こんにちは、エネルギー・文化研究所の弘本由香里です。
私はこれからの地域・社会を支える文化やコミュニティ・デザインのあり方について考え、実践的な研究活動に取り組んでいます。
今回は、先月発行した情報誌『CEL』132号にて、社会福祉法人佛子園の雄谷良成理事長へのインタビューで語られた事例の一つ「三草二木 西圓寺」に注目します。無住の小さなお寺の再生プロジェクトが、福祉の考え方を大きく変えていきました。そのプロセスと力の源泉を見つめ、学ぶことができればと思います。
1.「三草二木 西圓寺」誕生の経緯
社会福祉法人佛子園は、石川県白山市に本部を置いています。そもそもは戦災孤児等をお寺で預かり育てたことを発端に、1960年に知的障がい児の入所施設を開設し、長く運営されてきた歴史があります。現理事長の雄谷良成さんは、3代目に当たりますが、青年海外協力隊としてドミニカ共和国での障がい者教育の指導者育成なども経験されています。その後、佛子園で課題と思われていた、知的障がい児の成長後の居場所となる、入所・就労施設づくりに取り組まれてきた背景があります。
情報誌『CEL』132号(特集:空き家・空き地とソーシャルデザイン)
[インタビュー]P2〜7 雄谷良成氏(社会福祉法人佛子園理事長)
https://www.og-cel.jp/search/__icsFiles/afieldfile/2023/02/20/02.pdf
さて、そんななか、隣接する小松市北部の野田町で、無住となってしまった地域のお寺をどうしたらよいものか、佛子園に相談が持ちかけられたのだそうです。当初は、佛子園のスタッフと障がい者が、定期的に掃除に通うことから始め、そのうちに町内の方々もいっしょに掃除をしたり、お茶を飲んだり、スイカを食べたり。ともに時間を過ごすうちに、年齢も障がいの有無も問わず、分け隔てなく開かれた居場所こそ、支える側・支えられる側の固定的な関係性を解き放ち、ともに支え合う関係性、互いのエンパワーメントにつがなることに気づかされていったのだそうです。そのために、どんな施設や取り組みがあればよいのか、地域の方々と話し合いを重ねられ、2008年「三草二木 西圓寺」が誕生しました。人口減少地域の空き寺が次のステージに進んで、未来の母体ともなり、これからの地域・社会を支える「ごちゃまぜ」のコンセプトが産声を上げたのです。
そこでは、誰もが日常的に訪れ集うことができるように、温泉を掘削し入浴施設を設け、町内の住民は無料で、町外からの来訪者は有料で入浴できるよう運用されています。地域コミュニティの場であると同時に、障がい者就労支援、生活介護、高齢者デイサービス、放課後等デイサービス、児童発達支援などのサービスが提供され、カフェや酒場、野菜や手作り品の製造・販売所、駄菓子屋も営まれ、コンサートや定期市も開かれています。町民はもちろんのこと、町外の人々にも愛される、みんなの「よりどころ」の趣を醸し出しています。
2.その名に込められた想い
雄谷さんは、情報誌『CEL』のインタビューの中で、「お寺というのは集落の中心にあり、先祖たちが時代とともに心を通わせてきた場所。もともと、いろんな世代が『ごちゃまぜ』で関わり合っていたと言えるでしょう。障がい者だけでなく、子どもや老人も含め幅広い人が使える場所にしたいと考え、一切の制約を設けないフリーハンドでリノベーションしました」と振り返られています。地域の古寺が持つ歴史・文化的価値が、「ごちゃまぜ」を実現する際に、建築・福祉行政面の理解を引き出す助けになったのかもしれません。
「三草二木(さんそうにもく)」とは、もともと仏教の法華経にある言葉で、施設名にこの言葉を用いた想いが、次のように表明されています(同施設ホームページから)。
「太陽の光は万物に平等に降り注ぎ、雨もまた平等に大地を潤します。等しく恵みを受けた草木は、けれども上草・中草・下草、大樹・小樹と、それぞれに違った成長をし、違った花を咲かせ、違った実を結びます。この地上には、大きさはもちろん、姿や形が違うさまざまな草木が生い茂り、それぞれが持ち前を発揮しているのです。西圓寺では一草一木、一人ひとりに応じたサービスの創造を通して、人と人が支え合う町づくりに貢献します」。
この理念が、法人内だけでなく、年齢や障がいの有無を超えて地域とともに共有され、遠来の来訪者の心にも沁み込んでいくところに、「三草二木 西圓寺」が世に問うてきた価値、これからのウェルビーイングをリードする、地域共生ケアの本質があるのだと実感します。
3.次世代に受け継がれていく価値
同施設のオープンから10年後の2018年には、隣接する空き家・蔵や工場跡地を活用して、「ごちゃまぜ」コンセプトが発揮されたウェルネス施設や、自家焙煎の珈琲店やリラクゼーション施設が設けられ、一段と求心力のある場に育っています。
この間、野田町の人口・世帯数は増加し、若い家族世帯の回帰や、途絶えていた地域の人々の縁の回復なども見られるようになってきているそうです。
「三草二木 西圓寺」は、佛子園の事業全体の大きなターニングポイントとなり、その後、白山市(本部)や金沢市や輪島市で「ごちゃまぜ」理念を貫く、施設型やエリア型やタウン型の複数の事業へ展開しています。それらの事業を創造していく次世代のスタッフも育っています。
「(三草二木 西圓寺の)開設から15年が経ち、小学生の頃に通っていた子が福祉を学び、佛子園の職員になった例もあります。その子にとっては『ごちゃまぜ』が当たり前、『こういう場所で自分も働きたい』と言ってくれた。いわば地域との関係性からリクルートも行われているのです。ありがたい話ですよね。」と、情報誌『CEL』のインタビューで語られたエピソードが、何よりも雄弁にその価値を物語っています。
■情報誌『CEL』132号(電子版でもお読みいただけます)
Vol.132「【特集】空き家・空き地とソーシャルデザイン」
https://www.og-cel.jp/issue/cel/1720133_16027.html