下村 純一
2010年03月26日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
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備考 |
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2010年03月26日 |
下村 純一 |
都市・コミュニティ |
地域活性化 |
情報誌CEL (Vol.92) |
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端末というお堅い印象の言葉が、パソコンの普及で身近になったが、端末は、都市の近代化を促すインフラにもある。運河、道路、鉄道、ガスや水道など地域の隅々にまで線をめぐらし、ものやエネルギーの移動の円滑化をはかる諸設備をインフラと考えると、水道の蛇口やガス栓は、実は端末なのだ。鉄道では、ホームや駅舎が、それに当たるだろう。
これまで駅舎を建築作品と見ることはあっても、都市の近代化遺産とは考えなかった。けれども、人や物資を街へと輸送する鉄道機能の端末だととらえると、造形美ばかりではない、別の何かが見えてくるように思う。
私鉄では日本最古といわれる南海電鉄沿線には、幾つかの古い駅舎が残されている。明治40(1907)年竣工の浜寺公園駅舎もその1つで、設計は明治・大正の建築界の重鎮であった辰野金吾と大阪商工会議所会頭でもあった片岡安である。玄関ポーチの徳利型の柱やハーフ・ティンバー様式など建築意匠として見るべきものは多い。だが、端末という目で改めて見直すと、1つおかしな点に気付く。
駅舎は左右対称形につくられているのだが、その中心軸と浜寺公園まで一直線に伸びる道路の角度が、微妙にズレているのだ。道路中央からは、駅舎に向かって右半分が見えないし、ポーチからは少し左に振った方向へ道路が走る。端末としての駅舎の第一の役割は、街や道路とのスムーズな連結だろう。それを、やや阻害するかのようなこの角度のズレは気になるところだ。