豊田 尚吾
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2001年04月01日 |
豊田 尚吾
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住まい・生活 |
食生活 |
WEB |
エッセー |
モラルとは「了解」すべきもの
モラルとは、個人や社会の危機を顕在化させないための“仕組み”である。それ故モラルは現実と結びつかざるを得ないし、時間・空間をまたいで普遍的なモラルなど意味はない。モラルとは論理的に「理解」するものではなく、「了解」するものである。了解とはわかる(合点がゆく)ことであり、心から納得がいくということである。よって、その人がわかる範囲でしかモラルは存在しない。逆に言えば誰でも、自分が了解できる範囲のモラルを持っている。各人のモラルを調和させられないと、社会の危機が顕在化する。それはモラルがその社会で機能していないことを意味する。モラルを機能させることを、社会を持続させることと言い換えれば、そのためには、今そこにある現実そのものという意味での「リアリティ」を、多くの者が共有するしかない。リアリティの中でしか、「今」了解可能なモラルは実感できないからである。
例を挙げよう。本年1月26日、インドで大きな災害が起こり、多くの方が被災された。6年前の震災に遭遇した筆者は、インドの方々が直面するリアリティを共有せずにはいられない。インドの災害に少しでもコミットすることは、筆者自身のモラルである。これはまさしく、心から了解可能なモラルなのである。しかし、だからといって、日本人全員が、自分と同じモラルを持つべきだとは思わない。何がリアリティのあるものなのかは、個人個人の事情による。共有可能なリアリティがあってこそ、現実に裏打ちされた、実効あるモラルを見いだせるのだ。