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2024年09月20日 by 前田 章雄

【歴史に学ぶエネルギー】44.人権派カーターの大失策

「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えています。オイルショック後のキッシンジャーによる中東政策に話を戻しましょう。その後のアメリカは、中東への関与で大失敗を犯してしまいます。

 

1)ホメイニ師の凱旋

キッシンジャーは高騰した石油価格を利用して、中東諸国の財政を助けようとしました。しかし、話はそう簡単には進みませんでした。

急増した石油収入が近代化にむかわず、浪費と堕落を招いてしまったのが、当時のイランだったのです。地方から都市へ人口が流入し、農業生産は下落しました。食糧輸入が増加して物価は高騰し、国中に不満がまん延しはじめるのです。

アメリカ政府による介入が、あまりにも中途半端だったという査証です。

 

そのような国内情勢のなか、イランの首都テヘランで学生デモが発生します。彼らの要求は、イスラム教シーア派の指導者ホメイニ師の祖国復帰を実現させることでした。

ホメイニ師は「生きることの本義は、簡素、自由、公共善にあり」という信念をもち、自身も実践しながら人々に訴えかけた宗教指導者です。簡単にいえば、「アメリカナイズした生活から脱却して、古き良きイランを取りもどそう」という活動でした。

ホメイニ師は、イラン中部の人口1万に満たない小さな町ホメインで生まれました。「ホメイン出身の者」という意味でのちにホメイニ師と呼ばれますが、生後すぐに父親が亡くなり、母親と叔母たちによって教育を受けることになります。しかし16歳のころ、母や叔母たちを相次いで亡くしています。

ホメイニ師はのちにイラン革命について、「もしこの運動に女性の協力がなかったら、革命は勝利していなかっただろう」と述べています。イラン革命では参加者の半数が女性であり、女性が革命の先頭にたって戦いました。ホメイニ師は女性の役割を非常に大きなものと見ていましたが、それには彼の生い立ちが影響しているのかもしれません。

 

当時のイランでは、パーレビ国王の白色革命によって工業化や西欧化がすすんだのですが、貧富の格差も増大していました。

国民の抵抗運動のシンボル的存在が、ホメイニ師だったのです。イスラム教の教えへの原点回帰という思想であり、当時の政権を完全否定しています。イラン政府から危険人物とみなされていたホメイニ師は、諜報機関サヴァクに襲われて長男を殺されており、自身もフランスに亡命していました。

イラン国内で鬱憤の炎が燃え広がり、混乱する情勢下において、国民の熱狂的な歓迎のなか、ホメイニ師がパリから15年振りに帰国したのです。イスラム教の清廉さと不屈の精神をもつホメイニ師は、伝統文化を重視するイスラム原理主義の人々の心を確実につかんでいたのです。国王のパーレビは命からがらエジプトへ亡命し、ここにイラン革命が成功します。

ただし、革命達成後のホメイニ師は一転して、世俗主義者や社会主義者を「イスラムの敵(カーフィル)」として弾圧するなど、事実上の宗教独裁体制を敷いてしまいます。

 

2)カーターの人権外交

これまで国王のパーレビを裏で操り、イランに深く食い込んでいたアメリカですが、なぜ、このような事態になるまで放っておかれたのでしょうか。ベトナムにあれほどの戦力を投入したアメリカが、イランでは戦わずして城を明けわたしてしまっているのです。

 

そこには、米カーター政権によるクリーンな政治思想にあったとみるのが正解なのでしょう。

米ジョージア州の食料品店の息子として生まれ育ったジミー・カーターですが、州知事から大統領選に出馬した際、国民の知名度はまったくありませんでした。「Jimmy,Who?」という言葉が流行したほどです。

しかし、ウォーターゲート事件に辟易としていたアメリカ国民に対し、クリーンなイメージで満面の笑みを浮かべるカーターが大統領選を勝ちとります。ウォーターゲート事件とは、当時のニクソン大統領の野党に対し、CIAが不法侵入して盗聴器を仕掛けていたことが発覚したにもかかわらず、証拠隠滅や司法妨害までおこない、最終的には大統領の辞任にまで発展したものです。

人権外交やきれいな政治を表明していたカーターは、CIAの暗いイメージを一掃すると国民に約束しました。しかし、クリーンな諜報機関などありえません。

イスラエルの諜報機関モサドの情報収集能力には定評があります。そのモサドが、敵対するイランの王室が直面している危機の裏側情報を察していなかったとは考えられません。モサドとCIAが裏でつながっているのは、公然の秘密です。米CIA、あるいはDIA(国防諜報局)に情報が伝えられながらも、彼らは動くに動けなかったのではないでしょうか。

結果として、アメリカはイラン情勢の分析を誤ってしまったのです。

 

国外逃亡後も世界中を転々としたパーレビは、アメリカへの亡命を要請します。すると、カーター大統領は人権外交の一環として、パーレビの要請を受け入れました。

しかし、これに反発したイランの学生たちがテヘランにあるアメリカ大使館へ侵入し、米国大使館人質事件が勃発するのです。52人の大使館員を人質に、立てこもりが444日間も続きました。同時に、アメリカが苦労して手に入れたイラン石油の権益も、吹っ飛ぶことになりました。

イラン革命は、カーター外交の完全な黒星で終わったのです。

 

 

このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。


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