「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えてみたいと思います。アメリカで石油が発見されたことが幕末の日本にも影響したことを、これまでにご紹介しました。遠い国で起こったお話しですが、その後の日本にも大いに関係してきますので、その時の状況をみておきましょう。
1)ドレーク大佐の愚行だった?
石油の発見者として、ドレーク大佐の名が知られています。米ペンシルバニア州タイタスビルの狭い谷で、人類最初に石油鉱床を発見した人物です。
当時のタイタスビルには、林業でなりたつ小さな集落しかありませんでした。ドレークは大佐と呼ばれてはいますが、箔をつけるために村民に大佐と紹介されただけです。しかし、この肩書は彼の生涯について回るものとなりました。
彼の本名はエドゥイン・ローレンティン・ドレーク。声が大きく自慢話が大好きな、いわゆる典型的な山師です。バーモント州の小作農出身の彼は学校を中退し、職業も転々としていました。妻に先立たれると自宅を売り払い、ニューヘブンのトンチン・ホテルで暮らしはじめます。
そんな時、石油掘削の現場監督の仕事が舞い込んだのです。ドレーク、38歳の時のことでした。
じつは、タイタスビルの事業を企画し実質的に運営したのは、ニューヨーク弁護士のジョージ・ビセルという人物です。ビセルは、母校ダートマス大学の研究室で偶然見たロックオイルの標本に魅せられたのです。
ロックオイルとは、直訳すれば「石油」です。岩の間から染みだしてくる黒い油のことですが、それが充分な量を経済的に生産できるのであれば、照明の分野でイノベーションを起こすことができると直感しました。ビセルはエール大学の専門家に標本の分析を依頼し、その結果からロックオイルの商業価値に確信をもつにいたります。
ニューヘブン銀行頭取のジェームズ・タウンゼントをはじめ何人かのパートナーを集め、史上初の石油採掘にとりかかりました。地上に滲みでたロックオイルの油層にたどりつくために岩塩の掘削技術を応用するなど、人類初の事業に対してたいそうな努力と工夫、そして資金をつぎ込みます。
ビセルに派遣され、意気揚々とタイタスビルの現場にのり込んだドレークですが、人類ではじめての石油掘削は甘くはありませんでした。プロジェクトの立ちあげに時間を要し、資金も底を尽いてしまいます。
住民からも「ドレークの愚行」と冷ややかに評されたこのプロジェクトは、不発に終わりました。作業を終了し、すべての支払いを済ませてニューヘブンへ戻るよう、ビセルからの厳命がくだされたのです。
2)わずかなタイミングのズレが世界を変えた!
事業は失敗とみなされ、完全退去の指令がでました。しかし、撤退の手紙がドレークの手にまだ届かない8月27日の土曜日午後、運命が逆転します。
ドレークはいつもどおりに作業を続けていたのですが、急に掘削機械が動かなくなり、中断せざるをえなくなりました。不思議に思って掘削穴を覗き込んだところ、底に黒く光り輝く液体が見えたのです。その液体は汲みあげられると、小さな木桶の樽に溜められました。
この液体こそがロックオイルであり、石油の大叙事詩のはじまりとなったのです。愚行が勝利をえた瞬間でした。
真の立役者であるジョージ・ビセルはすぐさま事業化し、精力的に活動を開始します。ビセルは、晩年までに相当な財産を残して、ニューヨークで死去しています。資金や組織をそろえたビセルですが、なぜか彼の名が石油の歴史で語られることはありません。
一方、出資者であったジェームズ・タウンゼントはその後、名声どころか財産すら残すことはありませんでした。
晩年のドレークは、ほかの誰よりも困窮した惨めな生活を送っていました。のちにペンシルバニア州政府によって功績を称えられ、わずかな年金を受けることでようやく貧困から救いだされます。ドレークは死後、この村に埋葬されて記念碑も建てられましたが、石油掘削の成功が彼の人生を変えることはありませんでした。
石油に人生を翻弄された人々でしたが、ドレークの物語は石油の歴史の最初の1ページに記されています。
ペンシルベニアで発見された石油は、アメリカ中をオイル・ラッシュの狂乱状態へ変えました。
1859年には2千バレルにすぎなかった石油の生産ですが、翌年には50万バレルに、その翌年には200万バレルに達します。生産量が、たった2年で千倍になったのです。
我もわれもと山師がペンシルバニアに集まって、掘削をはじめました。運良く鉱脈を当てた者は、ケロシン(灯油)に精製して売りさばいていきます。
やがて、精製から流通、販売までのすべてを牛耳った者が弱者を制する弱肉強食の時代が幕を開けることになります。石油を支配した者が従来の常識や秩序を根底からひっくり返す「ゲームチェンジ」の覇者となる世界へ突入したのです。
エネルギーを用いた「ゲームチェンジ」。これは現代社会においても、さまざまな国が虎視眈々と狙ってうごめいている動きと本質的になんら変わることはありません。次回から詳しくみていきましょう。
このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。