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2024年09月13日 by 前田 章雄

【歴史に学ぶエネルギー】43.貢(みつぐ)くんシステムが始動


「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えています。キッシンジャーのブーメラン政策によって、世界中から中東に集められたオイルマネーがアメリカへ還流しはじめます。つぎの標的は、経済大国に成りあがった日本です。

 

1)ロンヤス時代のプラザ合意

オイルショックのあと、日米英独仏G5のあいだでプラザ合意が成立します。1985年のことです。

日米の首脳はロンヤス時代、すなわちロナルド・レーガン大統領と中曽根康弘首相であり、実務責任者はジェームズ・ベーカー財務長官と竹下登大蔵大臣でした。

竹下蔵相はのちに総理大臣になっていますが、ロック歌手DAIGOの祖父といったほうが若い人にはわかりやすいかもしれません。昭和最後の総理大臣として、消費税やふるさと

創生1億円の導入、牛肉・オレンジ自由化などの政策を実行してきました。

いつもニコニコしていて、出雲弁の「〜だわな」という口癖が記憶に残っていますが、学生結婚した妻を一方的に叱責したことで自殺に追い込んでしまった過去があり、それからは人前で怒りをあらわさなくなったともいいます。

田中角栄に反旗をひるがえすかたちで自民党最大派閥の経世会を立ち上げたのも、うちに秘めた闘志のなせる技だったのかもしれません。しかし、プラザ合意でアメリカ勢の言いなりになったイメージがついて回ることになりました。

 

プラザ合意では、アメリカは日本に対して金利を高いまま維持させるよう圧力をかけ、逆に自分たちは金利を下げてドル安を誘導し、バブルに沸いた日本から莫大な額の投資を受け入れました。

やがて円高政策によって疲弊した国内経済を助けるために、日本は低金利政策へ舵をきります。すると、国内の資金が株式や土地に流れはじめました。株も土地も値上がりし、日本の土地でアメリカが数個買えるともいわれました。高騰した土地を担保にした資金が、さらにアメリカへ流れます。アメリカ経済発展の象徴ともいえるロックフェラーセンタービルも日本企業に買収されるなど、巨額のカネがアメリカへ移動したのです。

当時も今も、アメリカは世界中から借金をしていますが、その最大のルートである米国債の3分の1は日本が買っていました。そこには、アメリカの財政赤字を日本が肩代わりするかわりに貿易不均衡で対日要求がエスカレートするのを緩和する、という大蔵省の魂胆がありました。

銀行や生保は大蔵省に背中を押されて米国債の入札に参加した結果、230円で買ったものが150円に値下がりする、という愚を犯してしまいます。

日本政府のもくろみとして、低金利政策によって資金が国内経済の循環に回るはずでしたが、一度つくられた海外への投資の流れが、そう簡単に変わることはありませんでした。日本はどうあるべきなのかという哲学の欠如が、目の前の対処療法に終始してしまい、こうした事態を生んでしまったのかもしれません。なんだか、現代でも同じことが繰り返されている気がしてなりません。

 

このように、プラザ合意とは「日本の所得をアメリカに移す」目的で仕組まれたものだったのです。日本からアメリカへの「貢(みつぐ)くん」のシステムが、国際経済のなかにビルトインされてしまいました。

つぎにアメリカ政府がとった行動が、BIS規制の制定でした。1988年のことです。銀行の自己資本比率を強制的に上げさせることで、日本企業への貸し出しを抑制させようとしたわけです。

 

2)アメリカの思惑を裏切った日本

オイルショックとプラザ合意によって、日本の経済成長が完全に終わりを告げたともいわれました。しかし、実態は違っていました。もちろん、円高によって輸出産業は大打撃を受けています。それでも、品質がよく信頼性も高い、かつ小型軽量を極めた世界でも特異なmade in Japan製品は売れていました。

やがて、円高による悲鳴が大きくなってくると、したたかな日本企業は製造拠点を海外へも展開し、国内・海外双方での生産体制を構築していくことになります。

こうして成長の舞台を国内市場からグローバルへ移した日本式の大量生産システムが世界を席巻し、日本の貿易収支は黒字をますます拡大させるとともに、海外へ投資した資金のリターンが徐々に拡大していくのです。

また、当時のインフレに対する日本人の認識は、現代とは大きく異なっていました。戦争で財産のすべてを失った人々にとって、インフレは怖い存在ではなかったのです。インフレになっても、そのぶん給料も上がればよい。年金制度も整い、多くの若者が社会を支える構図であったため、老後も怖くない。イケイケドンドンの世相が日本に形成されていきました。

 

さまざまな要因が重なりあうことで日本の国際競争力が強化されたわけですが、長期的視点で振り返ると気づかされることがあります。

資源価格は経済発展において重要な要素であることは間違いありませんが、たとえオイルショックで油価が高騰しようが、大量生産のシステムを増強する流れを止めることができなかった、という事実です。

戦後日本のように発展途上の国においては、モノを充足させることがすべてに優先されるため、資源高騰をものともせず、効率的な供給網の整備に邁進してきたわけです。

近年、カーボンプライシングなどの価格調整策が議論されていますが、目の前の変化を起こすことはできても、大きな潮流を変えるには、さらなる工夫が必要なのでしょう。二酸化炭素の排出削減という課題ひとつとらえても、大きな課題が目の前に立ちはだかっています。

アジアやアフリカの人口がますます増加し、人々の生活レベルも上がってきます。当然のことながら、彼らにこれ以上モノを買うなとは言えません。彼らに成長を我慢して、これ以上の二酸化炭素を排出するなとも言えません。それよりも、世界中の人々の生活レベルがあがることは、望ましい発展の姿だととらえなければなりません。もちろん、これから発展する国々以上に先進国が先陣を切って、二酸化炭素排出の削減努力をすべきです。

世界の人々のニーズを満たしながらも、どこを着地点とするかという(正解のない)議論を繰り返しながら、相互理解を深めていくことも大事になってくるのでしょう。

 

 

このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。


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