こんにちは。エネルギー・文化研究所の前田章雄です。
「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えています。2010年にチュニジアで「ジャスミン革命」が起こり、チュニジアを発端とした民主化運動「アラブの春」の動きが周辺諸国にも飛び火します(※1)。しかし、アラブ諸国で民主化が本当に進展したのでしょうか?
1)「アラブの春」の矛盾
輸出による外貨獲得、その大部分を石油に頼っている国の多くが、王政や独裁政権といった政治形態をとっています。
1979年、民族主義が拡大してイラン革命が起こりました。その結果、周辺のアラブ諸国にも生活が豊かになるという希望が広がりました。しかし、当のイランにおいても経済的な果実がともなわなかったため、民衆主導のナショナリズムは過去のものとなっていました。
しばらく無風状態であった中東諸国において、突如として「アラブの春」が勃発しました。チュニジアで始まったジャスミン革命を皮切りに、エジプトのムバラク独裁政権が崩壊し、リビアのカダフィ政権にも終止符が打たれました。一時的な安定ではありましたが、アラブ世界に民主主義的な制度が導入された国が誕生したのです。
チュニジアは、北アフリカに位置する小さな国です。経済は一定の発展を見せていますが、その恩恵を受けているのは主に富裕層だと言われています。国民の大多数に不満が積み重なっていました。
仕事がなく、困り果てたすえに市場で無許可商売をしたひとりの青年が、道具一式を警察に強制撤去されるという事件が起こりました。青年は、焼身自殺という手段によって国の政策に抗議しました。チュニジアは、アラブ諸国のなかでも最初にインターネットが解禁された国のひとつです。自殺で訴えたという情報が国民に広がり、一気に革命へと発展したのです。
これが「ジャスミン革命」です。2010年の年末から翌年年始にかけてのことでした。ちなみに、ジャスミンはチュニジアを代表する花です。
石油価格の高騰は、中東産油国の財政を豊かにしました。しかし、国は豊かになっても、民衆に還元されない独裁政権下では非効率な官僚主義が蔓延し、経済も停滞します。
補助金の削減、役所のスリム化、国営事業の民営化。つぎつぎと新しい政策が打ち出されますが、あらたな雇用を増やすには産業の多角化しかありません。それには、外国資本による直接投資が不可欠になります。すると、外国主導の投資ブームに乗って、あらたな富裕層が台頭します。その反面、すべての投資が雇用に結びつくとは限りません。政府の公的補助がなければ暮らせない低所得層の人数も増加します。
二極化した状況のなか、地域に根をはるイスラム原理主義は、低所得者層向けの医療や教育、福祉活動、食料の斡旋などに力を入れ、存在感を高めていました。イスラム原理主義は賄賂などの利権から遠いことからも、民衆の支持を集めはじめます。
これが、アラブの春の矛盾なのです。中東を民主化し安定を図ろうとする欧米諸国の思惑とは逆に、中東で選挙を行うとイスラム原理主義が議席を伸ばしてしまうというジレンマが次第に表面化してきます。
2)春を超えて冬に突入したエジプト
アラブの春の矛盾は、エジプトでも起こりました。
エジプトでは、イスラエルとの和平を決断したサダト大統領が1981年に暗殺されると、ムバラク大統領による独裁政権が約30年も続いていました。ムバラク政権の根幹は、軍です。
軍が支配する非効率な産業構造のなかで、やがてエジプト国内で大規模なストライキが頻発するようになります。セメント工場、鉄道、造船所、病院。なかでも国営の大手繊維会社の労働争議は2万数千人の従業員が工場を占拠し、日本のメディアにも取り上げられました。綿花栽培や繊維産業はエジプトの歴史のある産業ですが、そこでも工場労働者の賃金は低い状態のままであったのです。
そのエジプトで、インターネット上の情報によって独裁政権の搾取の実態が明らかになり、革命への呼びかけも一気に広がりました。特に若いエネルギーの塊でもある学生運動が革命に拍車をかけました。
「大学を出ても職がない社会はおかしい」
「神の前では人間みんなが平等だというイスラムの教えに反している」
やがて、エジプトにも「アラブの春」運動が起こり、国民投票によってムスリム同胞団が支持を得て、モルシ大統領が選ばれました。ムスリム同胞団とは、エジプトで結成された社会運動団体であり、英語では Muslim Brotherhoodと呼ばれます。預言者ムハンムドの教えに従った生活をするスンニ派的なイスラム社会の実現を目指す、というムーブメントのことです。
そのなかの一部の団体が武力を用いて、理想を実現しようとしています。それが欧米諸国の警戒する過激派です。大学を卒業した高学歴の人々が自爆テロに走る要因は、根深いものがあると言えます。理由はどうあれ、テロ集団という警戒を解くわけにはいきません。
アラブの春によって、エジプトでも民主化が進んだように見えましたが、その結果、イスラム原理主義が強い力をもつことになりました。アラブの民主化運動は、結果的には、欧米諸国が警戒する団体を民衆が選んでしまうという矛盾をはらんでしまったのです。
エジプトは、これだけでは終わりませんでした。アラブの春の影響を受けていたエジプトにおいて、軍事クーデターが発生しました。2013年7月3日のことです。民主化のもと選ばれたモルシ大統領は、就任からわずか一年でクーデターにより解任されました。クーデターの理由として、新大統領によって自分たちの権利が奪われるのではないか、という既存勢力の不満が爆発したとも言われています。希望いっぱいで始まったアラブの春は、一気に冬へ突入しました。
中東の多くの産油国は、自らの王政を維持するために周囲に民主主義が根付くことを避ける傾向があります。そのため、多くの国がエジプト軍を支持しているのです。
先進国も中東産油国を支持する立場に立つため、軍事クーデターを支援せざるを得ないという矛盾した政策を選択することになっています。もし中東産油国が民主化すれば、イスラム原理主義が勢力を伸ばすからです。
一方、シリアやイランはもともとイスラム原理主義の力が強い状況が続いています。中東は、こうした二極構造にあると言えます。欧米式の民主主義は、中東諸国には合わなかったのかもしれません。アラブでは、地域のリーダーがみんなの面倒をみる。そうした伝統的なコミュニティ社会をつくってきた歴史があるからです。
チュニジアで始まった「アラブの春」は、のちの結果を見る限り、うまくいかなかったと言っても良いでしょう。軍政に戻ったエジプト、国内対立が激しくなったリビア、そして国内経済が上昇せず失業率も高い状態のままのチュニジアでは強権政治への支持が高まっています。
さまざまな歴史的事情によって終わりの見えない状況に陥っているように見える中東諸国ですが、彼らに合った公正な政治や行政運営とはどのようなものなのかを、日本も含めた国際協力のもと、考えていかなければなりません。
このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報をシリーズでお伝えしたいと考えています。また、全編に共通した参考文献は初回に提示しておりますので、適宜ご参照ください。次回をお楽しみに。
(※1)アラブの春に関しては、初回に挙げた参考文献の『「アラブの春」の正体』重信メイ著;角川書店(2012)や『イスラームの歴史』K・アームストロング著;中央公論新社(2017)、『世界資源エネルギー入門』平田竹男著;東洋経済新聞社(2023)などにも記載されていますが、より詳しい情報はSpaceship Earth 2024年11月11日『アラブの春のその後は?』 馬場正裕著をご参照ください。