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2024年08月09日 by 前田 章雄

【歴史に学ぶエネルギー】39.東西の壁に穴をあけた天然ガス


「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えています。過去は輸送することが難しかった気体燃料の天然ガス。この中途半端なエネルギーが突如として世界市場に現れます。輸送技術の進歩が、世界を変える起爆剤となるのです。

 

1) パイプライン供給網の発達

長距離パイプラインによる天然ガスの大量輸送がはじまったのは、アメリカでした。1950年代にはいると、アメリカ北部の工業地域でエネルギーの需要が高まります。生産用途として石炭や石油を大量に利用していましたが、さらに大量のエネルギーが必要になりました。

油田から送出される石油パイプラインですが、人里を避けた場所に敷設され、厳重な管理がおこなわれています。液体燃料である石油は、万一漏洩すると滞留する危険性が高いため、石油パイプラインは住居や工場が密集する地域に敷設することは避けています。需要家先にタンクを設置し、タンクローリーで運ぶ方式をとっています。こうした方式では、ある程度の量の供給までなら容易にできますが、大量供給となると話は変わります。貯蔵タンクの残量をつねに気にしながら、タンクローリーで何度も何度も運び込まなければなりません。

 

一方の天然ガスのような気体燃料では、輸送するためのハードルは高いですが、いったんガスパイプラインを建設すると、あとはバルブをひねればいつでも利用できるようになります。利便性は格段に向上します。

また、天然ガスは空気よりも軽いため、万一の漏洩時でも滞留する危険性は低いといわれています。

そうした天然ガスが産出されるのは、テキサスやルイジアナなどのアメリカ南部の州や北のカナダでした。そこから工業地帯へ天然ガス幹線パイプラインが建設され、エネルギー供給の大動脈ができあがっていったのです。

アメリカより少し遅れて、ヨーロッパでもエネルギー需要が急増します。ちょうどそのころ、オランダのフローニンゲンという北海に面した地域で、当時として世界最大クラスのガス田が発見されました。その後はヨーロッパ周辺でも、つぎつぎとガス田が開発されていきます。北海からはイギリスやノルウェー産天然ガスが産出され、北アフリカのリビアやモロッコでも発見が相次ぎました。

すぐさま、ドイツの工業地帯にむけて天然ガスパイプライン網が整備されていきます。

 

欧米では、大陸を横断する何百kmものパイプラインがいとも簡単に敷設され、網の目のようなパイプライン網が瞬く間にできあがっていきます。

日本のような山あり川ありの地形と違って平坦な土地が続きますし、民家も少ないです。そのため、長い区間にわたって予め穴を掘っておき、穴の横でパイプをいくつも溶接してからコロンと穴に転がして、上から土をかけて埋める工法が可能です。

一方の日本では、短い距離で区切りながら夜間に道路を封鎖してパイプの敷設をおこない、昼間は人や車が通れるように仮復旧しながら工事をすすめるわけですから、建設の条件がまったく違っています。

そうして、アメリカやヨーロッパの大陸中をくまなく走る天然ガスパイプライン網が整備されていきました。

 

2)ソ連からの天然ガス

ヨーロッパにおける天然ガスの需要が、ますます拡大していきます。産業用途としての需要も増加しますが、一般家庭をはじめとした暖房用途としての利用も急拡大していきます。緯度の高い地域ですから、いくら暖流の影響で温かいといっても、暖房のためのエネルギーは大量に必要です。

ちなみに、暖流は日本でも太平洋の南から上がってきますが、暖流の塩水は川から流れてくる真水よりも重たいため、川の水の下に潜り込んでしまいます。同じように大西洋でも暖流が北上しますが、グリーンランドは川がない巨大な島なので、南からきた暖流が海面上をそのまま北上していくため、ヨーロッパは緯度と比較して暖かくなっているのだそうです。

話を戻しますが、ヨーロッパで主流だった暖炉や薪ストーブといった暖房設備から、天然ガスを燃料とした蒸気・温水を利用した暖房へと移り変わっていきます。もちろん、ロンドンなどの都市部ではすでに都市ガス事業が成り立っており、石炭や石油を原料としたガスの供給がおこなわれていました。こうした地域においては、天然ガスへの原料の変更が必要となりますが、詳しくは次回にお話ししたいと思います。

 

工業化がすすんだことでエネルギー需要が急増したことに慌てた西ドイツは、当時つぎつぎと発見されていたソ連の西シベリア産天然ガスに目をつけます。

このころはキューバ危機に代表されるように、東西冷戦のさなかです。米ケネディ大統領はソビエト連邦に対して、つなぎ目のないシームレスパイプの輸出を禁止していました。シームレスパイプの製造技術は、まだ東側陣営には伝わっていませんでした。この技術がなければ、極寒の地で用いられたパイプの強度は著しく低下します。軍事的に見ても需要な技術です。

しかし、西ドイツの社会民主党ブラント政権は、ソ連との関係を深める選択をするのです。東方外交と呼ばれ、「北風と太陽」の寓話のような政策をとります。西ドイツまで敷設するパイプラインのための大口径パイプとガスタービンを供給し、代わりに天然ガスを受け取る「パイプとガスの物々交換」を実現させるのです。

共産圏に対する輸出統制を規定したCOCOM構成国による、はじめての戦略物資輸出となりました。

 

ウクライナを経由して西ドイツまで届けられたソ連産天然ガスですが、長距離パイプラインを敷設しての供給には、長期売買契約が必須になります。多額の投資を回収する見込みが立たなければ、事業として成立しないからです。

そこで、以降20年間で1,200億立方メートルの天然ガスを受け取る契約が、独ソ間で締結されたのです。その後のドイツとロシアとのエネルギーを介した蜜月の関係は、ロシアがウクライナへ侵攻する現代まで続きますが、ドイツはロシアへ依存しすぎた政策に対する大きなしっぺ返しをのちに食らうことになるのです。

 

 

このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。
 

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