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2023年08月30日 by 山納 洋

【シリーズ】街角をゆく Vol.3 池田(大阪府池田市)


こんにちは。エネルギー・文化研究所の山納洋(やまのう・ひろし)です。

僕は2014年から「Walkin'About」という、参加者の方々に自由にまちを歩いていただき、その後に見聞を共有するまちあるき企画を続けています。

その目的は「まちのリサーチ」です。そこがどういう街なのか、どんな歴史があり、今はどんな状態で、これからどうなりそうかを、まちを歩きながら、まちの人に話を聞きながら探っています。

この連載ではWalkin'Aboutを通じて見えてきた、関西のさまざまな地域のストーリーを紹介しつつ、地域の魅力を活かしたまちのデザインについて考えていきます。


今回ご紹介するのは、大阪府池田市。阪急宝塚線・池田駅の周辺です。

 

池田は近世に「在郷町(ざいごうまち)として発展したまちです。天下の台所・大坂と農山村を結ぶ中継地にあたり、農村でありながら商工業者が集住する小都市的な集落を形成しています。

池田には応神天皇の頃、大陸から呉織(くれはとり)・穴織(あやはとり)がこの地に渡り、織物や染色の技術を伝えたという伝説が残っており、現在も呉服神社、呉服橋、呉服町などの地名が残されています。平安時代後期には荘園が成立し、呉庭荘(くれはのしょう)と呼ばれました。

南北朝時代には、摂津池田氏の居城池田城が築かれましたが、戦国時代に廃城となりました。そして江戸時代には、池田は商業都市としての性格を強めるようになりました。


池田は、酒どころとして知られていました。元禄10年(1697)には、池田村には32軒の酒屋がありました。池田の酒は、当時上方から江戸に送られた酒の1割近くを占めていたと言われ、また伊丹酒とともにその品質で一、二を争う好評を博していました。

ですが、江戸後期になると、神戸の灘五郷にその座を明け渡しています。その理由は、ここが在郷町だったことにあります。池田の町のすぐ西側には猪名川が流れていますが、池田で造られた酒はここからではなく、3kmほど下流にある伊丹の下河原(しもがわら)から船で運ばれていました。陸上輸送に関する権益を有していた馬借・馬持・問屋や、船による水利施設の破壊を懸念した周辺の農村が通船の計画に反対したためです。

このため池田の酒荷は下河原まで馬で運ばれ、そこで川船に積み替えられ、さらに樽廻船に積み替えられて江戸に運ばれていました。そのことで、後に直接江戸への船積みができる灘五郷が台頭した時にその座を明け渡すことになったのです。

池田では現在、2軒の造り酒屋が営業を続けています。「緑一」の蔵元・吉田酒造は元禄10年(1697)、「呉春」の蔵元・呉春酒造は元禄14年(1701)の創業とされています。


  吉田酒造


   呉春酒造


 

池田は、炭の取引でも知られていました。猪名川上流域の山間部では、室町時代から銀の精錬用として炭が盛んに作られてきました。最盛期には池田には40軒の炭問屋があったそうです。クヌギを使った良質の炭は「池田炭」と呼ばれ、茶の湯などで珍重されてきました。


また「池田の猪買い」という、池田を題材にした落語があります。病に悩む男が「獲れたての新鮮な猪の肉が効く」と言われて、大坂から池田にいる猪撃ちの名人のところまで歩いてやって来るという話です。炭にしても猪にしても、池田という町が都市と山とをつなぐ場所だったからこそのエピソードです。


 

  池田炭



明治以降に、池田は急速に住宅地化されます。阪急池田駅は、明治43年(1910)に、箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)の開通と同時に開業しています。そして同年、駅の南側に、分譲住宅地「池田室町」を開発しています。


  池田室町の町並み


ここは日本初の鉄道会社による宅地開発として知られています。「模範的郊外生活」という生活スタイルが提唱され、購買部と呼ばれるマーケットや商店、公園のほか、果樹園や玉突台のある社交倶楽部まで設置されたそうです。


阪急電鉄の創業者・小林一三氏は、鉄道を中心とした都市開発、流通事業、観光事業などを一体的に進め相乗効果を上げる、「小林一三モデル」として知られる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げた方です。小林一三氏は、池田・五月山南麓に私邸「雅俗山荘」を構えました。ここは現在「小林一三記念館」となっています。そしてそのすぐ近くには、彼が蒐集した美術工芸品を所蔵する「逸翁美術館」が、同じく住宅街の中に佇んでいます。


  雅俗山荘


池田の町は基本的には郊外住宅地ですが、古代の伝承を残す神社があり、池田城が城跡公園として整備され、酒蔵が今も残され、池田炭を商うお店(本業はクリーニング屋)があり、江戸時代の芝居小屋「呉服座」の建築様式を一部再現した大衆演劇場があり、「落語みゅーじあむ」があり、小林一三記念館や逸翁美術館、さらにはカップヌードルミュージアムまであるなど、まちの歴史が重層的に残されています。江戸時代からの建物は阪神・淡路大震災により随分なくなったとも聞きますが、その来歴に思いを馳せて歩いてみると、さまざまな発見のある、魅力的なまちです。


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