こんにちは。エネルギー・文化研究所の山納洋(やまのう・ひろし)です。
僕は2014年から「Walkin'About」という、参加者の方々に自由にまちを歩いていただき、その後に見聞を共有するまちあるき企画を続けてきました。
その目的は「まちのリサーチ」です。そこがどういう街なのか、どんな歴史があり、今はどんな状態で、これからどうなりそうかを、まちを歩きながら、まちの人に話を聞きながら探っています。
この連載ではWalkin'Aboutを通じて見えてきた、関西のさまざまな地域のストーリーを紹介しつつ、地域の魅力を活かしたまちのデザインについて考えていきます。
今回ご紹介するのは鶴橋。JR環状線・近鉄大阪線・鶴橋駅から大阪コリアタウンにかけてです。
大阪市生野区は、区民12万6千人のうち2割強(2万8千人)が外国籍住民のまちで、その4分の3を占める在日コリアンの人々をはじめ、77か国の外国ルーツの人々が暮らす多国籍・多文化の街です(2024年3月末現在)。その現状についてお伝えします。
鶴橋商店街
鶴橋商店街にある衣料品店
現在の生野区西部は古代には朝廷に献上する猪(大陸から持ち込まれた豚)が飼育されていたとされ、猪飼野(いかいの)と呼ばれていました。飛鳥時代以降には主に稲作をおこなう農村として続いてきましたが、大正期に耕地整理や平野川改修工事が行われ、界隈は住宅・工場密集地帯へと変わりました。明治43年(1910)に韓国が日本に併合されて以降、この地には朝鮮半島からの労働者が出稼ぎに来るようになりましたが、大正11年(1922)に済州島と大阪をつなぐ直行便「君が代丸」が就航したのを機に、多くの済州島出身者が仕事を求めて日本へ渡航するようになりました。
JR・近鉄鶴橋駅の北東側には、アーケードのある鶴橋商店街が縦横無尽に広がっています。観察してみると、韓国・朝鮮の食材店や飲食店、衣料品店と、日本の海産物・乾物の食材店がエリアを分けて存在しているのが分かります。
この商店街がある場所は、戦前に建物疎開で空き地になり、戦後には闇市となり、その後に卸売市場が形成されています。近鉄線が奈良や三重と結ばれていたことで、食材の集散地としての機能を果たすようになりました。その後天満や木津の卸売市場が復興し、鶴橋から南に3kmほどの場所に東部市場ができ、また大和郡山などにも新たに卸売市場ができたことで顧客を減らしていきましたが、現在も卸売と小売の機能を果たし続けています。
鶴橋本通商店街
鶴橋卸売市場にある鮭専門店
鶴橋駅西側の鶴橋西商店街には、焼肉屋が建ち並ぶ一帯があります。かつては靴屋や呉服店、紳士服店・スポーツ用品店・青果店などが並んでいたそうですが、徐々に飲食店に置き換わり、今では焼肉店に特化した飲食街のようになっています。
JRのガード下には、ミノやバラやホルモンなどを炭火で焼いて出している串焼き屋が何軒かあります。かつての焼き肉屋はこういう業態だったようです。
JR鶴橋駅ガード下の焼肉店
近鉄鶴橋駅のガード下から南側の鶴橋高麗市場には、キムチ・乾物・鮮魚など、韓国・朝鮮料理の食材店が並んでいます。猪飼野に住む女性が戦後に鶴橋駅周辺でキムチを売り歩いたのが始まりだそうで、今では近鉄線北側の鶴橋商店街にも、韓国・朝鮮の食材店・惣菜店が数多く見られます。
これらの食材店や飲食店の集積は、かつての猪飼野から始まっています。
鶴橋高麗市場
鶴橋駅から南東に800m程のところには、大阪コリアタウン(御幸通商店街)があります。この辺りがかつて「猪飼野」と呼ばれたところで、多くの済州島出身者が暮らす日本最大の在日コリアンの集住地となっています。
