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2025年01月15日 by 弘本 由香里

【明日のコミュニティ・デザイン 井戸掘り編】減災文化の本質を突く、二つの井戸の物語


こんにちは、エネルギー・文化研究所(CEL)の弘本由香里です。

私はこれからの地域・社会を支える文化やコミュニティ・デザインのあり方について考え、実践的な研究活動に取り組んでいます。

1月17日、阪神・淡路大震災から30年を迎える今年。この30年の間にも、私たちは頻発する自然災害や、世界を揺るがせたパンデミック・コロナ禍も経験しました。改めて、身近な減災文化を耕していく必要性を痛感し、その基層となる“共”の知の在り方や、“共”の場づくりの大切さについて、考えてみたいと思います。そこで、奇しくもほぼ同時期に大阪・上町台地周辺で行われた、人力による二つの井戸掘りの事例に注目してみます。


1.災害とともに歩んできた都市の片隅で

昔々、大阪のまちは、上町台地を除けばほとんどが海でした。河口部に無数の洲が浮かぶ大阪湾を抱いて、水際に向かって拓かれていったまちは、災害とともに歩んできたといっても過言ではありません。たとえば、繰り返し襲ってくる高潮や大洪水、大地震に大津波。自然災害だけではありません。権力や富をめぐる争いが繰り広げられ、歴史を振り返れば数々の戦禍にもさらされてきました。

災禍をいかに乗り越えていくか、いのちを守る知恵、復旧・復興の知恵を伝えていくことが、いかに重要であったかは、想像に難くありません。庶民が巷の情報をいち早く共有できる瓦版が行き渡った幕末や、新聞・雑誌が興隆した近代には、災害をめぐる様々な記録が残されています。驚くほどの熱量とスピードで作成され、教訓を後世に伝え活かさねばとの痛切な願い、“共”の知を紡ぐ使命感が溢れています。

改めて、それらの記録に目を向けてみると、知恵や技術のみならず、それらを起動する力となる、苦境を乗り越えていく人々の相互支援の柔軟さや逞しさに気づかされます。現代に目を転じると、そのような先人たちの経験と志を受け継ぐかのように、小さくとも地域に根差したレジリエンス(回復力など)の種となる“共”の場づくりが試みられていることにも気づかされるのです。ここでは、2019年から2023年にかけて、大阪・上町台地の上と下で呼応するかのように相次いで産声を上げた、人力による二つの井戸の物語に学びます。


2. 釜ヶ崎の“知”を集めて井戸を掘る

一つ目は、2019年4月に掘り始められ、半年後にみごと水脈に通じ完成した井戸の物語です。場所は、上町台地の南西部、天王寺から坂を下って行ったあたり、通称釜ヶ崎と呼ばれる界隈。かつて、高度経済成長を支えるために多くの日雇い労働者が集められたまちですが、バブル崩壊後は仕事も減り、高齢化も深刻です。そんなまちの商店街の一角で、高齢期を迎えた元日雇い労働者の方々をはじめ、さまざまな人たちとともに「であいと表現の場」づくりを続けている、「ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム」(代表は詩人の上田假奈代さん)の庭に、その井戸は誕生しました。

いのちをまもる水を得るために、自分たちの手で井戸を掘ろうと。その際、途上国で求められている井戸は、壊れた時にも自分たちで直し、使い続けることができるものだという話に大いに触発されたのだそうです。「釜ヶ崎で井戸を掘るとしたら、土木で生きてきたおっちゃんたちの知恵に学ぶべきだ」と、彼らを先生として、井戸掘りにチャレンジされたのです。おっちゃんたちも、ゲストハウスの旅人たちも、子どもたちも、一緒になって人力での穴掘りや井戸枠づくりの作業が行われました。土木の現場で経験を積んできたおっちゃんたちは、作業の段取りも、安全確認も的確。いのちをまもる井戸掘りの先生として尊敬を集め、最高の技が注ぎ込まれたみんなの井戸が完成したのです(飲用以外の用途で利用)。

「私たちの間に信頼とか尊敬とかそういう気持ちがあってこそ、人はより深く語ってくれるんだと分かりました。そういう時間をつくることが、今は大事だと思っています」という、ココルーム・上田さんの言葉は、“共”の知の在り方を深く問いかけてくれます。

釜ヶ崎に暮らす達人たちに学びながら「ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム」の井戸づくり(左は20201月、右は2019年夏)


3.高津宮によみがえった井戸が紡ぐ縁

二つ目の井戸の舞台は、上町台地上の由緒ある神社。平安時代、仁徳天皇を祀って創建され、大坂城築城時に現在の場所、大坂城の南西に位置する、見晴らしのよい台地の崖際に移されたと言われる高津宮。このあたりは、かつて名水の地としても知られたところで、境内にあったとされる「伝説の井戸」の再生をめぐる物語です。

2019年7月から、同神社の氏子さんや大阪の会社経営者有志の方々の協力で、伝統的な上総(かずさ)堀りを応用して掘削が始められました。その後、コロナ禍で休止を余儀なくされるも、やがて再開、粘り強く掘り進め、2022年秋、ついに水脈を掘り当てられました。なんと、約4年がかりで2023年4月、待ちに待った伝説の井戸復活のお披露目を実現されたのです。

遡ること20年ほど前、境内で偶然見つかった井戸の遺構を見て、宮司の小谷真功さんは、いつか神社に豊かな水が戻り、井戸を囲んで人が集まる場になればとの願いを抱き続けてきたのだそうです。それを知って、「ぜひ、伝説の井戸を復活しましょう!」と、氏子さんや高津宮ファンの方々の申し出で始まった井戸掘りです。足場を組んで滑車を付けて、大勢で綱を引いて、鉄管を持ち上げ・落とし、掘り進めていく掘削法も奏功しました。子どもたちや参拝の方々も手伝いに加わって、数百名の老若男女が参加。休日には、綱を引く人々の声が境内に響き、思いがけない縁が生まれていきました。

この井戸から汲み上げられた水は、平素は神事やお供えに使われていますが、いざというときには地域の防災井戸として使えるようにとの想いが込めれています(飲用以外の用途で利用)。何よりも、井戸掘りで紡がれた縁が災禍を乗り越えていく糧になる、“共”の場の実感が伝わってきます。

多くの人が力を合わせて井戸を掘る体験は、親子や友だちの貴重な思い出に(2020年1月、高津宮境内にて) 


4.二つの井戸が教えてくれる減災文化の本質

防災・減災の文脈の中で、いのちをまもり生活を維持するための水を確保するために、井戸が重要なアイテムの一つであることは、誰もが認めるところです。

しかし、ライフラインを補完する物理的な役割のほかに、目には見えないけれど大切な意味があることに、二つの井戸の物語は気づかせてくれます。

その地域に息づく知恵を活かすことが、持続する力になるということ。その力は、互いをリスペクトする信頼関係によって、発揮されるということ。多くの力を合わせる仕掛けが、人の縁を生み出していくということ。そのような“共”の知と、“共”の場の在り方こそ、減災文化の本質であり、災禍を乗り越え、回復してく力となる、レジリエンスの核心が浮かび上がて来るようです。

 

※本記事は「上町台地 今昔タイムズ vol.14」及び「上町台地 今昔フォーラム vol.13&14 Document」(発行:大阪ガスネットワークCEL)で行った取材を、今改めて振り返りアップデートしてまとめたものです。

https://www.og-cel.jp/project/ucoro/pdf/timesVol14.pdf

https://www.og-cel.jp/project/ucoro/pdf/2020timesVol1314_sp.pdf

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