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2024年02月02日 by 前田 章雄

【歴史に学ぶエネルギー】13.ジェームズ・ディーンと石油!?



今回の「歴史に学ぶエネルギー」は、稀世の名俳優ジェームズ・ディーンを取りあげたいと思います。デームズ・ディーンといえば、孤独と苦悩を迫真の演技で表現し名声を得たにもかかわらず、デビュー半年後に自動車事故によってこの世を去った伝説的俳優です。

でも、彼と石油のどこに共通点があるのでしょうか?


1)遺作となった映画『ジャイアンツ』

ジェームズ・ディーンの最後の作品となった『ジャイアンツ』(1956年)。

テキサスに広大な牧場をもつロック・ハドソンに雇われた貧しい牧童のジェームズ・ディーンは、雇い主に反抗的な態度をとり続けます。業を煮やされた彼は、やがて牧場の一角を譲り受けます。体のいい追い払いです。すると彼は一攫千金を求めてヤグラを組み、石油掘削をはじめたのです。

まわりから馬鹿にされながらも決して諦めなかった彼は、ついに油田を掘り当てます。ジェームズ・ディーンが油まみれになって歓喜の声を上げるシーンは、この映画の名場面のひとつになっています。

大富豪になった彼は、成金で横柄な態度をとるとてもイヤな奴。愛想をつかされてみんなが離れていくなかで、じつは牧場主の夫人エリザベス・テイラーに密かに恋心を抱き続けていたことが判明するのです。雇い主を見返してやろうともがき、金持ちになってもあがき続けた理由が、そこにあったのでした。

アメリカ開拓時代の一人の男の人生をつづった長編ドラマです。


じつはこの映画の本質は、アメリカ南部に歴然として残っていた人種差別を鋭く非難しているところにあります。

ロック・ハドソンも人種差別する側の役でしたが、当時では一般的なアメリカ人像です。その牧場主の息子が、差別の対象であった先住民の女性と結婚するのです。なんだか親子の間もぎくしゃくしています。

あるとき、みんなでレストランに行くことになりました。すると突然、レストランの店主が息子の妻にむかって「おまえは出ていけ」と、彼女だけを追い出そうとしたのです。

当時のアメリカにはジム・クロウ法という人種隔離政策があり、こうした行動が合法化されていました。信じられないことに、このような悪法が1964年まで実際に施行されていたのです。

映画では極度の差別主義者だったはずのロック・ハドソンが、横柄な店主に対して「彼女は、私たちの家族だ!」と叫ぶのです。感動的な場面です。


話が脱線しましたが、映画のなかでデームズ・ディーンが掘り当てた巨大な油田のことを「ジャイアンツ」と呼びます。

現実のテキサスで大量の石油が出たのが1901年。それとともにアメリカ社会が発展し、1903年にフォードが大衆車構想を発表します。ライト兄弟が自動車エンジンを使って飛行機を飛ばしたのも、そのころです。

石炭を基本とした蒸気機関は、イギリスの産業革命で生まれました。やがて石油を利用した内燃機関として、アメリカでさらなる発展を遂げていきます。

テキサスで発見された「ジャイアンツ」によって、当時のアメリカは高度成長に必要な石油をすべて自国で賄うことができたのです。


2)テキサスの石油発見

現実の世界においては、テキサス南東部のある小さな町に問題の丘がありました。丘の途中にある数か所の泉から、ガスの泡が吹き出していたのです。この丘は地域住民からスピンドルトップと呼ばれていました。丘に生えていた木が逆円錐形をしていて、ちょうど紡績機のスピンドルに似ていたからです。

材木商人のパティロ・ヒギンズは、噴出したガスに火をつけて燃やしてみました。すると地面に青くやや黄色がかった炎が立ちのぼったのです。彼は地下に石油があることを確信します。

ヒギンズはすぐさまグラディスシティ石油ガス製造会社を設立し、雑誌広告で集まったルーカス海軍大佐とともに掘削をはじめます。しかし、なかなか石油はでてきません。困り果てたふたりはピッツバーグに向かい、石油仲介人のジョン・ゲイリーに助けを求めます。するとゲイリーは銀行家のメロン兄弟から30万ドルの財政支援を取りつけました。


石油掘削は千三つ、つまり千個の井戸を掘って三つ当たればよい、といわれる厳しい世界です。彼らは秋から掘削をはじめていましたが、やがてクリスマスを迎え、正月に再開して10日が経過しました。

いまだなんの兆候も現れず、諦めかけていたそんなある日、信じられないことが起きました。井戸の底から泥水が泡をあげたかと思えば、何秒かあとに6トンの掘削パイプが吹き飛ばされて櫓の上部を跳ねあげ、ジョイントも引きちぎって上空に舞いあがったのです。

深い地響きが連続的に鳴って、石油が櫓のはるか上空にまで吹きあがり、弧を描いたのです。ヒギンズは全身まっ黒になって叫びます。

「この一滴一滴のすべてが石油だ!」

テキサスの石油ブームの時代が到来したのです。油田算出量として日量数十バレル規模が一般的だったこの時代に、いきなり日量数万バレルという爆発的な生産量を誇りました。ルーカス油田と名づけられたこの近隣には油井櫓が立ち並び、ボーモントの人口は5倍に膨れあがります。

いきなりの大増産によって、当然、石油の価格は大暴落したのですが、ペンシルバニアのロックフェラーと同じく豊富な資金をもつ者が他者を圧倒していきます。ウィリアム・メロンはすぐさま現場へ急行し、対策を指示しました。メキシコ湾岸のポートアーサーに製油工場を建設し、オクラホマのグレンブール油田までの全長700キロメートルをパイプで結びました。誰よりも早く強固な商業基盤を構築したのです。


こうしてその後のメジャーのひとつ、ガルフ石油会社が誕生しました。

一家の総帥アンドリュー・メロンは、ガルフ石油の財力をもってアメリカ財務長官となります。のちにイギリス大使の座を射止めるや、クウェートの石油利権をアングロ・イラニアン石油と分かちあい、ガルフ石油に天文学的な利益をもたらします。

莫大な量の石油が、政治の世界と結びつきはじめたのです。

 


このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。


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