豊田 尚吾
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2011年03月25日 |
豊田 尚吾
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住まい・生活 |
その他 |
情報誌CEL (Vol.96) |
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-はじめに-
2010年11月、「企業の社会的責任」(以下、CSR)に関係の深い国際規格であるISO26000が発行された。もちろん、これがCSRの全てをとらえているわけではない。しかし、一つの貴重な参考として、様々なCSR議論の足がかりになることは間違いない。
ISO26000に関しては、今号の特集の中でも論じられているため、ここで再びその全体を対象に検討はしない。ただ、ISO26000の重要な理念として、「この国際規格は、組織の大小を問わず、先進国、途上国のどちらで活動するかを問わず、民間、公的及び非営利のあらゆる種類の組織に役立つように意図している」があることは再度確認しておきたい。
なぜなら、生活者の視点を重視するならば、「企業」に限らず、「社会的責任」という考え方そのものが重要になるからである。ISO26000は社会における全ての主体ではなく、あくまで「組織」を対象にしている。しかし、実際には生活者、あるいは個人の社会的責任も、組織のそれに劣らず重要である。したがって、本稿では組織のみならず、「個人」あるいは組織化されていない集団も含めて、それらが担う社会的責任という考え方の意味を考えていきたい。
誤解のないように断っておくが、ISO26000は組織の社会的責任のみが重要で、個人のそれはどうでもよいという態度をとっているわけではない。例えば「消費者課題3」として、「持続可能な消費」を掲げ、消費者のあるべき対応に言及している。 しかし、このガイドラインはあくまで組織に焦点をあてており、それらがどのように消費者課題の解決を支援できるかといった「視点」でまとめられている。したがって、本稿はISO26000が想定する適用範囲を越えた「社会的責任」を検討の対象とすることになる。
それは本稿がISO26000を軽視するということを意味しない。実際、ISO26000は社会的責任に関する言葉を明確に定義している。したがって、まずはそれを参考に、社会的責任とは何かという基本を共有化することを試みたい。
その結果として、社会的責任という考えの背景にある倫理や正義というものを、より深く考察する必要があるという認識が導かれる。この問題を検討することで、社会的責任の基礎となっている理念に対する理解を深める。それが本稿の目的である。それを通じて、現在あるいは将来の世代にとって重要な考え方になるであろう「社会的責任」が、より意味のある存在として、受け入れられることになると考えている。