「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えています。参加国同士の結束を固めることで、オイルショックという価格統制に成功したOPEC。しかし、そのシステムには、そもそもの構造的欠点がありました。
1)サウジアラビアの苦悩
石油の価格というものは、誰かが強力に管理しておかないと暴落してしまう性質をもっています。
油田開発には巨額の資金がかかるため、償却費と金利の負担が重くのしかかってきます。そのため、投資した資金を早く回収しようとする圧力が働くわけです。いったん生産施設ができると、あとは自動的に地下から石油が湧いてくるため、誰よりも早く増産して償却をすすめなければ、競争に勝つことができません。
多数の生産者が同じことを考えて増産に走れば、当然のことながら価格は下がります。価格下落による収入減を埋めるためには、さらに増産しなければなりません。価格暴落へのスパイラル・メカニズムです。
石油の世界では、いつもグラッド(供給余剰)が最重要課題でした。しかし、歴史で石油の大暴落が記録されていないのは、誰かが石油価格を強力に管理していたからです。
ロックフェラーのスタンダード石油による市場独占にはじまり、1960年代は「油は血よりも濃い」結束を保っていたセブンシスターズが世界市場を統制していました。「七人の魔女」たちは全世界に張りめぐらせた情報網によって、石油需要の変化を正確に把握していました。その需要の変化に石油供給を合わせていたのです。
やがて産油諸国はナショナリズムに目覚め、つぎつぎとシスターズの束縛から逃れはじめます。彼らはOPECの結成に踏みきり、サウジ石油相ザキ・ヤマニのもとで実施された前代未聞のオイルショックで世界中を震えあがらせました。
OPECの結束を固めたザキ・ヤマニは、一方で「石油価格は安定させるべき」という信念をもっていました。石油価格の高騰は、石油の需要そのものの減退につながってしまうからです。
そこで、世界最大の産油国であるサウジアラビアがスウィング・プロデューサとして、その調整役を引きうけたのです。
石油価格が安くなると生産量を引き締め、市場にでまわる石油の量を調整します。価格高騰の場合は、その反対の操作をするわけです。スウィング・プロデューサは市場価格の安定に寄与するシステムではありましたが、サウジアラビア一国で吸収しきれるようなものではありませんでした。
なぜなら、石油の価格が高騰した際は、産油国にとってさらに増産したい圧力が働くからです。そのため、現代においてもOPEC内で減産の合意がなかなかまとまらない状況が散見されています。
ほかの産油国と反対の動きをするスウィング・プロデューサとは、OPECのなかでサウジだけが損をするシステムだったのです。
2)OPECの構造的欠点とは?
ここで、ディファレンシャル(価格格差)の問題を考えてみたいと思います。
石油の生産地は、世界中に散らばっています。油田の深さなどの物理的な違いから生じる生産コストによって、割安の石油もあれば、割高の石油もあります。これは石油にかぎらず、どのような商品にもある問題です。消費者は割安の商品に殺到し、割高の商品には閑古鳥が鳴く。
かつてのセブンシスターズは多数の産油国の油田を共同で所有しあっていたため、ひとつの企業体としては割安の石油が売れれば割高の石油が売れなくてもかまわない、という余裕がありました。
しかしOPECの場合は、それぞれの国は偏った種類の石油をもっているだけです。そういった偏りのある国々が集まって自国の利益を主張する組織、それがOPECなのです。
ディファレンシャル問題は、つねにOPECの最大の悩みでもありました。
OPECカルテルのシステムには、もうひとつの重大な欠点がありました。
セブンシスターズは生産から輸送、精製、販売までの一貫操業を営んでいたため、彼らにとって需給の調整は自分の組織内で処理できました。それに対して、OPECは単なる石油生産者の集まりにすぎません。
この両者の違いは、とても大きい。石油の供給には、輸送から精製というタイムラグのほかに、備蓄による価格変動の調整という不確定要因までもが絡んでくるからです。
また、セブンシスターズの活躍した需要拡大期には、新規に開発するスピードを落とすだけで価格調整ができましたが、1980年台のOPEC時代には減産イコール即減益、すなわち国家財政の圧迫となる厳しい状況にも陥っていました。
スウィング・プロデューサを引き受けたサウジアラビアが率いるOPECの前途には、もともとのシステム構造として、困難が待ち受けていたのです。
このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。