「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えています。OPECが結成され、石油の価格が世界的に高騰しました。その後のアメリカの動きを見てみたいと思います。
1)石油と兵器の物々交換システム
OPECが結成され、世界がオイルショックに振り回されるなか、時の米国務長官キッシンジャーは、ふたつの政策を打ちだします。これらの政策がもつ意味は、現代の私たちは片時も忘れてはなりません。
ヘンリー・キッシンジャーは、ユダヤ系ドイツ人です。ヒトラー率いるナチ党から逃れるため、10歳の頃に家族とともにアメリカへ亡命してきました。髭剃りブラシの工場で働くかたわら夜間高校へ通学し、シティカレッジにもパートタイムで通っています。陸軍入隊後はハーバード大学へはいり、博士学位まで取得しています。
努力の人生だといっても過言ではないでしょう。リチャード・ニクソンから直々にスカウトされ政権入りし、フォード政権まで国務長官としてアメリカを支えました。
日本が高度経済成長をおう歌しはじめた頃、アメリカにとって深刻な景気後退が表面化してきました。1971年、アメリカは史上初の貿易赤字を記録するのです。日本の加工貿易が発展し、アメリカから製造業を奪いはじめたことが対日赤字の理由です。この情報はまたたく間に世界を駆けめぐり、いっせいにドル売りへの拍車がかかりました。
前代未聞の金融パニック寸前に追い込まれた米ニクソン大統領は、金ドル交換停止を宣言します。即座に、世界のマネーはヨーロッパと日本へむかいます。
こうした状況下でオイルショックが起こり、高騰した原油価格によって、世界中の資金が中東へ流れました。すると、キッシンジャー率いるアメリカの動きはすばやかった。すぐさまアメリカは軍事武器を中東へ売り込みはじめたのです。
つまり、世界中から中東に集まった石油資金をアメリカへ還流させるシステムが動きだし、アメリカ経済を救うという結果になったのです。
キッシンジャーがとった政策とは、次のふたつです。
中東地域の安定を図るため、サウジアラビアやイランの収益を早急に確保させる。
石油値上げによってサウジアラビアとイランが得る巨額なドルを、米国に還流させる。
つまり、高騰した石油をドルで支払い、それを取りもどすブーメランのメカニズムです。
石油を買ったドルを兵器売却により回収するという「石油と兵器の物々交換システム」。アラブ地域を満足させ、アメリカは痛手を受けない。石油輸入国、日本がその対価を支払うだけ、という軍産複合体アメリカならではの巧妙な手段が動きはじめたのです。
2)アメリカの軍産複合体
アメリカは政策として、今でも各州に必ず一か所以上の軍需工場を有しています。地域雇用の重要な受け皿にもなっており、アメリカ経済のなかでも重要な位置を占めています。軍需産業が経済の重要な位置を占めている。アメリカが軍産複合体と呼ばれる理由です。
中東産油国は、いずれも平坦な砂漠の国です。そのため、外的の侵入に弱い地形となっています。
また、サウジアラビア以外は人口が少なく、自国で強力な軍隊をつくることができません。ましてや豊かな産油国です。国民の富裕層は最前線の歩兵になろうなんて決して考えません。
おカネをだせば外国人傭兵は雇えますが、ヘタをすると外人部隊に国を乗っとられてしまうかもしれない。これが中東産油国のウィークポイントなのです。
彼らは信頼できる外国、すなわちアメリカに国防を頼らなければならないのです。彼らが国家の安全と交換にアメリカに差しだすもの、それは石油しかありません。結局、大量の戦車や戦闘機、ロケット砲などの最新兵器を豊かなオイルマネーで購入しているのです。
また、中東諸国は石油取引の決済をすべてドル建てでおこなっています。もしユーロなどほかの通貨決済となれば、当時のアメリカ経済では危機をむかえる可能性が高まってしまいます。アメリカは巨額の貿易赤字をかかえており、いつ破綻してもおかしくない状態だったのですが、機軸通貨ならドルを刷りさえすれば世界各国が買ってくれます。
ちなみに、のちに中東諸国でゆいいつドル決済を拒否した国が現れます。フセイン政権時代のイラクです。2000年11月、フセイン大統領は石油取引を「ドル建てからユーロに切り替える」と表明しました。すると、翌年に米大統領に就任したブッシュJr.は9.11テロのあと、イラク戦争を起こしてフセイン政権を崩壊させ、イラクの石油取引をドル建てに戻しています。戦争の口実であった大量破壊兵器が発見されることはありませんでしたが、フセインは死刑を宣告されて処刑されました。
真相は闇のなかですが、タイミング的には疑惑いっぱいの侵攻となりました。
キッシンジャーの中東政策によって、アメリカにとって便利このうえない中東になりましたが、アメリカの財布として、やがて日本も機能しはじめることになります。
このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。