわかる。その期間に得た多くの貴重な経験や、磨かれた感性を使い切ってこそ、つかむことができる「勝利」なのだと考えざるを得ない。そしてクライマックスへと踏み出した後は、どんな困難にも挫けず、迷わない。
先ほど私は、いわゆる「セーフティーネット」などはどこにも無い、と言った。その意味で、起業家にとってのセーフティーネットとは、失業保険や万が一の食いつなぎのバイト先のことではない。それは、ずばり「折れない心」のこと。苦しかったら逃げる道もあるのに、彼らはなぜ折れないのか。それは、自分の天命を知ってしまったからだ。加えて、創業時に同じリスクを負って集まってくれた、ごく少数の同志の存在が彼らを踏みとどまらせる。
起業家を目指すリーダーにとって「折れない心」こそ最も信頼できるセーフティーネットだ。しかしその精神的支えとしてリアルなセーフティーネット(と本人は思っていないが、第三者から見れば立派なセーフティーネットだ)も自然と張られている。以下、先の調査を通じ、最後の勝負に勝てた人を観察するなかで見えてきた、起業前の成長のプロセス(小学校程度から)と、それに関わるリアルなセーフティーネットについてまとめてみる。
(1)成功までに3回から5回のビジネスを立上げ、本格的なチャレンジの
基礎固めをしている
→ 小さな稼ぎはいつでもできる
子ども時代からお金儲けの面白さに目覚め、色々なことをしてきている。家が商売をしている人や、手伝いをしなければお小遣いをもらえない人も多かった。小遣い稼ぎから、次々と色々な商売を展開し、それが大人になった今も会社組織に衣を変え続いている。お金は自分で手に入れてきているので依存心が大変弱い。
事業を起こしていくなかで、自分にとって成長の余地が無くなったり、思ったよりスケールしないと悟ると迷わずピボット(ベンチャー企業でコアなビジョンを変更せず、それを軸にして「方向転換」「路線変更」をすること)。大胆に売却するなどして、より厳しい大きな目標へ身を置き自らを鍛え続ける、求道的な面を強くもちあわせている。
(2)会社経営に必要な知識を組織に属している間に学ぶ
→ 器用さや広い見識で出戻りやコンサルが可能
起業する年齢を決めて関連しそうな業界に入り、とことん仕事を頑張りながら、社内インターンシップのごとく経理や人事など専門サービスの部署へ入り浸って学習。経営の基礎知識の習得に努めている。なかには、社長の運転手やかばん持ちをしながら薫陶を受けた人も居るが、この人は貴重な縁をもらったと思う。
(3)自分の持ち味を活かし、特定の分野で日本一、組織一番になっている
→ 過去、一番を取った分野に返り咲きが可能
人が頻繁に入れ替わる厳しい歩合の営業職として入り、苦労しながらもトップを取る。あるいは、システム設計の第一人者になってしまうなど、「いつでも戻れる」食うに困らない場所を持っている。また、一番を取るための努力の仕方を知っている人でもある。仮に一番になれないと悟ると、思い切りよく転進して一番を目指す人もいる。一番は特別な順位だと知っているからだ。
(4)すべてを受け入れてくれる一芸の達人を、自分を支える右腕に
据えている
→ 逆境のなかで共に最後まで支えてくれる
自分のわがまま、癖を飲み込み、黙って尽くしてくれる右腕(学校の同級生、クラブの後輩、弟など)を早い時期に見つけ、三顧の礼をもって迎え入れている。彼らは専門知識を発揮することに加え、甘えられる女房役、つらい時の感情を大きく受け止めてくれるかけがえのない存在でもある。また、本当に会社経営が危機の時に、多くの社員は居なくなるが、普段は口数少ない彼らは逃げず、むしろ反対に檄を飛ばし励ましてくれるのもこういった人々である。
こうしてみると、ある者は、いつでも自分が食べていく位のビジネスならできる。またある者は、厳しいが大きな歩合がもらえる現場で相当な稼ぎをたたき出せる。そしてある者は、幅広い知識で経営者の右腕として活躍できる状態だとわかる。そのうえで、それぞれのリアルなセーフティネットに甘えなかった者が勝利者となっている。
