相沢 韶男
2005年03月15日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
2005年03月15日 |
相沢 韶男 |
エネルギー・環境 |
エネルギー・ライフスタイル |
情報誌CEL (Vol.72) |
ページ内にあります文章は抜粋版です。
全文をご覧いただくにはPDFをダウンロードしてください。
空気と水についで、人が人らしく生きていくためには、火を欠かすことはできません。かつてはどこの村でも、火の材料として、山の木を薪に切り、燃料にしてきました。
近年、薪を燃やす姿は、よほど気にとめて歩かないと見かけなくなりました。都市ではまったく無くなったといえるでしょう。
過去の日本人の生活を考える上で、山は、燃料の確保という視点から考えると大変に大きいものです。ありていにいえば、山の木が人の命を支え、生活を支えてきたといえます。
私が草屋根集落の保存に長く関わってきた、福島県南会津の大内では、昭和四〇年ぐらいまで薪が主な燃料でした。プロパンガスが入ってくるのは昭和三〇年代の後半で、簡易水道を引いた昭和四一年、流しを改造しプロパンガスを使い始めた家が見られました。
春木切り
東北の冬は長く、厳しい雪の中に、人々の暮らしは閉じ込められます。雪の中の生活では、燃料の薪は不可欠で、その確保に二年越しで雪を利用する知恵を生み出しました。
農家の生活は、用意がよいというか、先を見越して暮らしを立てなければなりません。薪は必要になってから切るのではなく、およそ二年先の薪を、立ち木を切ることから始めます。生木だと、燃えにくいので乾燥させなければなりません。この地方では、薪をタキギといいました。薪が積める家は、堅くて間違いのない家とされています。