高見澤 たか子
2008年10月01日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2008年10月01日 |
高見澤 たか子 |
住まい・生活 |
ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.86) |
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公園の陽だまりに
おばあさんひとりぽつねん
やがて極楽でも今地獄
膝は痛むし目はかすむ
富士山だって崩れてく
もういいかい
まあだだよ
作詞 谷川俊太郎
作曲 武満徹
フォーク・シンガーの小室等さんのこの歌を聴くたびに、かつて日本のいたる所で見かけた?おばあさん“の頼りなげなうしろ姿が目に浮かぶ。おばあさんをおじいさんに置き換えてもいい。高齢者は「ひとりぽつねん」という言葉がふさわしい社会の中の少数派であった。
だが、いまや日本は世界一の超高齢社会を迎えている。高齢者は、もはや社会の少数派ではない。生き方も実に多様化しているし、しかも、みんなけっこう忙しい日々を送っている。これまでの六十五歳で線引きをする「高齢者」という枠組み、ひと続きの連続した人生を「老後」という言葉で分断する発想は、現実の高齢者像とはなじまなくなってきている。「後期高齢者」などという呼び方も、統計上の分類に使われることはあっても、実際には死語になってしまうのではないか。
さらに、「団塊の世代」が六十五歳になる二〇一二〜一四年までには、毎年百万人ずつ高齢者が増えることが予想されている。しかも平均寿命は、男女共に八十歳を越える。日本社会に綿々と受け継がれてきた「敬老思想」とは別の、新たな「老い」に対する概念が要求されていると思う。
「若さ」とは何か? 「老い」とは何か? 二つは相反するものなのだろうか? 「老い」を喪失とだけ捉えるならば、高齢社会は、希望のない、暗い闇の世界になる。だが、大多数の高齢者は、生き生きと生活を楽しんでいる。
健康でも、あるいは病気になっても、人生を分断されることなく、自分らしく歩んでいくことを望んでいる。そうした安心の環境は、後に続く世代にも生きる希望を与えるはずだ。