「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えています。今回は、日本国内の製造業に焦点を当ててみましょう。エネルギーを多消費する製造工場がどのような動きをしてきたのか。それが現在にどう影響し、どう動こうとしているのかを考えるきっかけにしたいと思います。
1)国内製造業の海外進出
バブル崩壊と円高によって、日本国内の経済は疲弊しました。
しかし、日本企業はしたたかでした。成長の舞台をグローバル市場へ移し、日本式の大量生産システムを海外へ展開しはじめたのです。
それまでに拡大し続けた貿易黒字が20兆円を超え、プラザ合意により1ドル80円という超円高が恒常化してきました。さすがにこれほどの円高は、輸出産業を苦しめます。すると、国内の製造業は海外へ工場を建設しはじめるのです。
この時代で忘れてはならないのが、中国の存在です。それまでの中国は毛沢東の「大躍進政策」を続けており、事実上、鎖国状態でした。
その眠れる龍にも変化が訪れます。?小平によって提唱された改革開放路線が軌道にのり、大量に供給される安価な人件費を武器に、世界の工場として起動しはじめたのです。
今までの国際競争力の源泉であった日本の省エネ技術ですが、この時代は次第にその効力が弱くなってきていました。諸外国の技術も向上してきたことに加えて、日本国内の人件費も上昇基調にあったからです。製品に占める原価構成が変化していました。
製品の原価構成において、エネルギーコストより人件費の影響が大きくなった結果、中国が世界の工場として君臨することとなるのです。はじめのうちは、日本企業も中国や東南アジアなど安い人件費を利用して海外で製造し、日本国内へ逆輸入するユニクロ・スタイルが主流でした。
そうした成果が、第一次所得収支の黒字として現れはじめます。第一次所得収支とは、海外へ投資した金融資産から生じる利子や配当を指しています。過去に貿易で稼いだ巨額の資金を諸外国へ積極投資し、それが大きな収益につながったわけです。
はじめはメガバンクによる海外企業への株式投資によるリターンが主な利益でしたが、次第に製造業が自社の工場を海外にも建設して利益をフィードバックするかたちが大きな流れとなっていきます。
その動きは2000年を超えると一気に拡大し、日本の第一次所得収支は貿易収支の減少を補い20兆円に迫るまでに成長するのです。
2)現地生産をはじめた日本企業
バブル前後の世界的な背景を、エネルギーの視点から眺めてみましょう。
まず、オイルショックで高騰した原油価格によって、ロシア周辺の衛星国でも石油や天然ガスの掘削がはじまります。カスピ海を中心に、従来のバクー油田だけでなく、ウクライナやアゼルバイジャン、トルクメニスタンからも石油や天然ガスが採れはじめます。それだけが理由ではありませんが、こうした経済的成長もあって、衛星国もソ連からの独立を求めるようになりました。そして、ソビエト連邦崩壊とともに、東欧諸国がいっせいに西側の市場として登場したのです。
また、この機を逃さず、ながらく低迷していたアメリカ経済が息を吹き返しました。冷戦の終結によって、今まで軍事に振りむけていた財政を経済へ回すことができるようになったことも、アメリカ復活の大きな理由のひとつとなりました。
当時のアメリカは、すでに製造業としての地位は低下していました。一方で、バブルで踊る日本からの資金がアメリカに流れ込み、サブプライムローンなる正体不明の金融商品でアメリカ全土がバブルの様相を呈します。人々は貯金がなくともローンを組み、モノを買う生活をはじめます。その恩恵は日本の輸出産業に逆流し、バブルが崩壊した日本経済を延命させました。
また、安い労働力を求めて進出した中国や東南アジアもそれなりに成長しはじめたため、彼らそのものを市場としてみるようになりました。日本にとって、国内市場の1億人からグローバル市場30億人が目の前に忽然と姿を現したのですから、そこに対応するのは市場原理として自然なことだったのでしょう。
やがて、海外で現地生産して販売する目的で、世界中に工場を建設しはじめます。現地生産・現地販売が主流となっていくのです。そうした背景には、資源や製品の搬送といった輸送の効率化や、為替などの影響の回避、そして相手国からの工場建設の要請があったことなど、海外進出の要因は複雑に絡んでいます。
たとえば、日本を代表する産業のひとつである自動車をみてみよう。
日本国内の自動車生産台数は、バブル期を除けば概ね1千万台です。国内販売が減少すれば、その分の輸出が増えますが、全体として大きな変動は少ない状態です。
自動車メーカーは国内生産を守る一方で、海外へ工場を建設して現地生産もはじめます。1990年で300万台強であった海外生産台数ですが、10年で倍の600万台、その後の10年でさらに倍の1200万台になるのです。倍増ペースは続き、2019年で2千万台に迫るまでになりました。そして、自動車メーカーとともに部品メーカーもこぞって海外へ進出していきます。
世界の市場膨張に対して、従来型の大量生産システムという成功体験を継続させ、グローバルに拡大させたわけです。こうした動きが表面化したのが、1990年代以降の日本といえるでしょう。
このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。