「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えています。石油の有用性を証明した第一次世界大戦ですが、あらたに石油が出はじめた中東地域に欧米列強が群がります。
1)世界大戦の戦後処理
第一次世界大戦は、その勝敗を石油が握っていました。
ドイツはUボート作戦によって連合国の石油タンカーを海中から狙い撃ちし、石油備蓄を危機状態におちいらせる作戦を遂行します。しかし、連合国にはアメリカという大産油国がついていました。これが勝敗を決しました。戦争最後の一年は、連合国の石油の80パーセントをアメリカが供給していたのです。
「石油は国家の運命を左右する」
ウィンストン・チャーチルが主張し続けた考えは、この大戦によって完全に証明されました。
第一次世界大戦でドイツの猛攻に苦しんだフランスのクレマンソー首相もつぶやきます。
「石油の一滴は、血の一滴に値する」
こうしてヨーロッパ全土を戦火に巻き込んだ第一次世界大戦はドイツの降伏で終結し、イギリス側連合国は大勝利に酔いしれます。
また、オスマントルコ帝国が消滅するという、イスラム世界にとって大変革の時代となりました。アラブ人の独立を支持するという約束など、すっかり忘れられてしまいます。中東民族たちは欧米列強の言いなりになるしかありませんでした。
実話をもとに制作されたイギリスの映画『アラビアのロレンス』(1962年)が、アラブへの協力と裏切りを壮大なスケールで描いています。アラブの独立を約束したイギリス将校ロレンスが、ラクダを駆りながら土着民族の独立闘争に邁進する物語です。この映画は、その年のアカデミー賞やゴールデングローブ賞を総なめにしました。
銀幕には、雄大な砂漠を背景にした美しい場面が繰り広げられます。暗闇のなかマッチの火を消すと同時に砂漠に太陽が昇るシーン、砂漠の地平線に揺らめく蜃気楼がやがて黒い人影に変わるシーン、広大な白い砂漠をラクダが駆けるシーン。砂漠とは、かくも美しいのかと感じざるをえません。
しかし最後は、イギリス政府の方針転換によって、ロレンスはアラブの人々を裏切り、見捨てる結果となるのです。
世界大戦の戦勝国となったイギリスとフランスは、スムーズに取り決めを交わします。レバノンとシリアはフランスの統治下におき、メソポタミア(現在のイラク)とパレスチナとアラビア半島の大部分はイギリスの統治下におかれることになりました。
それに対し、アメリカが猛烈に抗議します。危険を冒しながらも連合国に石油を供給し続けたのは、アメリカです。それも、彼らが必要とする石油の80パーセントも送り届けてきたのです。当然のこととして、アメリカは戦利品を受け取る権利を強烈に主張しました。
米国務省は石油メジャーとともに、ふたたびコルビー・チェスターを従えてコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)に乗り込みます。米英の交渉は、数年にわたって続けられました。しかし、いくら協議を重ねても結論がでない状態が続きます。
2)ガルベンキャンふたたび登場!
ここで、あのガルベンキャンがふたたび登場します。
それぞれの国や企業がそれぞれの主張をもとに譲り合うことなく、協議という名のもと同じテーブルについている状態のなか、驚くべき案を提示します。なんと彼はイギリス政府に対し、アメリカ系メジャーを仲間にするメリットを説きはじめたのです。
アメリカという国の真の恐ろしさを理解していたガルベンキャンは、アメリカが敵としてイラクに攻め込んでくるよりは、妥協して迎え入れるべきだと考えていました。稀代のタフ・ネゴシエータは、実利を最優先していたのです。
やがて、ガルベンキャンの説得に対し、ついにイギリス政府が折れることになります。
この説得には、ロイヤルダッチ・シェルのデタージングも加勢しました。彼の思惑は単純です。アングロ・ペルシャ社の株式保有比率を50パーセント未満にしておかなければ、戦前のように彼らに支配権を握られてしまうという理由です。もちろん、ガルベンキャンにはデタージングの思惑などお見通しです。
こうして、ようやく妥協案が成立しました。アングロ・ペルシャ(英)、CFP(仏)、シェル(蘭、英)、エクソンなど(米)が均等に利権を分割し、最後にガルベンキャンが5パーセントを得ることになります。
興味深いことに、この話し合いの場にコルビー・チェスターの姿はありませんでした。強大なスタンダード系メジャーやガルフの連合軍の前に、チェスターの役割などないに等しかったのかもしれません。はじめからチェスターを無視し続けたガルベンキャンの嗅覚には、驚かされるばかりです。
欧米企業が中東の石油利権を勝手に分け合うことに決まりましたが、あくまで書類上の協定です。実際の現場でどのように実利を分け合うのかは、別の次元の話でした。
そして、つづく実利を分け合う協議の場で、現在まで続く中東の紛争の種がばらまかれることになるのです。
このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。