「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えています。日本経済の凋落には、良くも悪くも日本的な「すり合わせ」技術に固執した一面があったとともに、産業界による「イノベーションの翻訳ミス」が起こったのではないか、という仮説を唱えてみたいと思います。
1)イノベーションの意味とは?
イノベーションのことを新しい技術の発明、つまり「技術革新」と誤訳されているケースが多いのではないでしょうか。
イノベーションの本来の意味は、社会的意義のある新しい価値を創造する変革のことであり、製品技術というハードだけでなく、組織や仕組みといったソフトも含めた抜本的な革新のことを指しています。つまり、イノベーションとは「市場創造のためのビジネスモデルの変革」と理解すべきです。
イノベーションを「技術革新」と訳すと、どうしても得意技術に磨きをかけることに直結してしまいます。
技術革新を追求しようと、家電製品ではさまざまな機能を追加した商品の開発につながってしまいました。どんな小さなニーズも拾いあげ、誰にでも受け入れられる商品となることで、市場がわずかに広がることを期待したのです。その結果、つかいもしない機能が満載のつかいづらい高価な製品が多く生みだされました。
産業のコメともいわれる半導体では、巨大ユーザーである自動車や大型コンピュータメーカーからの要求に応えることが最優先されました。これらの用途では、不良品による事故が万が一でも起きてはいけません。そのため、不良率を極限まで下げた高品質化が求められました。日本の半導体企業は、たゆまぬカイゼン努力のすえ、この要望に対して忠実に応えます。
しかし、ITの普及にともなって、世界は大きく変わろうとしていました。身のまわりのあらゆる製品がデジタル化され、安価な半導体が要求されるようになっていたのです。多機能・高品質化を追い求めた高コスト体質の日本企業が、韓国や台湾で新興した単機能・安価・超大量生産のシステムに太刀打ちできる状況ではなくなっていました。
1990年代は、「変化に気づかず対応できなかった時代」といえるのかもしれません。
当時、一時的な円安を受けて、一部の家電メーカーが海外生産からの国内回帰を志向した時期もありました。これらの企業では、液晶画面やプラズマディスプレイの高画質化かつ大型化をいち早く実用化し、量産体制を整えることがすべてに優先されました。
当時の新興国市場の実情として、兎にも角にも安い製品が所望されていたにもかかわらず、韓国や台湾メーカーが追いつけない大画面・高画質の生産設備の導入にこだわったのです。これらの国内工場も、やがては衰退の一途をたどることになりました。
2)イノベーションの本質とは?
イノベーションとは、市場創造にむけた抜本的改革のことを指しています。技術革新だけでも不完全ですし、顧客対応だけでもいけません。
商品の価値そのものを上げる「プロダクト視点」と、徹底した顧客ニーズを追求する「カスタマー視点」の両輪がうまく絡み合いながら、相乗効果を発揮していかなければ、うまくいきません。言い換えれば、技術革新と市場創造を融合させることで、インフラ整備と普及拡大戦略を同時進行させなければならない、ということです。
ウォシュレットという商標でも有名な温水洗浄便座をみてみましょう。工夫を凝らした新製品をもとに、おしりを洗うというあらたな価値を経験してもらう。しかし、そもそもトイレに電気のコンセントがついていなければ話になりません。昔ながらのタイル張りのトイレには、水を嫌う電気のコンセントなど、ご法度な設備でした。建築業界も巻き込んだ普及拡大戦略をとることで、あらたな文化へと育てていかなければならないのです。
こうした文化創造は、本来、日本の得意分野でした。ウォークマン(ポータブルオーディオプレイヤー)のように音楽を持ち歩く文化を創造し、iモードのように歩きながら携帯でインターネット接続する文化を生みだしました。
日本企業は、いつから自社商品を通して市場を見るプロダクト視点に固執するようになってしまったのでしょうか。
モノ提供からコト提案へ、つまりカスタマー視点を徹底させる意見もあります。それはそれで正しい選択肢のひとつです。しかし、機能素材や高性能部品、産業機械などの分野においては、日本は誰にも追随できない地位を築いています。これをどのように活用していくのか、という視点も忘れてはいけません。
日本企業から技術者が新興国メーカーへ流れた時期もありました。しかし、たゆまぬ努力を続ける日本企業の強みが、そう簡単に崩れることはありません。一度手放したモノづくりが容易に復活しないことは、アメリカが証明しています。他社に負けない強みがあれば、それは絶対に捨ててはいけません。
新興国企業は、日本とはケタ違いの大量生産システムを構築しました。しかし、日本企業の強みはなくなってはおりません。韓国との貿易のイザコザで明らかになりましたが、高い品質を誇るmade in Japanの素材や部品、あるいは産業機械がなければ、新興国メーカーの製造は成り立たないのです。
時代の変化、世界の潮流にとり残されて、日本は凋落しました。だからといって、今から欧米や新興国のあと追いをすることが得策では、決してありません。
マニュアル化が難しいもの、手間暇がかかるもの、そうした代表でもあるすり合わせ技術は、世界は日本の足元にも及びません。しかし、それも時間の問題です。近いうちに追いつかれ、抜かれてしまうでしょう。一日の長を大切にしながら、それに溺れることなく一刻も早いうちに効率化を実現させつつ、イノベーションの真の意味を見つめなおさなければなりません。
日本企業の復活は、自社を通して市場を見る癖がついていることを自覚することからはじまるのではないでしょうか。
このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。