ちなみに、ここまでの例にあてはまらない特殊なケースとして、病気、けがなどをして死の淵からよみがえった人も少数いる。いただいた命を真剣に世の中のために役立てたいと考え、一念発起しているわけだ。彼らにとって、セーフティーネットは生きていることに感謝する実感そのものと言える。
さて、ここまでは自力でやれたことであるが、ここからは違う。成功したリーダーは圧倒的な努力と、砂漠に降った夕立のような吸収力で知恵を付け、成長し続けてきているが、その成長を成功に結び付ける最後の仕上げが、リーダー自身にとって唯一素直になれる「導師」(メンターレベルではなく、富士山の山頂で迎える御来光のような圧倒的な理屈抜きの導き手)を持つことである。
従来、経営者というのは何度も脱皮を繰り返しながらじっくりと成長し、“本物”になっていくものだった。しかし現在は、ビジネスのライフサイクルが非常に短くなっており、社会変化のスピードの方が速く、もたもたしているとすぐ追い抜かれてしまう。そうしたなかで、何もかも打ち明けられる、または何を悩み、何に困っているかお見通しという「導師」の懐に飛び込めるのは天の恵みに違いない。片時も立ち止まれない時、社内で相談できないことに思い悩む時間など無いのだ。
導師から得られる薫陶には大きくふたつあり、そのひとつはマネジメントに関するもの。急激な規模の拡大には経営の視点が重要になり、たとえば企業の成長過程で立ちはだかる「30人(ないし50人)の壁」と呼ばれるステージなど、乗り越えるには自ら気づかずとも聞けばよい定石が山ほどある。もちろん、この程度は導師ではなくてもよいのだが。
ふたつ目の大きなポイントとなるのが、覚悟と矜持だ。直接的なハウツーではなく、もっと大事な事に気付かせてもらえる。この先にはまだまだ大きな世界があること、心を乱さず不要な拘りから脱却すべきことなど、経営者として大きく脱皮するための示唆に腹落ちし、人間力が高められていく。
こうした導師は当然、先輩経営者であることが多いのだが、それだけに誰でも伝授してもらえるわけではなく、聞かせていただく素養が必要である。そもそも、そうした先輩経営者は忙しいし、リターンもそれほど期待して目を掛けているわけではないので、そうやすやすと教えを受けられるはずがない。胸を貸すかどうかは、これからのリーダーとして見どころがあるかどうか。それ以上に大事なことが、楽しませてくれるかどうかだ。これについては言葉にしにくいが、映画「マイ・フェア・レディ」のイライザのように導師の想像を超える成長、予測不可能な行動、まさに「あっぱれ」と期待させることが必要になる。たとえが難しいが、私などは落語の大師匠に弟子入りする場面などを思い浮かべてしまう。
圧倒的な発信や露出を心がけ、臆することなく先人に胸を借りに行くことで、自分にとっての「導師」を得るわけであるが、彼らはその発信の繰り返しのなかで自分のビジネスを表現する言葉を手に入れてもいる。天命を自覚し、ビジネスの本質を理解し、それを言葉にできたリーダーは、先輩経営者からも社会からも認められていく。導師から、経営者になった者しかにしか見えない景色を伝授され、リーダーはようやく自らの景色を見るようになるのだ。その時こそ、リーダーは経営者へと生まれ変わっていくわけで、その瞬間が導師にはたまらない楽しみなのかもしれない。
私は、オープンイノベーションの場合でも、大手企業の内部ではベンチャーとのアライアンスを部下に任せきりしてはいけないと考えている。すなわち、大手企業の社長こそがベンチャーから導師として認められることが大事ではないだろうか。経営者同士の心が通って初めて、真のイノベーションに向けて大きな経営資源を動かし、世を変えていけるのではないか。これこそが、あるべきオープンイノベーションだと考える。その際に、両者の間に立つ大手企業の中間管理職の役割が重要となるのは言うまでもない。この中間管理職こそが大手企業にあって改革のリーダーとなり、そして世に多く排出される経営者の卵であると確信する。