現在の大阪コリアタウンは、かつては朝鮮市場と呼ばれていました。当初は現在の御幸通商店街の裏路地にありましたが、御幸通で商売をしていた日本人店主たちが戦時中に疎開したことで、そこを買い取り(または借りて)店舗を構えるようになりました。昭和30年代から50年代前半にかけては、韓国・朝鮮の食材や商品がひとところに集まる商店街として大いに栄えましたが、昭和50年代後半になると来街者が減っていきました。危機感を覚えた当時の商店主たちは"コリアタウン構想"を掲げ、新たな顧客を呼び込むためのまちづくりを始めました。特徴的な門や舗装道路など 日韓サッカーワールドカップの開催や韓流ブームなどの追い風も幸いして、21世紀に入った頃から、大阪コリアタウンは日本国民も訪れる観光スポットとして発展していきました。
大阪コリアタウンとその周辺には、従来からある食材店・料理店に加えて、現在の韓国で見られるようなカフェ、飲食店、韓流アイドルグッズ店、コスメショップなどが数多く出店し、年間200万人が訪れる一大観光スポットになっています。特に高齢化や後継者難などで廃業したお店と入れ替わる形で、こうした「ニューカマーショップ」が増えてきています。
大阪コリアタウンで大人気の「ジョンノハットグ」
鶴橋本通商店街に見られる店舗の入れ替わり
鶴橋駅と大阪コリアタウンの間にある疎開道路沿いには、規模の大きな雑貨店や飲食店が数多く出店しています。特に2020年以降のコロナ禍により韓国への渡航が困難になったタイミングで、日本にいながら韓国の雰囲気が楽しめるショップやレストランがどんどん開発されていきました。カフェの店内には韓流アイドルの写真が飾られ、推しアイドルの画像をプリントしたケーキやクッキーやラテが注文できます。インスタ映えする料理をウリにしたレストランも多くの人を集めています。
疎開通り沿いにあるコリアンレストラン
疎開通り沿いにある韓流アイドルショップ
2023年4月に、大阪コリアタウンの北側に「大阪コリアタウン歴史資料館」がオープンしました。同資料館では現在から過去にさかのぼる形で、猪飼野の歴史を分かりやすく伝えています。カフェも併設されていて、お茶を飲みながらこの地の歴史を知ることができます。
大阪コリアタウン歴史資料館外観
大阪コリアタウン歴史資料館の展示
大阪コリアタウン歴史資料館から南へ、御幸通商店街を渡って進むと「いくのコーライブズパーク(略称:いくのパーク)」があります。2021年に閉校となった御幸森小学校の建物を活用し、2023年5月にオープンしています。
運営主体は多文化共生のまちづくりを目指して生野区で活動する「NPO法人IKUNO・多文化ふらっと」と、食を通じたまちづくりに取り組む「株式会社RETOWN」。かつての御幸森小学校には韓国・朝鮮にルーツを持つ子どもたちが多く、世界各国のさまざまな文化を学ぶ「多文化共生教育」に取り組んでいましたが、その理念を継ぐ形で、教育や福祉の機能を維持しつつ、校舎の屋上を活用したBBQ場や喫茶店、イタリアンレストラン、体育館でのバスケットボールスクール、テコンドー教室など、さまざまな活動の拠点として運営されています。
いくのコーライブズパーク(旧御幸森小学校)
100年以上前から外国籍の方々が多く暮らし、近年になって多くの観光客が訪れるようになったまちに、地域の歴史を伝え、多文化共生の取り組みが進められている。鶴橋は、そんなまちになっています。
余談ですが、鶴橋駅の隣のJR桃谷駅前の商店街には、ネパールの食材店やレストランが数軒あります。留学生や福祉・医療・飲食業などで働くネパールの人たちが多く、特にコロナ禍が明けたことで家族を呼び寄せて暮らすようになったことで一気に増えたそうです。生野区には77か国の外国ルーツの人々が暮らしており、多国籍・多文化という点で全国の先端地域といえます。