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情報誌CEL

末原 達郎

2011年03月25日

人間にとって食料とは何か、農業とは何か

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2011年03月25日

末原 達郎

住まい・生活
エネルギー・環境

ライフスタイル
地域環境

情報誌CEL (Vol.96)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
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-農業が目に見えなくなった時代-

 

日本では、農業者数、農業生産量などが、ここ数年、徐々に減少し続けている。それにもかかわらず、実は今、農業が見直され始めている。その大きな要因のひとつは、やはり食の問題にある。消費者の側からの食に対する不安と不信感が大きく高まっているからだろう。農産物がどこでどう作られて、どのような流通経路を通り、自分たちの口に入っていくのかが、今は見えなくなっているからである。
 私が子どもの頃、京都の市内でも、上賀茂の方から大八車にのせて、週に2〜3回は採れたての野菜を振り売りに来ていた。また学生時代でも、北白川のあたりには、まだ畑が多くあり、農作業する姿もよく見かけた。農業は身近なものだったのである。
 ところが、現代では都市住民にとってだけでなく、農村でも農業が見えにくくなっている。昔は、野菜も米麦も多種類のものを一軒の農家で作っていた。ところが、米の生産に特化してしまった農家は、現在では食品の大部分をスーパーや農協の販売店で買っている。日本の農業の歴史は、戦後大きく米の単作化へと進んできた。しかも、その米でさえ自由貿易化の波にさらされようとしている。
 以前、丹後半島で農村調査をした時のこと、サバをぬかに漬けた「へしこ」を漁協で買い求めたら、なんとサバはノルウェー産。現在の市場経済の原理は、農産物も工業製品をつくるのと同じで、ものを加工するには、同じ大きさで適切な量のものが安定して入ってくることが必要となる。その結果、丹後の海沿いの漁村でさえ、目の前の海で獲れるものよりもノルウェー産のものの方が安くて使いやすいものとなる。このように、日本の食生活は、都市であれ、農村であれ、漁村であれ、すでに都市文明化したものになり、生産と消費の関係が構造的に不可視になってしまっている。
 食物と農業とをつなぐ線が見えにくくなってきたのは、日本では1960年代であり、「農業基本法」ができた時代にあたる。戦後、日本が農業生産国から工業製品の輸出国に変わっていくために、大きな制度的改革が求められた。政府は貿易と為替に関する自由化の大綱をつくり、工業製品を輸出する仕組みに変えていったが、それは同時に外国からの農産物を輸入することにつながった。結果として、日本は貿易輸出国となり、発展途上国から先進国へと移行していくことになる。
 まず1960年に121品目の農作物の輸入が自由化された。64年には林産物の輸入自由化も行なわれた。現在、日本の森林の手入れが行き届かなくなったのは、この時以来の自由化で外国産の安い木材が輸入され、国内産の木材が用いられなくなったからである。さらに、80年代から90年代にかけて、発展途上国を含めて世界全体が市場経済化されていき、世界中のあらゆる農産物が日本に入ってくるようになった。2000年以降は、さらに大きな構造的変化が起こってきている。

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