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2024年01月19日 by 前田 章雄

【歴史に学ぶエネルギー】11.日本で誕生した石油企業シェル


「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えています。

これまでのコラムでは、明治維新後の日本がおかれた状況をみてきました。植民地全盛の時代に、国を守るための富国強兵策を進めていく。その背景で、石油を取り巻く不穏な動きが顕在化しはじめます。

 

1) 貧しいユダヤ人少年の物語

ロンドンの東側にある貧民街イーストエンド。ここは、ロンドンの中心街に定住することを許されなかったユダヤ系住民が集住する地区です。

そのユダヤ人街で、ある男が貝殻細工の商売をしていました。彼の名は、マーカス・サミュエル。外国帰りの船員から珍しい外国の土産を買い、海辺のリゾートで若い女性に売っています。そのなかでも人気が高かったのが、貝殻で綺麗に飾った置物でした。

その男には、子供がたくさんいました。息子たちである11人兄弟の10番目、頭は良いが学校の成績が悪かったマーカス(父親と同じ名前をつけています)は、高校を卒業した際に父親からわずかの小遣いと極東行きの片道切符をわたされます。はっきりいって、体のいい追い出しでした。

 

息子のマーカス・サミュエルは船旅の最終であった横浜の地で船を降り、漁師の手伝いをしながら三浦海岸の無人小屋で暮らしはじめます。

やがて海岸から美しい貝殻を集めて、イギリスの父親に送るようになりました。漁業の閑散期の副業として、漁師の妻たちに貝細工の製造を委託するなどの商才が発揮され、父子ともに商売が成長していき父の会社も大きくなります。

マーカスは弟のサミュエル・サミュエル(これもふざけた名前ですね)を日本に呼び、貿易商をさらに発展させて横浜にサミュエル商会を開くまでに成長します。マーカス23歳の時のことです。

のちに神戸に移ったこの貿易会社をもとに、彼は大きな財産をつくります。

 

このころのマーカスには石油の知識はまったくなかったのですが、1万ポンドを投資してインドネシアで石油を探させました。すると、幸運なことに石油を掘り当ててしまうのです。

しかし、インドネシアでは暖房の必要も夜間の活動もないことから、石油の販路を日本に求めました。

ライジング・サン石油株式会社。マーカスがつけた石油会社の名前です。三浦海岸で見た美しい日の出の風景を会社名に託したのでしょう。

マーカスはのちに「タンカー王」と呼ばれるようになりますが、石油タンカーにはすべて日本の海岸で拾った貝の名前をつけています。

「貧しいユダヤ少年として、日本の海岸でひとり貝を拾っていた過去を決して忘れない」

このように書き残しているマーカスは、横浜水道や横浜港湾の整備にも協力しています。

大きな河川をもたない横浜港は、河川から流入する土砂堆積がないため、大型船の接岸に適していました。逆に大河川をもたなかったことが、日本最初の水道敷設につながっています。

それまでの横浜が寒村であった理由として、水の利用に窮してきたことがあります。マーカスも協力した水道敷設によって、現在の横浜の発展につながったといっても過言ではないでしょう。

 

日露戦争でロシアによる日本占領が目前にせまりつつあるなか、マーカスは「日本人は約束を守る民族」とイギリス政府からの融資を引きだし、高橋是清による巨額の国債発行へとつなげます。

 

2)誤ったエネルギー戦略

当時も現代と同じく、世界の目は巨大な人口をかかえる中国市場にむいていました。しかし、日本の市場を信じて開拓したマーカスは自身の日本贔屓について、つぎのように答えています。

「日本人は正直だ。だから未来がある」

彼はぶれることなく信念を貫き通します。やがてマーカスは横浜にシェル運輸公益会社を設立し、こうして横浜が世界企業シェル発祥の地となるのです。

 

日露戦争の勝利を境に、日本は西欧列強に肩をならべるまでになりました。いや、正確にいえば、肩をならべたと勘違いしただけなのかもしれません。

しかし、さらなる軍備増強をしなければ、いつ植民地化される恐怖が蘇ってくるかわからない。富国強兵が国策における至上命題となっていくのです。

富国強兵には、石油の獲得も至上命題です。ところが、その後の日本は、命をつなぐべき石油をアメリカ一国にゆだねてしまいます。石油輸入の8割以上がアメリカ産で占められていました。

多様性の確保が必須であるべきエネルギー資源の獲得において、マーカス・サミュエルのような新興の優秀な人材に目もくれず、すでに世界の石油市場を牛耳っていたアメリカの巨大企業連合の軍門にくだったのです。

 

当時の日本は、欧米先進国と同じような植民地を欲し、石油を求めて満州へ侵攻します。しかし、そのことがアメリカの逆鱗に触れ、石油と鉄鉱石のエンバーゴ(禁輸)をくらいます。もちろん、裏事情として日米のさまざまな思惑が交錯していたこともあったでしょう。

しかしながら、結果として石油もなくなり、鉄もない。やがて日本は真珠湾へ攻撃し、満州をはじめ東南アジア諸国への侵略戦争に突き進むことになりますが、その芽はかなり以前から出始めていたのです。

 

 

このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。

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