河瀬 隆
2005年03月15日作成年月日 |
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2005年03月15日 |
河瀬 隆 |
住まい・生活 |
その他 |
情報誌CEL (Vol.72) |
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今季号のCELは、六八号『「火」の創造力』に続く「火」シリーズ第二弾として、『「火」のある暮らし』を特集した。前回を問題提起編とすれば、今回はその発展編と位置づけたが、いかがだったろうか。
さて最近、小関智弘さんの著書に接する機会を得た。最初に、近著『働きながら書く人の文章教室』(岩波新書)を読み、地に足の着いた説得力のある文章と、そこに描かれた町工場に働く人々のきびきびとした日常世界の鮮やかさに魅かれ、続けて『働くことは生きること』(講談社現代新書)と『仕事が人をつくる』(岩波新書)を読んだ。
小関さんは、施盤職人として五十年余りの間、製造現場に身を置いた筋金入りの熟練技能者。と同時に、町工場で働く人々を中心に数々の小説やノンフィクションを発表してきた作家でもある。今回読んだいずれもが、「人は何故働くのか」をテーマにし、小関さんがこだわり続けた肩書(旋盤工・作家)の視点から、職人一人ひとりの仕事に対する真摯で誠実な姿を描き出している。
昨今、日本の企業社会では、成果主義や能力主義が浸透し、この新しい価値観と、年功序列や愛社精神といった旧来価値との狭間の中で人々の就労観は大きく揺れているようだ。若者たちも親世代の苦悩を目の当たりにして、複雑な立場に置かれている。日本経済新聞社編『働くということ』(二〇〇四)によると、大学を卒業しても職に就かない「無業」の割合は二〇パーセントを突破し、なんと十年前の四倍にも達したとのこと。教育、就職、職業訓練のいずれの場とも無縁な「NEET(ニート)」と呼ばれる層も膨張している。
小関さんは言う。「生き方として器用に立ちまわれない人たちが、その手先から、社会には欠かせないさまざまなものを作り続けている。こんなケチな仕事、こんなつまらぬ仕事と、わが身を呪いながらも、いざそのものに向き合えば精魂を込めてしまう。それが多くの職人たちの性だろう。(中略)その良心が多くの日本のものづくりを支えてきた」(『仕事が人をつくる』)。小関さんが焙りだす職人一人ひとりの姿の中に、技術立国日本をその底辺で支えてきたという矜持、そして働くことの尊さや輝きが滲み出ている。
近所のスーパーマーケットでいつも見かける初老のガードマン。買い物客の車を誘導する姿には責任感が充溢している。躍動感溢れるその一挙一動はまさにプロの技、芸術的でさえある。いつも変わらぬイキイキとした姿に接すると、この人の仕事に立ち向かう姿勢や誇り、生き方のようなものが伝わってきて、思わず頭が下がってしまうのである。小関さんの本を読んでいて、そこに登場する職人さんとこの白髪混じりのガードマンさんが、私の中でオーバーラップしたのだった。
本誌にフォトエッセイを連載する松本コウシさんも、作品への深い情熱を感じさせる人だ。四月末からの個展(新宿・コニカミノルタプラザ)に向け、その感性は一層鋭さを増している。どんな展開がみられるか楽しみだ。
晩冬の夜、暖炉の柔らかな温もりの中(にいる気分になり)、バッハの無伴奏チェロ組曲でも聴きながら、たまには、「働くということ」の意味を考えるのもいいと思った。
「ぼくも負けんと気張りまっせ!」 ――河瀬 隆