「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えています。空前の好景気に沸いた日本のバブルですが、泡がはじけた後始末のまずさとその後の経済界の動きを見ていきたいと思います。
1)アメリカに誘導されたバブル
バブル絶頂期は、日本の一人勝ち状態でした。
省エネ技術でオイルショックを克服し、1980年代の「トリプルメリットによるバブル時代」をおう歌しました。円高と原油安による資源デフレーションと金利安による投資拡大。内需の拡大にともなって大量生産システムを拡大させるとともに、徹底した原価低減策も寄与し、日本が世界の工場となって巨額の貿易黒字を計上するまでになりました。
一方のアメリカは、1985年の「プラザ合意」によりドル安円高を進行させましたが、アメリカの対日貿易赤字の解消に対して有効に機能しませんでした。それほど made in Japan の商品の価値が高く、世界中とくにアメリカで売れまくっていたのです。
そのため、貿易不均衡の是正が日米交渉の最大の焦点となっていきました。「日米構造協議」と呼ばれ、日本の市場開放を目的とした日本の貯蓄や投資、土地利用、流通といった分野の商慣行の見直しが議論されました。
そして日本は、10年間で430兆円の公共投資の拡大を約束することになるのです。現在の日本の国債残高が多額にのぼっていますが、この時期に積み上がりはじめました。バブル時代のイケイケドンドンの意識が抜けきれず、公共投資で景気が回復すればすぐに解消できると判断したのでしょう。
のちに200兆円が追加投資されましたが、結果として、アメリカが期待するほどの効果がでることはありませんでした。今では考えられないほどのおカネが、政府から民間へじゃぶじゃぶと流れていきました。流れた資金が土地や株式にむかい、地価や株式が実体経済から乖離して高騰しはじめるのです。
また、1990年にはじまった湾岸戦争を契機として、ドル売り円買いがさらに促進されました。日本は30兆円で米国債を買い支えて対処するも、アメリカはサブプライムローンの拡大へ動きます。そのため日本は円高是正策が続かず、デフレーションが長期化してしまいます。
ここで、のちの日本経済に関して重要なことがあります。
日米構造協議による莫大な額の公共投資が日本の産業成長に寄与したとはいいがたかった、という事実です。世界的にITが目まぐるしく普及しつつあるなかで、日本では巨額の公的資金があらたな産業創出にむかうことはなかったのです。
当時、3Gを世界でいち早く取り入れたのが、日本の通信業界でした。iモードとして、世界ではじめて携帯電話にインターネットを組み込みました。グーグルが海外拠点を世界ではじめに開設したのも、ここ日本です。現在ではIT後進国といわれるようになった日本ですが、決してそうではなかったのです。
しかし、政府の資金はあらたな産業にむかわず、従来型の公共建設事業に費やされました。これからの日本が少子高齢化にすすむことがわかっていながらも、道路建設などの公共施設の整備に巨額のおカネが流れました。それも、戦後すぐにつくられた橋ゲタやトンネルなどの古い設備の補修ではなく、「タヌキしか通らない」新しい道路が地方に多く建設されたのです。
モノはつくれば、いつかは補修や解体が必要になります。そのことを考えてモノづくりをしなければいけませんが、兎にも角にも、あり余った資金を新しいモノづくりだけに流したのです。
もちろん、政府だけでなく民間企業にも問題はありました。バブルのあと始末で苦しむ民間は民間で、公共工事を頼りにするだけでなく、エコカー減税などの優遇措置や補助金制度に群がり、政府に依存する体質が恒常化していました。
塩爺こと元衆院議員の塩川正十郎氏は言いました。
「母屋でおかゆをすすっているときに、離れですき焼きを食べている」
一般会計が赤字を削っているのに特別会計で浪費していることを揶揄した発言ですが、多額の補助金がバラまかれている実態を皮肉っています。こうしたバラまき体質は、現代でも治った気がしておりません。
2)海外へ目をむけはじめた企業
こうした状況下において消費税が導入され、さらには5パーセントへの引き上げも実施されました。バブル崩壊にともなう金融機関の不良債権処理の遅れも生じ、そこへ公共投資の引き締めもおこなわれたため、反動で景況感は一気に下降します。
今までの国際競争力の源泉であった省エネ技術ですが、この時代は次第にその効力が弱くなってきます。諸外国の技術もあがってきたことに加えて、日本国内の人件費も上昇基調にあったからです。製品に占める原価構成が変化していました。
製品の原価構成において、エネルギーコストより人件費の影響が大きくなった結果、中国が世界の工場として君臨しはじめるのです。はじめは中国で安価に生産して日本へ逆輸入するユニクロ・スタイルが主流でした。
労働集約的な繊維産業をはじめとして、自動車の通信配線などのワーヤーハーネスを束ねる作業や家電製品の組み立て工場などが中国へ進出します。その後は、ドアノブなどの安価な建築部品や機械部品を製造する、いわゆるエネルギー消費産業も海外へ進出し、日本へ逆輸入をはじめます。
やがて、日本企業による海外進出は、さらなる絶頂期を迎えることになります。
このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。